ミャンマーで得度した日本人僧侶

今日は、ミャンマーで得度した日本人僧侶に会いに行きました。

この人はどういう人で何という名前かは茲では記しません。知る人ぞ知る人で、知らない人は知らないし、必要とする人は神のように崇めるでしょうが、必要としない人は、すれ違っても目に入らないか、素通りしてしまう人です。

その辺は、つまり、自分自身のことは、彼は十分すぎるくらい分かっているようでした。
「私は、よく新興宗教に間違えられます。そりゃあ、私どもの仏教は、まだたった2500年しか経ってませんからね」と、逆説的なことを言えば、
「私は教団を持たなければ、弟子もとりません。寺もなければ、定住する家もありません。私を必要とする人の元へ、世界中を駆け回っているだけなのです」と言います。

ですから、最初の講和の出だしは奇抜でした。神聖な御言葉が聞かれると思ったら、「私はホームレスです」。もちろん、半ばジョークですが…。

昨年末に大被害があったスマトラ沖地震では、世界中から支援物資が届きましたが、その殆どが一番困っている現地の人に行き渡ることがなく、食物は腐り果てていた、と彼は糾弾していました。
物資を運ぶにも、現地の小童役人が小遣い稼ぎに税金を掛けているそうなのです。

私も今回は、ユニセフの募金をしましたが、彼は「東京のユニセフの支部に行ってごらんなさい。建物のあまりにもの立派さに驚くでしょう。そんな支部でも、みんな、天下りの役人が居座っているのです。だから、皆さんが、1000円募金したとしても、何十円しか現地の人に行き届かないのです」と暴きます。

私は彼のことを、世間から隔離して生きて、瞑想に耽ってばかりいる人だと思っていたのですが、なかなかのジャーナリストでした。「最近、子供が親を殺したり、日本では悲惨な事件が多すぎる」と嘆いていました。

私は、彼と個人面談をして、こう言われました。

「私がアドバイスしなくても、もう自分で答えが分かっているじゃないか。自分ではどん底と思える今の境遇でも、本当は一番のチャンスなんだぞ。できないことを無理してやろうとするから悩むんだ。自分の嫌なことをやっているから、自分を生かしきれていないんだ。できることをやっていれば、いい。そうすれば、いいことが、後から木の葉のようについてくる」

この続きはまたいつか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

旧《溪流斎日乗》 depuis 2005 をもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む