「『天皇機関説』事件」を読んで

 中国・四川省黄龍溝 Copyright par Duc MatsuokaSousumu sousai

山崎雅弘著「『天皇機関説』事件」(集英社新書)を読了しました。

せっかく、19世紀フランスのパリをふらついていたのに、一気に戦前の日本に戻ってきてしまいました。

 本書では、昭和10年(1935年)2月18日、今の東京・霞が関の経産省辺りにあった帝国議会仮議事堂(翌年に今の国会議事堂が完成)での貴族院本会議で、菊池武夫議員(男爵、元陸軍中将)による憲法学者美濃部達吉への排撃演説をきっかけに半年にわたって続いた政治的弾圧事件を詳細に描いております。(天皇機関説事件とほぼ同時進行で起きた「国体明徴運動」も)

 美濃部攻撃の陰の仕掛け人として、「京大滝川事件」で名を馳せた国粋主義者蓑田胸喜(みのだ・むねき=戦後自殺)が挙げられています。蓑田は、美濃部の論敵上杉慎吉東京帝大教授らが立ち上げた右翼団体「興国同志会」に参加し、同会が発行する雑誌「原理日本」で、盛んに美濃部批判を展開しておりました。

 もう一人の陰の仕掛け人は、後に首相となる平沼騏一郎・枢密院副議長で、美濃部が天皇機関説を信奉するきっかけとなった東京帝大の師であった憲法学者の一木喜徳郎(いちき・きとくろう)枢密院議長が平沼にとっては憎きライバル関係にあったため、平沼の目的は、一木~美濃部ラインの追い落としと抹殺にあったようです。

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 天皇機関説とは、簡単に言いますと、「国家を法人とみなし、君主(天皇)はその法人の最高機関と位置付け」、「君主(天皇)の権力(主権)は、憲法の制約を受ける」というものです。これに対する言葉は「天皇主権説」で、天皇の主権は絶対で、憲法の制約を受けないという考え方です。提唱者は、穂積八束、上杉慎吉東京帝大教授らがその代表です。

 天皇機関説は、美濃部達吉博士の発明かと、思っていましたら、実は、事件が起きる半世紀も昔の明治19年(1886年)、ドイツなどに留学して帰国して帝大教授となった末岡精一の講義が最初だと言われています。
 
 つまり、菊池元中将が美濃部を弾劾するまで半世紀近く、その中でも特に明治時代前半は「天皇を絶対的な『神』と同一視する風潮はなかった」(69ページ)と言います。なぜならその当時、天皇という存在は、国民の大多数を占める一般大衆(公家や武士以外の身分)には縁のない存在で、国の支配層が望んだような天皇に対する敬意や親近感が浸透していなかったからだといいます。

 昭和天皇自身も、美濃部排撃が高まっている最中の昭和10年3月29日、本庄繁侍従武官長に対して、「(大日本帝国)憲法第4条の、天皇は『国家の元首』云々は、すなわち機関説である。これの改正を要求するとすれば、憲法を改正しなくてはならなくなる」などと述べられ、天皇機関説を排撃する必要性を認めていなかったといいます。

軍部からの執拗な美濃部攻撃の背景には、それを遡る5年前の昭和5年のロンドン軍縮条約締結後に巻き起こった「統帥権干犯問題」事件がありました。

この時、美濃部達吉は、徹底的に陸軍を批判して、軍人の面子を失わせるほどの反論を試みました。これが軍部の「美濃部憎し」の怨念に繋がったようです。

昭和に入ると、富国強兵の下、日清日露の戦役等を経て、教育勅語の効果もあり、天皇を現人神として絶対視する主権論が漸く一般大衆にも浸透してきた頃でもありました。

天皇機関説=美濃部排撃運動に加わった軍部、在郷軍人会、右翼、国粋主義者らは同時に「国体明徴運動」も進め、それらは皇道派による昭和10年の相沢事件や翌年の「二・二六事件」の思想的バックボーンにもなるのです。

二・二六事件で、惨殺された渡辺錠太郎教育総監(昨年亡くなった「置かれたところで咲きなさい」の著者渡辺和子氏の実父)は、天皇機関説については訓示などで一定の理解を示していたため、皇道派らに睨まれていたのですね。不勉強で、この本で教えられました。

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美濃部排撃運動が開始された昭和10年と言えば、治安維持法が施行(1925年)されて、ちょうど10年後のことです。

森友学園問題、加計学園問題疑惑が解明される前に、数に物を言わせた安倍独裁政権がこのほど共謀罪を成立させましたが、今から10年後の2027年はどういう時代になっているでしょうかね。

悪い西洋的な個人主義、自由主義の否定と超国家主義の復活。朝な夕なの教育勅語と軍人勅諭の朗唱。反政府主義者弾圧事件でも起きるのでしょうか?

あたしゃ、早めにタイムマシンに乗って、18世紀のウィーンか、19世紀のパリ、もしくは1960年代のロンドンに戻るつもりです。

“「『天皇機関説』事件」を読んで” への1件の返信

  1. タイムマシンでベルサイユ会議へ
     故あって、半年ほど御日乗から離れておりました。相変わらずの、手あたり次第に切りかかるまるで薩摩の示現流のような太刀さばきには恐縮至極でござります。

     タイムマシンの旅なら、第一次大戦後のベルサイユ会議などいかかでしょうか。
     ??『戦争を始めるのは誰かー歴史修正主義の真実』(渡辺惣樹・文春新書・2017/1)
    本書は、後知恵で作られた「連盟国史観」を疑い、当時の政治情勢を生きた形で再現することに成功しています。ベルサイユ体制、ヒトラーの出現、スペイン市民戦争、満洲国建国などまさに「目から鱗 」です。

     スペイン市民戦争では、ソ連の共和国側への冷やかな対応に対し、これまではトロツキズム(世界革命)側からスターリン(一国社会主義)批判の文脈で、すなわち「裏切られた革命」という形で語られてきましたが、本書はこうしたイデオロギーから自由な視点でヨーロッパ情勢を分析してiいます。「ゲルニカ」というプロパガンダについても。
     満州国建国も「侵略」という皮相な解釈を超え,、「連合国史観」にとらわれず、当時の国際情勢を内側から説いています。

     あわせて『日本が果たした人類史に輝く大革命』(ヘンリー・S・ストークス/植田剛彦 自由社 2017・4)も。対談本なので、記憶違いが2か所あったり、水っぽい議論に流れがちですが、「連合国史観」からの脱却というアウトラインはうまく点綴されています。

     二書をお勧めしたのは、渓流斎先生ほどの剣の使い手(えっ、おれのこと!)なのに、腰が左に傾いているのが気にかかるからです。
     ときに戯作者流に身をやつしながらも、結果的にチョウニチ新聞という、はじめに結論ありきというプロパガンダ紙と同じ論調に陥っているのを遊子は悲しんでおりまする(笑)。

     戦後はや七〇有余年。「連合国史観」の脱構築を!かといって、皇国史観や帝国陸海軍を下名はすべて肯定しているわけではありません。念のため。

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