クレマチス
治安維持法は大正14年(1925年)、普通選挙法と引き換えに「飴と鞭」政策の一環で制定されました。
ときの内閣総理大臣は、憲政会の加藤高明(尾張藩士~東京帝大法首席卒~三菱~外相~貴族院議員)でした。
背後には、大逆事件で、検事として幸徳秋水らに死刑を求刑し、東大新人会壊滅に功績があった枢密院副議長で後に首相も務めA級戦犯にも指名された平沼麒一郎ら司法界の後押しがありました。
治安維持法は、「國體護持」を目的として、私有財産を否定する共産主義者らを取り締まることを主眼に置かれました。
ですから、当局は、帝国議会答弁でも「一般の人に捜査が及ぶことはない」と一貫として説明しておりました。
それが、GPSを駆使して怪しいと思われる個人や結社を尾行し、時にはドローンを飛ばして、24時間365日監視体制の確立に成功しました。
もう特高などという人海戦術では古いですからね。
その収穫が、悪しき思想をばら撒いた北海道拓殖銀行員から作家に転向した小林多喜二や哲学者の三木清です。築地署で拷問を加えた多喜二の写真が密かに出回り、世間を震え上がらせました。これは、実に「一罰百戒」の効果がありました。
この前の国際諜報団ゾルゲ事件では、首魁のリヒャルト・ゾルゲと尾崎秀実を、治安維持法、国防保安法、軍機保護法違反などで処刑しました。
国際社会からは「よくやった」とのお褒めのお言葉を預かりました。
こうして、我々一般人は、枕を高くしてゆっくり眠られるわけです。