旧哈爾濱学院(現藍天幼稚園) Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur
634年、天武天皇は八色の姓(やくさのかばね)を制定しました。
1、真人(まひと)2、朝臣(あそん)3、宿禰(すくね)4、忌寸(いみき)5、道師(みちのし)6、臣(おみ)7、連(むらじ)8、稲置(いなぎ)ーの8段階です。
第1位の真人(まひと)は、道教の真人(しんじん)から採用したと言われますが、完全無欠、真理を悟って人格を完成した人。仙人のことです。仏教の羅漢(らかん)に当たります。第25代武烈天皇に継嗣がなかったため、ここで天皇族は断絶したという説もありますが、北陸の三国から即位した第26代の継体天皇以降、天皇の近親者に賜姓されました。しかし、どういうわけか、次第に使われなくなり、平安時代には第2位の朝臣が最高位となりました。かつて勤めていた会社の人で、田辺真人君がいましたが、彼は自分の名前の由来を果たして知っていたのでしょうか?
第2位の朝臣(あそみ)は、皇別氏族で、かつて臣(おみ)や連(むらじ)だった物部氏や中臣氏らが昇進して賜姓されたりもしました。同じように、第3位の宿禰(すくね)は有力豪族に賜姓されましたが、かつて連だった大伴氏らが賜与されたりしました。
宿禰は、かつて足尼(すくね)と書かれたことがあり、埼玉県行田市の稲荷山古墳から出土した第21代雄略天皇(在位457~480年?)の時代のものと言われる鉄剣銘に「多加利足尼」とあり、この足尼は、少兄(すくなえ)のことで、高句麗の官名の小兄に由来するという説もあります。
第4位の忌寸(いみき)は、主に渡来人と国造(くにのみやつこ)に賜与されました。渓流斎ブログご愛読者ご案内の通り、渡来人とは、新羅の秦(はた)氏、百済の漢(あや)氏らのことでしたよね。秦氏は、聖徳太子の時代に広隆寺を創建した秦河勝(はたのかわかつ)が有名ですが、松尾大社も伏見稲荷大社も秦氏がつくりました。伏見稲荷は、全国3万社あると言われる稲荷神社の総大社です。
歌川広重も取り上げた「江戸百景」の「王子稲荷」も、新羅の渡来人秦氏の流れを組んでいたとは!
秦氏は京都だけではなく、今の神奈川県秦野市などにも移住し、その名前を残しています。土佐の長宗我部氏、国学者を生んだ荷田氏、総理大臣も輩出した羽田氏なども秦氏の末裔と言われていたり、自称したりしております。
第5位の道師(みちのし)と第8位の稲置(いなぎ)は、結局、賜姓されませんでした。理由はよく分かりません。ご存知の方は、どうかコメント欄にご教授して頂ければ幸甚です。
旧哈爾濱学院(現藍天幼稚園) Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur
さて、最近、暗中模索の中、見出しやプロフィールを思い切って変えたりしましたが、あんまり反応がありませんでしたねえ。
でも、不平不満をブログに書きますと、「ええ加減にせんかい!」との反応がきます(笑)。
うーん。ま、原稿料も光熱費も通信費も自前で自営でやってますので、その辺りは大目に見て頂いて、本日も「世間に舐められている日本の私」の続きをやります(笑)。
一応、9月末で諸機関を卒業しましたが、いまだに市町村税を払わさせて頂いておりまする。別にこんなこと強調することではありませんが、納税者として、微力ながら、図書館で本を借りています。(洒落です)
で、いつもネットで本を予約しているのですが、この前は、まだ、図書館所蔵ではなかったので、生まれて初めて電話で新刊を予約しました。
そして、図書館のマイページの予約欄を見たところ、自分は予約の2番目だということが分かりました。新刊ですから、私より先に電話を掛けて、最初に予約した人がいたということでしょう。本の貸し出し期限は通常は2週間です。
2番目ということは、2週間後には借りられるということなので、ウキウキして待っておりました。
それが、なかなか、貸出のOKが出ないのです。
哈爾賓西駅 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur
ネットの図書館マイページの予約を見ると、予約が完了したのは8月20日です。ということは、9月上旬には借りられていたはずなのに、1カ月半も経っているというのに、最初に借りた悪人がまだ返却していないということです。
1カ月半も公共の本を我が物にするなんて、ちょっと、酷過ぎる。一カ月も過ぎれば、督促状も来ているはずです。それなのに、返却しないとは!
やっぱり、私は世間から舐められている!