久しぶりの痛飲=S氏の御先祖様は幕臣旗本だった

 J’ai mal aux cheveux.

 上のフランス語は、直訳すると「私の髪の毛が痛い」、もしくは「私の髪の毛の調子が悪い」ですが、これで「私は二日酔いだ」という意味なんです。フランス人の思考回路はよく分かりませんね(笑)。

 ともかく、昨晩は久しぶりに居酒屋さんで痛飲したため、本日は「髪の毛が痛い」です。

銀座「竹の庵」竹の庵膳1200円

 専門家は「感染拡大の第6波は必ず来る」と警告しておりますが、ここ半月、コロナ感染者数も減っていることもあり、間隙をぬって、呑兵衛の友人と少しずつ夜の街に繰り出しています。昨晩のお相手は、今年8月に「中野学校全史」(論創社)を上梓されたノンフィクション作家の斎藤充功氏でした。履歴はオープンにされているので、書いてしまいますが、1941年、東京市小石川区生まれです。名門都立小石川高校、旧制府立五中卒業の60年安保世代です。何と、御年80歳なのですが、頗るお元気で、「私は100歳まで生きますから、大丈夫です」と豪語されておりました。

 序に、 「中野学校全史」 の著者紹介欄には「東北大学工学部中退。陸軍中野学校に関連する著者が8冊。共著を含めて50冊のノンフィクションを刊行。近著に『ルポ老人受刑者』(中央公論新社)。現在も現役で取材現場を飛び回っている。」と記されています。陸軍中野学校創設者の一人である「日本のスパイ王」秋草俊の足跡を追うために、今でもベルリンに取材旅行を計画されているというので、本当に頭が下がります。何しろ80歳ですからね。

 高齢になると、記憶力も気力も落ちるものなのですが、斎藤氏の場合、頭脳はいまだに明晰で元気溌剌です。何でかなあ…、と思いつつ、雑談していると、「何あんだ、遺伝だったのかあ」と分かりました。

 斎藤氏の大正生まれの御尊父は陸軍士官学校~陸軍大学卒の超エリート軍人(戦後は、自分の軍人恩給は、亡くなった部下の遺族に渡していたそうです)。明治生まれの祖父は、海軍兵学校卒で最終階級は海軍大佐。江戸幕末生まれの曽祖父は、何と幕臣で、しかも、六百石扶持の馬廻役の旗本だったというのです。これには吃驚です。血筋が違う。身分が違う。昔だったらお目見えできない人でした。

鎌倉「龍口寺」 本堂

 斎藤家の菩提寺は、日蓮が処刑されそうになった鎌倉の龍口寺だというのです(私も昨年9月、お参りに行きました)。墓石を新調するため、先祖伝来の宝刀を売却したそうです。斎藤氏の御尊父が中国大陸の総軍である支那派遣軍に赴任した際、長刀は紛失してしまったので、その宝刀とは残った脇差の方でしたが、それでも500万円の値が付いたそうです。やはり、旗本は違いますね。

 もっとも、御本人はノンフィクション作家として中野学校の「生き残り」の人たちを捜して熱心に取材していたというのに、自分の先祖についてはいまだに詳しく調べていないというのです。「駄目じゃん。斎藤さんは凄い人かと思ったら、御先祖様の方がもっと、もっと凄いじゃないですかあ」と、酔っ払った私は、何度も何度も80歳の老人の肩を小突いてしまいました(笑)。

銀座「魚金」おまかせ握り定食1280円

 二人で呑んだ居酒屋は、東京・赤羽でも有名な「まるます家」。少し外で待たされ、入店して色々と注文したら、「午後7時で閉店します」と言われてしまいガッカリです(その代わり朝の11時開店だそうな)。イカフライが旨かったですが、メニューも以前と比べて随分少なくなっていました。

 それでは、二軒目に行こうということになり、城山三郎の「毎日が日曜日」のモデルになったと言われるOK横丁の「八起」を目指したら、いくら探してありません。「おかしいなあ」と思いつつ、店先に立っていた呼び込みのお兄さんに聞いたら、「ここがそうでしたよ」と言うではありませんか。「魚友」という店でしたが、3年前に「八起」の経営者が代わって、店名も変わったというのです。勿論、二軒目は、この店にしましたが、諸行無常ですね。

 斎藤さんとは今後、定期的に飲み会でも開くことに致しました。御相伴されたい方は、御都合が合えば、御一緒にどうぞ(笑)。

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