赤ちゃん200万円とは!成瀬巳喜男「まごころ」

伊太利亜ヴェニス

フランスに住む友人からの噂によりますと、皆さんご存知のクーリエ太川君が、札幌駅の階段で足を滑らせて転倒し、後頭部を打って救急車で運ばれたそうです。

一部の情報では、頭蓋骨骨折の重症ですが、今ではメールが打てるほど回復したようです。

私も心配ですが、本人はご案内の通り、人一倍の照れ屋さんですから、お見舞いお断り、特に渓流斎はお断りなんだそうです。

ま、このブログは、寒流斎ですから、大丈夫でしょう(笑)。年末年始の慌ただしい時期ですが、彼の一刻も早い回復を祈念します。

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今朝の新聞朝刊で、「赤ちゃんをネットで斡旋」という社会面の記事を読みました。

大阪の何処の業者か忘れましたが、事務手数料50万円をもらって、子供さんに恵まれない養親に200万円ほどで赤ちゃんを斡旋するというのです。

産み親には、200万円で赤ちゃんを募集広告しているということですから、これはまさしく、人身売買じゃないでしょうか?

事務手数料という名目の斡旋仲介料を取るということは、明らかな商行為であり、こんなことを認めている法律があるかどうかも疑問です。

凄い世の中になったものです。

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成瀬巳喜男監督作品「まごころ」

このブログのご愛読者の皆様にはご案内の通り、私こと渓流斎は、このたび、念願のiPadを買っちゃいました。

今、尋常小学校に持って行って、級友に大いに自慢しているところです(笑)。

このiPadは、お絵描きが出来たり、楽器を演奏したり、楽譜が出てきたり、色んなお遊びができるので、年末年始の休暇が楽しみですが、今嵌っているのは、やはり、動画鑑賞です。

一番好んで見ているのは、成瀬巳喜男監督の戦前の作品です。YouTubeでは、無声映画まで、無料で見られます。

昨晩観たのは、1939年公開の「まごころ」です。これは、成瀬巳喜男の名作の1本に必ず挙がる作品で、成瀬マニアのサイトでは、1930年代作品のナンバーワンでした。

私は、戦後生まれですから、若い頃は、戦中を挟んで戦前と戦後には深い溝があって、何もかも断絶しているという考え方の持ち主でした。

戦後民主主義教育によって、戦前は全て否定されたので無理もないかもしれません。

戦前は、暗い耐乏生活で、軍国主義一辺倒で、自由も何も人権もないと思っていたのですが、庶民のささやかな抵抗もあったし、当時の映画を観ると、モボやモガに代表されるようにかなり派手な生活を送っていた若者がいたり、女中を雇って、室内でピアノを弾いたりする富裕層も出てきたりして、今とそれほど変わっていないことに驚かされたりします。

入江たか子

成瀬の「まごころ」は1939年公開と書きましたが、元号で言えば、昭和14年。ノモンハン事件があった年です。ちょうどスパイ・ゾルゲが暗躍していた絶頂期でもあり、ゾルゲグループのアヴァス通信社(現AFP通信社)の特派員ブーケリッチも、ノモンハン事件を取材に行ってます。

「まごころ」では、最後に信子(悦ちゃん)の父親で銀行員だった浅田敬吉(高田稔)が出征するシーンで終わります。その2年前に支那事変が始まり、大陸での戦線が拡大しつつありました。

村瀬幸子

この映画の主人公は、小学校6年生の富子(加藤照子)と信子の2人の可憐な少女ですが、この時代、子供でもこんな丁寧な言葉遣いをしていたのかと驚かされます。富子の母お蔦役は、入江たか子で、信子の母役は、村瀬幸子。この村瀬は、黒澤明監督の晩年作品「八月の鯨」に出演しておりました。

映画は時代を映す鏡だなあと思いました。

近現代史を研究している学徒にとっては、学術書や年表からはちょっと違った視点から迫る映画の世界は、非常に参考になります。

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