秩父の謎と葦津珍彦とGHQの3S政策と伝統文化の絶滅

大連の夏祭り Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 昨日NHKで放送の「ブラタモリ」埼玉県秩父編を見ていましたら、色んなことを考えさせられました。

 何しろ、秩父といえば、日本の高度経済成長を支えたセメントの材料の石灰岩の供給地(武甲山)です。その石灰岩は、サンゴ礁からできているんですね。そうなると、埼玉県どころか日本列島全体は、大昔はまだ海だったということになります。

 番組の解説では、2億年ぐらい前に、ハワイ辺りにあった海底火山が噴火して、冷えて固まった溶岩の上にサンゴ礁ができて、そのまま長い年月をかけてプレートが移動して、日本列島にまで辿り着いて、当該のサンゴ礁石灰岩が今の埼玉県辺りにまでもぐって隆起した(これが武甲山)らしいのです。

  日本列島は太古の大昔は大陸と陸続きだったという説もあり、2億年前、3億年前の話になると、全く想像を絶します。

 しかし、「万物は流転する」ことは確かであり、これからの将来、2億年も経てば、今の日本列島が実在するかどうかさえも怪しくなってきますね(笑)。

 まあ、その頃、人類自体が生き延びているかどうか、分かりませんが。
 大連の夏祭り Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

でも、こんな太古からの自然で出来た溶岩や断崖が信仰の対象となり、「秩父三十四所観音霊場」ができて、江戸時代には月に4万5000人もの観光客(四国霊場巡りなどを上回る日本一)が押し寄せたという話ですから興味がそそります。

もう一つ、秩父盆地は稲作に適さなかったので、桑の木を植え、養蚕業、絹織物産業が発達し、大正時代にその頂点に達します。

「秩父銘仙」といって縦糸しか通さない独特の織物技法のため、染色すると裏も表と変わらないほど色鮮やかに染まり、大流行したそうです。

残念ながら、日本人は着物を着なくなりましたからね。「復活」は無理にしても、また少し見直されていくといいなあと思ってます。

 大連の夏祭り Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

京洛先生のかつての後輩だった故中川六平氏が編集した鶴見俊輔座談「近代とは何だろうか」(晶文社)をやっと図書館で借りられて少しずつ読んでいます。1996年4月25日初版ですから、もう20年以上前に出版されたものでした。

この中で、京洛先生お勧めの葦津珍彦(あしづ・うずひこ)との対談「尊王攘夷とは」を読んでみました。初出は鶴見らが主宰した「思想の科学」1968年4月号です。ちょうどこの年は、「明治百年」という節目の年で、記念行事が国事行為として行われました。

そう言えば、来年は「明治150年」という記念すべき年なのに、来年、国事行為を行うとかいう話は聞こえてこないですね。どうしたのでしょうか?

葦津珍彦(1907~92)も今ではすっかり忘れられた神道思想家です。今の右翼を自称する人たちでさえ知らないのではないでしょうか。彼の凄いところは、神道思想家でありながら、戦時下の国家神道を否定して東条英機内閣の戦時特別刑法改正に反対して、特高にマークされていたことです。

この対談によりますと、葦津珍彦は戦時中、田辺宗英が経営する「報国新報」の実質的な編集責任者を務めていました。

この田辺宗英は、記憶力の良い皆様方は覚えていらっしゃると思いますが、この渓流斎ブログでも取り上げております。(2016年8月23日「高橋ユニオンズ」など)阪急の鉄道王小林一三の異母弟で、後楽園ホールを作り、初代日本ボクシングコミッショナーにもなった人でしたね。

葦津珍彦は、戦時特別刑法改正反対していたため、田辺に迷惑をかけてはいけないと判断して、当局に目を付けられた報国新報を退社するのです。

「わたしは外国流のリベラリストでもなければ社会主義者でもありません。土着の神道人です。ですから、ドイツ観念論で反訳解釈した官製のような国体神道論がいやで、当時の権力には協力できなかった」と言います。

しかし、原爆を投下しながら公平な文明の裁判官として振る舞う米国の偽善を目の当たりにして、戦後は一転して、「その米国人が敵視している『国家神道』を守ると決断した」と言います。

そして、面白いことに「GHQの態度は公式的に厳しかったですが、正直に告白すると、わたしが見た満洲支那占領中の日本官吏より物分かりのいい連中でした。…彼らは私的感情や憎しみで権力を乱用することは決してなかったのです」とまで言うので、私なんか意外に思ってしまいました。

表題になった尊王攘夷についても「明治維新を生み出した精神の尊皇とは、日本の固有文化を確保し発展させていこうということで、今日流のことばで言う天皇一家の尊重だけのことではないのです。攘夷とは、その根本に立っての積極独立ということで、日本の土着の固有文化を破壊しようとする勢力に抵抗することでもあるのです」と発言しております。

私は右翼でも左翼でもありませんが、日本の固有文化を守ることに関しては深く共鳴しますね。

最近、再び能楽に興味が湧き、古い本を書庫から見つけて驚くことがありました。その本は、20年ほど前に買った「能楽ハンドブック」(三省堂)という本ですが、そこ挟んであった栞に、1997年10月1日時点の日本能楽協会の正会員が1421人とありました。
それが、20年近く経った2016年6月末の時点で、783人にまで減っていたのです。つまり、20年で能楽師が半分近くに減少したことになります。

こういうのが日本の固有文化の危機と言わずに何と言いましょうか?

かつて、GHQによる「3S(Screen, Sports, Sex)政策」といった陰謀論が流行りましたが、固有文化の破壊勢力は外部にあるのではなく、案外、内部に潜んでいるのかもしれません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

旧《溪流斎日乗》 depuis 2005 をもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む