par Keiryusai
こうして、毎日、休みなく、原稿料もなく、ボランティアでブログを更新しているというのに、誰にも褒められもせず、苦にもされず、寒さの夏はおろおろ歩いている渓流斎です。
とはいえ、自分のブログは棚にあげて、皆様にご紹介したいブログをある筋からご教示頂いたので、茲でご紹介申し上げます。
「文徒アーカイブス」というブログです。もし、ご興味を持った方は、是非ともご自分で検索して、ご参照下さい。正直、私は、このブログの主宰者御本人は知らない方ですし、勝手にリンクを貼られてもお困りになると思いますので、リンクは貼りません、
このブログの存在をご紹介してくださったのは、名古屋にお住まいの海老普羅江先生です。このブログの主宰者は、海老先生が若き頃、身体を張って、二次団体の若頭として勤しんでいた頃、舎弟筋(直参ではない)として御縁があったそうです。
「文徒アーカイブス」には、驚くほどマスコミの、特に出版業界の裏の裏(となると表じゃん)が暴露されております。見たら吃驚仰天しますよ。
par Keiryusai
海老先生の話によりますと、主宰者の親分筋に当たる人物が赤石憲彦という人です。もう故人ですが、実在した人物です。
赤坂にオフイスを構え、業界誌を刊行し、その筋の世界では睨みを効かせていたドンでした。あの「噂の真相」の発行人で、今は沖縄に隠遁している岡留氏は、その昔、この赤石氏の所で草鞋を脱いで修行し、その後、独立してあれだけ有名になりました。当初、同門の新島某という人物と「マスコミ評論」誌を旗揚げしたのですが、御多分に漏れず大喧嘩して袂を別ち、岡留氏は「噂の真相」を立ち上げて成功したわけです。
赤石氏は強面ですが、裏表のない人物で、俳人でもあり、終戦直後は進駐軍の通訳もしていたといわれます。ネットを検索しても出てきませんが、戦後の業界誌、総会屋の歴史の生き字引のような人だったと海老普羅江先生は言います。
par Keiryusai
ブログ「文徒アーカイブス」の主宰者今井照容氏も、この赤石氏の下で二十代の時からジャーナリスト生活を始め、全ての基本となる仕事法を、この赤石氏から学び取ったそうです。
「学ぶ」と言っても、手取り足取り教わったわけではなく、赤石氏からはただ罵倒され、殴られるだけで、仕事ぶりを横目で盗み見して真似しただけだと言います。業界誌ともなると、取材先相手からは、唾棄すべきゴキブリ扱いで、名刺を差し出すと目の前でゴミ箱に破り捨てられたことがしばしばあった、とこのブログ「文徒アーカイブス」には書かれています。
今井氏は、このような屈辱と劣悪な環境から発奮して這い上がって情報通として自らの基盤を築き上げたわけですから、そんじょそこらの大手新聞記者上がりの電波芸者とは格が違うわけです。