滝山城跡
昨日の日曜日。春だというのに、菜種雨が降り続きました。そんな雨も、ものかは。
東京郊外の八王子にある中世の戦国武将大石氏が築城した滝山城と高月城の城址巡りツアーに、実兄のお導きで参加して参りました。参加者はWWさんら4人。
ちょうど桜がチョー満開の時期で、前日には桜祭りも開催され、本来なら見物客で立錐の余地もないほどごった返すはずの都立滝山公園も、生憎の雨で人影も疎らで、逆に本来の10分の1か、100分の1ぐらいの空いた人出で、傘を差しながらではありましたが、ゆったりと散策できました。
あるメデイアの調査によると、ここ滝山城跡は、都内の城址巡り人気ツアーでは、何と、江戸城に次ぐ第2位なんだそうですね。
知りませんでしたね、私は。…ということは、1521年(元亀2年)に滝山城を築城した大石定重(さだしげ)の名前など知る由もありません(苦笑)。
滝山城近くにある大石氏の菩提寺と想像される少林寺
大石定重は、関東管領上杉氏の宿老(重臣)で、守護代職を務めた戦国武将です。
大石氏は、定重の子定久が、小田原の北条氏照を娘婿に迎えて、北条氏の軍門に下って、消滅してしまいますので、よほどの歴史通でなければ、知る人も少ないでしょう。
しかし、その滝山城跡を実際の脚で歩いて、その規模を肌身で実感してみると、その広大さに圧倒され、大石氏の権力の甚大さも手に取るように分かりました。
この滝山城は、あの上杉謙信や武田信玄からの猛攻に見事耐え抜いたといいますから、その凄さが分かることでしょう。
謙信は越後から、信玄は甲斐の国から軍団を引き連れて峠を越えて此処までやってきたことを想像すると感無量になりませんか?
滝山城址
ちなみに、都立滝山城公園は、京王八王子、JR八王子からバスで30分ぐらいで「滝山二丁目」で下車して、徒歩20分ぐらいです。
途中、八王子駅からバスで5分ぐらいの商店街に「荒井呉服店」が見えました。恐らく、ここがあのユーミンの実家ではないかと思われます。
高月城跡
滝山城から歩いて30分のところに、高月城がありました。
ここは、話が前後しますが、滝山城を築城した大石12代将軍定重の父親の11代顕重(あきしげ)が1458年(長禄2年)に築城しました。
高月城近くにある大石氏の菩提寺と想像される円通寺
話を整理しますと、大石氏は、もともと、今の長野県は信濃国大石郷の出身で、どういう経緯か分かりませんが、関東管領上杉氏の家臣となり、今のあきる野市にある二宮に城を構え、その後、この高月城に移り、定重が滝山城に移り、その子の代で滅亡して小田原の北条氏に組み込まれるわけです。
時は、室町時代末期で、足利将軍の権力は、もう既に関東にまで及びもつきません。
室町幕府を開いた足利尊氏の四男基氏は、初代鎌倉公方として赴任し、関東の守護職の統治と監視に努めましたが、次第に執事に過ぎなかった関東管領の上杉氏の方が勢力を付け、その後、鎌倉公方は幕府と対立して今の茨城県古河市まで逃れ、古河公方として、漸く、対抗するのか精一杯でした。
まさに戦国時代ですがら、何が起きるか分からない。いっときも、気が休まらない日々と生活だったことでしょう。
湯楽の里
高月城跡は、今では私有地となってしまい、本来なら立ち入り禁止区域なのですが、微かに通る農道だけを歩かせてもらいました。ぬかるんでいたので、途中滑って転んでしまいました。
この後、拝島まで行き、結局、東京多摩地区の八王子市とあきる野市、昭島市、福生市と歩きまたぎ、帰ってスマホの万歩計を見たら、2万歩を軽く超えてました。
拝島駅から玉川上水沿いにある桜並木
拝島では、駅から歩いて20分ぐらいのところに「湯楽の里」という大型銭湯があり、疲れを癒し、ついでに喉まで潤しましたが(笑)、温泉でもなく単なる銭湯なのに、入場料は910円は暴利だなあ、と痛感。おつまみもひどく不味かった。
考えてみたら、城址を散策中、ほとんど、コンビニすら商店は見当たらず、娯楽も殆どない寂しい所でした。銭湯は高額なのに、非常に混んでいましたから、この辺りは、銭湯ぐらいしか、楽しみがないのかしら?
中世の時代、大石氏の城下町として繁栄したことでしょうが、その面影さえありませんでした。
嗚呼…