熊野神社
昨日、能楽師がこの20年で半減したことをこの渓流斎ブログに書いたところ、大阪にお住まいの堂島先生から「今や能楽は、絶滅危惧種ですよ」と書かれた以下のメールを頂きました。
…聡明な渓流斎居士も御存知のことと拝察致しますが、大阪の能楽会館も年内で閉鎖されます。施設の老朽化が理由になっていますが、全ておカネが無いからです。
漫才師や落語家は増えても、能楽師もどんどん減っていて、朱鷺やパンダ以上に絶滅寸前ですね。
CMに出て稼いだり、くだらないテレビのバラエティーショウに出演する”三文能楽師”は目立ちますが、能楽は、家に喩えれば、肝心の屋台骨は傾き、いつ、ひっくり返っても、おかしくないのです。
「伝統文化を守る」とか、「世界遺産は、なんたらカンタラ」とか色々言いますが、「金儲け」にならないものはすべて捨て去られ、廃棄処分になるのが今の時代です。
何とも情けない時代に生きているものです。
東京・銀座の新ビルに綺麗な「能楽堂」ができたと喜んでいても、その内実、舞台裏はお寒い事情を抱えていることでしょう。…
うーん、なるほど、パンチが効いているといいますか、シニカルな観察眼は相変わらずです。
もう、30年近い昔ですが、今では見る影もないフジテレビが視聴率で三冠も五冠も獲得して飛ぶ鳥を落とす勢いだった頃です。
当時、有名な敏腕プロデューサーのY氏とお会いしてお話を伺う機会がありました。今でも覚えていることは、彼の「才能は金がある所に集まる」という一言でした。
当時は、トレンディードラマとか呼ばれるものが大流行りした頃で、テレビ界には、タレントや歌手、俳優だけでなく、才能溢れる脚本家や振付師、コント作家、カリスマ美容師、ファッションデザイナー、空間プロデューサーまで犇いておりました。まるで蜜に群がるヒアリのように(笑)。
能楽は、その起源は飛鳥時代辺りの猿楽まで遡ることができ、それを伝えたのが秦河勝だという説があります。京都太秦の広隆寺(弥勒菩薩)を創建した秦河勝は新羅(現韓国)からの渡来人でしたね。(渓流斎ブログ2016年5月24日「今来の才伎」などご参照)
観阿弥も秦河勝の子孫だと自称します。
能楽は室町時代の観阿弥、世阿弥親子が大成しますが、それから以後は、信長、秀吉、家康を始め、何れも諸国大名によって庇護されます。
能楽五流派の一つと言われる宝生流は、東京・水道橋に立派な能楽堂があり、石川県にもかなり多く宝生流が伝えられています。何故かと言うと、加賀前田藩が宝生流を庇護していたからなんですね。
維新後、能楽が没落してしまったのは、そのパトロンの大名が職を失ってしまったからです。
それでも、能楽は、細々ながら伝統芸能の根を絶やさないように、関係者一同が、先祖伝来の家宝の面などを売ったり、歯を食いしばったりして頑張ってきたから続いてきたという事実があります。
それなのに、資本主義の原理のせいか、次々と淘汰されてしまったのが現状なのです。
恐らく、「才能は金がある所に集まる」という原理も働いたのでしょう。
今読んでいる鶴見俊輔座談「近代とは何だろうか」(晶文社)の中で、白州正子が「女にはお能が舞えないことが、わたし、五十年やってきてやっと分かりました。あれは男色のもので、男が女にならなくちゃだめだって。精神的にも肉体的にも…」と告白していたので吃驚しました。
白州正子は、このほか、保元平治の乱も承久の変も、 「院政時代は全部男色の取りっこのけんかなんだそうです」という説も唱えておりました。
これまた、腰を抜かすほど驚きましたよ。