猛暑の中、米国のテレビ放送権のために東京ではオリンピックをやっているようですが、それより、私自身、さすがに食欲も落ちてきました。
暑い時には何を食べたらいいのか?
真っ先に思い浮かぶのは、カレーですが、そうしょっちゅう食べてもいられません。そうだあ!ベトナムにしよう!猛暑のときは、東南アジア料理が一番です。先日、銀座のカレー屋さん「アナム」に行った時に、近くにベトナム料理店を見つけたので、今日はそこに行ってみよう!
でも、まさか、本日のブログのテーマも「銀座のランチ」じゃないでしょうね? ジャーナリストを自称しているのなら、少しは社会問題、国際問題、経済問題に触れたらどうかね?
…そんな声が聞こえてきそうですが、皆様のお声はしっかり心の内に受け止めて、誠心誠意、皆様の安心安全を留意しながら遂行していきたいと存じます。
これでも、結構、ランチを求めて、銀座の隅々を歩いているつもりですが、このベトナム料理店「ニャー」を知ったのは初めてでした。結構、広いお店で、銀座にあるベトナム料理専門店の中でも一、二を争う広さかもしれません。単に私だけが知らなかっただけで、知る人ぞ知る有名店かもしれません。
まあそうなんでしょう。私が入店したときは、30~40人のお客さんがいたでしょうか。緊急事態宣言下なのに、店内は超満員でした。(12時45分を過ぎると結構空きました)
ベトナムには、ハノイ、ハイフォン、ホーチミン、ビンズオンなど仕事と旅行で何度が行ったことがあるので、私はベトナム料理は大好きです。早速、フランスパンのサンドイッチ=バインミーとシーフード・フォーのセットのランチを注文しました。
あれだけ食欲が減退していたのに、食が進みました。懐かしいベトナムの味です。バインミーには私の嫌いなパクチーが入っていましたが、これぞ、ベトナムといった感じでした。
ベトナムの思い出と言えば、私の世代は悲惨なベトナム戦争のイメージが強いのですが、6~7年前に初めてベトナムに行った時は、戦争の惨禍は、ホーチミンの「戦争証跡博物館」に行かなければ分からず、街中は、非常に綺麗で清潔感があり、非常に驚いたものでした。(ただし、街中はバイクだらけで、通りを渡るのも一苦労でした)当時、ベトナム人の平均年齢は27歳だとかで、若い人でいっぱいでした。でも、逆に言えば、年配者は戦争で亡くなっていたということなのでしょう。また、旧宗主国だったフランス語が全く通じなかったことも少し驚きでした。
で、これで話が終わってしまっては、「なあんだ、また、銀座ランチの話かあ」なぞと、何や、かんや言われそうなので、追加を書いておくことに致します。
今朝の毎日新聞を読んでいたら、国際オリンピック委員会(IOC)会長のバッハさんは、目下、1泊300万円の東京・ホテルオークラのスイートルームにお泊りになっていることを知りました。1泊250万円に値引きしたという説もありますが、割引は、滞在が1週間や10日ではなく、まあ1カ月ぐらいにはなるからでしょう。30日で7500万~9000万円ですか。…まさに、王侯貴族並みですね。失礼、彼は既に「ぼったくり男爵」として有名な「貴族」でした。
私は「東京五輪強行開催のせいで」と言いたいのですが、コロナウイルスの急激な感染拡大が止まりません。7月31日は、東京で、ついに4000人超えの4058人が感染者を出しました。もう皆さんお忘れでしょうけど、東京五輪開催が1年延期された昨年3月24日の時点で、東京都の新たな感染者数はわずか17人でした。
あんとき17人で大騒ぎしていたというのに、4000人超えても冷静な東京人は、もう感覚が麻痺しているというほかないでしょう。
私は東京五輪開催前から感染拡大の恐れがあることをこのブログに書いてきましたが、何を書いてももう無駄な気がしてきました。そのうち、変異した「東京株」が世界中に蔓延したとしても、1泊300万円のスイートルームに泊まっているIOC貴族は絶対に責任取らないでしょうからね。
それにしても、1泊300万円なんて、何が御用意されているのか想像もつきません。ワインセラーには1本200万円のロマネコンティが、当然のように「飲み放題」で鎮座しているんじゃないかと想像しますが、庶民の想像の限界はそこまでです。
感染拡大の最中でもメダル獲得の嬉々とした報道を煽り
費やしてしまった巨費をコロナに纏わる医療に有効活用できない政府
そうまでして阿らなければならないIOC 一体何なんでしょうか
天皇陛下、開会宣言時 着席のまま敬意を表すことすら忘れている始末 IOC様さまの意識が顕在化したように見受けられました
閉会式の頃までには更なる状況悪化が予想されます
太平洋戦争時の政府や報道なども同様だったのでは そう邪推しています
村井様 コメント有難う御座います。
近代オリンピックを創始したのはフランスのクーベルタン男爵ですが、その大いなるきっかけは、フランスが普仏戦争で敗れたことにあったようです。フランスの若者をスポーツで鍛えて、隣国プロシアに負けない強国にし、国際的ステータスを高めようという目論見です。つまり、近代五輪とは、貴族による政治的野心の賜物ということになります。