「おやおや、またですかああ!」といった感じです。
3月20日午前10時53分頃、福岡・佐賀で震度6弱の大地震がありました。
九州北部の地震は1898年の糸島地震(マグニチュード6・0)以来107年ぶりとのことですが、今回のようなマグニチュード7・0の規模となると、1700年以来305年ぶり、らしいのです。これはこれは大変な事件です。これだけの年月が経てば、地震に対する備えも免疫も殆どなかったことでしょう。建物が紙くずのように崩壊している写真を見て、改めて胸を痛めた次第です。
実は、渓流斎の遠い祖先は久留米出身のため、福岡、佐賀には沢山の親戚が住んでおります。大変心配でしたが、どうやら大過なく、無事のようでした。
寺田寅彦先生の「天災は忘れた頃にやってくる」というのはあまりにも有名な言葉ですが、これでは、「天災は忘れなくてもすぐやってくる」ではないですか!
ある地震学者が、日本列島は豆腐のような柔らかい土壌に乗っかっており、そこに大きな地震が来ればひとたまりも無い」とおっしゃっておりましたが、本当に、杞憂どころか、憂いても憂い過ぎることはないと言うべきです。大都会・東京に地震が来たら本当にどんなパニックが起きるのか、想像するだに恐ろしい。
ところで、1945年3月10日の東京大空襲で約10万人の無辜の民が犠牲になったことをご存知でしょうか。「紙と木で出来た日本の玩具ののような家屋を破壊するには、爆弾などいらぬ」と焼夷弾で東京の東京の下町を火の海にする計画を策略起草し、実行したのが、米空軍のカーティス・E・ルメイ将軍です。作家の深田祐介氏は「ルメイは東京大空襲で十万、広島原爆投下で二十万、長崎で八万と、全国各都市を含め四十万以上の民間人を殺害しているのだから、もし日本が勝っていたら、間違いなく戦犯として絞首刑になった人物である」と断定しています。(月刊「文芸春秋」2月号)
まさに、鬼畜米英。アメリカ憎し、といった感情がここ数週間、吾人の頭の中を占拠していたのですが、今日始めて、1923年の関東大震災の際に、アメリカ人が現在のレートに換算すると実に400億円もの義援金を日本に送ってくれた、という歴史的事実を知り、当然のことながら、アメリカ人の中には、本当に心優しい人もいたんだ、ということを改めて認識したのです。
人を人として理解するのは本当に難しい。