大阪朝日新聞創刊号
太田治子著「星はらはらと 二葉亭四迷と明治」(中日新聞社)を読んでいますと、明治のエポックメイキングの歴史がふんだんに出てきます。
自由民権運動、明治十四年の政変、秩父事件、五日市憲法を草案した千葉卓三郎…
そしたら、私の嫌いな、と以前に書いた榎本武揚も出てきましたよ。明治8年、樺太・千島交換条約条約を締結した日本代表として。日本側は、榎本武揚全権委任公使。ロシア側は外相のゴルチャコフ。文字通り、日本領かロシア領か曖昧だった樺太を千島と交換してしまいます。(幕臣から新政府に寝返った榎本武揚については、福沢諭吉も「丁丑公論」の中で批判しています)
強国ロシアにとってはいい案件だったことでしょう。後に石油が出るアラスカをタダ同然でアメリカに売却してしまったので、その穴埋めをしようと必死だったのでしょう。
明治8年の時点で、樺太には多くの日本人も住んでいました。この条約締結を後ろで糸を引いていたのが、黒田清隆北海道開拓使前長官(薩摩藩士、長州伊藤博文に継ぐ第2代首相)。もともと樺太に住んでいたアイヌ民族を北海道に強制移住させたのも黒田でした。この黒田こそが、周囲の反対を押し切って榎本武揚の助命のために頭を剃った人です。黒田は、開拓使払い下げ事件を起こしたり、明治11年、酔って妻を蹴り殺したのではないかという醜聞を朝野新聞に暴かれたりして、一時失脚しますが、逆に、この情報を流したと噂された大隈重信を明治十四年の政変で失脚させます。薩長藩閥政府に怖いものなし。
反薩長藩閥政府の立場を取った朝野新聞に対して、福地源一郎率いる東京日日新聞(今の毎日新聞)は、政府ベッタリで、黒田の醜聞は書かず、政府の発表ものしか書かないので、太田治子さんは何度も「東京日日は、御用新聞」とハッキリ書くので可笑しくなりました。
しかし、幕臣出身で真面目の塊の二葉亭四迷こと長谷川辰之助は、朝野新聞の成島柳北が明治11年、前米大統領で南北戦争の英雄グラント将軍が来日した際に、接待委員を務めたことから、大いに失望したりするのです。
こういう本を読むと、明治の時代が、歴史としてではなく、現在進行形の出来事として生き生きと感じられますなあ。