「パリを燃ゆ」を読んでいたら今とここを忘れました

桂林から陽朔までの、漓江川下り Copyright par MatsuokaSousumu@Kaqua

ここ最近、大佛次郎の大長編ノンフィクション「パリ燃ゆ」を遅ればせながら読んでいましたら、自分がまるで19世紀に生きるフランス人になったような錯覚に陥ってしまい、眼前に見える光景も3年前に一人で放浪したパリの景色と重なってしまいました。

もう、共謀罪も加計学園問題も語弊を恐れずに言えば、矮小にさえ見えてきてしまいます(苦笑)。

そしてまた、語弊を恐れずに言えば、今のような戦後民主主義の時代は、どんな暴言を吐こうが、どんな反政府的言論を誇示しようが、逮捕されたり、殺害されたりは、そう簡単にはされませんよね?多分…。

しかし、ここに描かれる1951年12月2日のルイ・ナポレオンによるクーデターから普仏戦争を経て、パリ・コミューン、第三共和政に至る壮大な歴史絵巻には、虐殺と膨大な数の戦死者と殺戮が溢れています。まるで、日常茶飯事かのような出来事です。

「パリ燃ゆ」は、1961年10月から1963年9月にかけて「朝日ジャーナル」(休刊、朝日新聞社)に、1964年3月から11月にかけて「世界」(岩波書店)に、丸3年かけて連載されて発表されました。その後、単行本化され全3巻、第1巻613ページ、第2巻576ページ、第3巻506ページという長さです。

桂林から陽朔までの、漓江川下り Copyright par MatsuokaSousumu@Kaqua

思うに、昔の読書人は偉かった。当時は娯楽が少なかったせいかもしれませんが、極めて真面目な人が多かったんですね。正直、こんな本を読もうとする人や能力的に読める人がかなり多かったということでしょう。逆に言えば、今の時代の読書人の能力が劣化したということなんでしょう。

私から言わせれば、この本は、そう簡単に読める代物ではありません。第一、注釈がないので、恐らく、10人中7人は途中で挫折するか脱落することでしょう。

まるで修行僧のような苦行を強いられます。

大佛次郎の書き方も書き方です。再出にせよ、急にファーブル(昆虫学者ではない!)だの、フルーランスだのドレクリュウズだのミリエールだのと肩書もなく出てくると、「えっ?この人誰だっけ?」とついていけなくなります。(小説のように、最初に主な登場人物が列挙されていたら別ですが)

当時の読書人の教養では、登場人物は一回出てきただけですぐ覚えて、注釈がなくてもさして困らなかったということが分かります。

しかし、最近1ページ前に書かれたことまで忘れてしまう私には武器がありました(笑)。分からない、もしくは忘れてしまった人物や地名が登場すると、スマホでチェックします。例えば、国防政府のエルネスト・ピカール蔵相が、相場の下落を恐れて、ジュール・ファーブル外相と鉄血宰相ビスマルクとの秘密会談を「エレクトゥール・リーブル」紙にリークします。何でそんなことできるのかと思ったら、このエレクトゥール・リーブル紙は、ピカール蔵相自身が発行していた新聞だったんですね。

大仏次郎は、そこまで書いてくれないので、武器のスマホが大いに役立ちます(笑)。

しかし、実に面倒臭い!

桂林から陽朔までの、漓江川下り Copyright par MatsuokaSousumu@Kaqua

3年前に一人でパリを放浪した際、ペール・ラシェーズ墓地(銃殺されたコミューン兵士の墓もあり)のエディット・ピアフの墓をお参りしました。そこの最寄りのメトロ駅は、ガンベッタでしたが、それは国防政府で内相、第三共和政でも一時首相を務めたレオン・ガンベッタから付けたんですね。

また、オペラ座近くに「九月四日」という変わった名前のメトロ駅がありましたが、これも第二帝政を打倒してパリ市庁舎で共和国政府樹立宣言した記念すべき日(1870年)から取ったのです。

このほか、「パリ燃ゆ」に細民の住む労働者街「ベルヴィル」が何度も出てきますが、 これも同名の地下鉄駅があり、私も何度もこの駅は通過しましたが、なるほど、パリの山谷(東京都台東区)はここだったのか、と思った次第。

こんなことは、フランス人なら小学生でも誰でも知っているありふれた知識だというのに、3年前はそんなことも知らずにほっつき歩いていたとは我ながら情けない。

これではまた、パリに行くしかありませんね(笑)。

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