江戸本所両国、迷い人のお知らせを致します

回向院

先日、江戸本所両国は回向院のことを書きましたので、是非とも一度は実際に行かなければならないですよ、との天からのお触れがありましたので、行って参りました。

回向院

皆様ご案内の通り、回向院は、明暦の大火で亡くなった10万人にも及ぶ被災者(無縁仏)を弔うために、四代将軍家綱の命で建立されました。

当時の江戸市中の人口100万人(当時の世界一)のうちの10万人(一説には10万8000人)が亡くなったというわけですから、とてつもない甚大な被害だったわけです。

岩瀬醒の墓

墓苑には、明暦の大火以外にも、安政の大地震の被災者や大正の関東大震災の被災者、それに先の大戦で、米軍による市民への無差別爆撃(東京大空襲)で亡くなった方々も葬られておりました。

他に著名人としては、浮世絵師の鳥居清長や戯作者の山東京伝、鼠小僧次郎吉らの墓もあります。戯作者山東京伝の本名は岩瀬醒。山東は、芝の愛宕山の東、京伝は京橋南伝馬町生まれから取ったそうです。
知らなかったでしょ?(笑)

鼠小僧次郎吉の俗名は?

中村次郎吉という実在人物だったんすよ。ですから、幕末の河竹黙阿弥が脚色して作り上げた人物とはちと違っていたようですが、歴史上の人物であったことは確かです。

江戸東京博物館

本当は、両国駅前の江戸東京博物館で開催中の「坂本龍馬 没後150年 特別展」を見に行くのが今回の小旅行の目的でした。(実際は、徘徊迷い人)

お目当ては、暗殺される5日前の慶応3(1867)年11月10日に福井藩の重臣中根雪江に宛てて書かれた龍馬の手紙。
その1カほど月前に将軍徳川慶喜が大政奉還したことから、新政府の財政担当として福井藩士三岡八郎(維新後の由利公正=五箇条の御誓文を起草)が適任なので、一日も早く三岡が京都に来て仕事ができるよう、藩内の手続きを進めてほしいと要請したものでした。

坂本龍馬展

異様とも言える凄い混雑で、龍馬が暗殺された時、持っていたとされる佩用刀「吉行」や暗殺現場に掛けていた血染掛軸「梅椿図」など、遥か遠くから垣間見るのがやっとでした。

特別展だけの入場料1350円は高いのでは?

すみだ北斎美術館

この後、昨年開館したばかりで、いつか行ってみたいと思っていた「すみだ北斎美術館」に行ってみました。

こう見えても、自慢ではありませんが、私は大の方向音痴なので、この美術館を探すのが大変でした。とにかく、方向音痴で、全く逆の隅田川の方まで行ってしまいましたから(笑)。

この美術館は、江戸東京博物館の半券があれば割引が効くというので、お願いしたら、割引券では、「複製」の狭い常設展だけしか見られないというのです。仕方がないので観覧料1000円也で企画展「てくてく東海道」までも見させてもらいました。残念なことに土地がないせいか、美術館にしては細いペンシルビルで、階段がなくて、四階までエレベーターでしか行けませんでした。

誰でも知っているジャポニスムを代表する「神奈川沖浪裏」や「凱風快晴」は葛飾北斎、齢七〇を過ぎた作品だったとは改めて驚かされました。しかも、北斎は満八十九歳で亡くなる直前、「あと十年、いや五年でもいいから長生きできれば、もっとうまく絵を描けるのに…」と言い残したとか。

悪いですが、文化国粋主義者みたいですけど、北斎は比類なき世界一の絵師ですなあ。

嫌になりますが、ここも混雑で、見にくかった。

吉良邸正門跡

せっかく、両国まで来ましたので、周辺の観光資源を、迷い人になりながら、全て回ってみました。(笑)

忠臣蔵 吉良邸跡

この赤穂浪士による討ち入りで殺害された吉良家の家臣小林平八郎(実際は上杉家の家臣で応援部隊)は、葛飾北斎の曽祖父だったとか。

芥川龍之介文学碑

勝海舟生誕の地

勝海舟生誕の地

芥川龍之介生育の地(生誕の地は、築地の聖路加病院の近く) JR両国駅東口からすぐ近くでした。芥川は、築地の牛乳屋さん(明治時代は冷蔵庫がないので、都心の近くに牛舎があったのです)新原敏三の長男として生まれましたが、母親フクが精神的な病を患い、母方の兄である幕臣の家系の芥川道章の養子となります。地元の両国小学校~府立三中(都立両国高校)と進み、無試験で第一高等学校に入学し、東京帝国大学で学びます。
小説家として一本立ちする決心ができたのは、師の夏目漱石の太鼓判もあったからでしょう。

漱石は、朝日新聞社の文芸欄を創設して、小説記者として活躍します。その師の姿を見てきた芥川も大阪毎日新聞社の社外社員となって、毎日に寄稿しました。

誠恐謹言

“江戸本所両国、迷い人のお知らせを致します” への1件の返信

  1. 龍馬展

    坂本龍馬展が、没後150年記念に開催されたので見てきた。
    書簡や龍馬直筆の手紙などの資料が、雅叙園・百人階段の各部屋に展示されていた。
    階段を登るごとに、自由奔放な龍……

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