ベニス
豊洲問題の最大の功労者、ではなかった、当時の最高責任者だった石原慎太郎元都知事が、高齢を理由に「証人喚問」にも応じず、逃げ隠れして、最後は作家さんらしく文書のみで回答しながら、「記憶に御座いません」などとかつてのロッキード事件の小佐野さんのような曖昧な弁明に終始されておりまして、かつてのあの自信に満ち溢れていた傲岸不遜のキャラは何処に行ってしもうたのか、晩節を穢す哀れでみっともない醜悪どころか、説明責任を果たさない公職者として、公の場に晒して弾劾するべきでなはないか、と思いつつも、多くの世間の反応は、彼を選出した引け目があるせいなのか、いやに穏やかで、見て見ぬフリをしているのが、実に不思議で許せない、と思っていた今日この頃でした。
それが、昨日の東京新聞の夕刊にに出ていた中島岳志さんの論壇時評を読んで、一気に疑問が氷解しました。
石原さんは、高齢どころか、相当体調がお悪いようなのです。数年前に脳梗塞を患ったらしく、その後遺症なのか記憶力が本当に減退して、作家の命である文章や漢字が出てこなくなったというのです。中島さんは、過去に石原さんが「女性が生殖能力を失って生きているのは無駄で罪です」などと暴言を吐くなど、弱者に対する排斥発言を引用しつつ、「石原は今や、自らの肉体的衰えに苛立ち、死の恐怖に怯えている」とまで明晰に書いております。
これまで富も権力もヨットもファーストクラス席もスイートルームも全て手に入れて、傍若無人な強い独裁者のように振る舞っていた暴君が、一転して、これまで手荒に差別的にあしらっていた、そしてあれほど軽蔑していた弱者の側に堕ちてしまい、まるで、これまでの罪を反省して、神様に命乞いをしているかのように見えてきます。
しかし、中島さんは、この論壇時評の中で、「石原には『自業自得』という言葉を投げかけたくなるが、それをやってはいけない。自己責任論を加速させ、彼の暴言を後押しすることになるからだ」(一部変更引用)と主張しているのです。
名匠フランソワ・トリュフォーに「ピアニストを撃て」(1960年公開)という作品があり、日本でも大ヒットしました。米国の西部開拓時代の酒場に「ピアニストを撃たないで」という貼り紙があったそうです。このタイトルをパロディーにして、ジャズピアニストの山下洋輔さんが「ピアニストを笑え」というエッセイを発表したことがあります。
私も、中島さんの論壇時評を読んで、すぐさま「慎太郎を撃たないで!」というタイトルが頭に浮かぶのでした。
私も弱者ですから。