最近、朝、目が覚めた時に襲われる胸の苦しみが薄らいできました。
理由は分かりません。開き直ったのかもしれませんし、諦めたのかもしれません。ただ一つ、考えられることは、心の持ちようです。
簡単に言いますと、今の自分を、現在の状況に置かれている自分を肯定するようにしたことです。例えば、仕事がうまくいかなくても、「仕事がうまくいかなくて悩んでいる」自分を肯定するのです。私は、神経がピアノ線のように細いせいか、すぐストレスが胃腸にきてしまいますが、それも、「これでいいのだ」と肯定するように心がけたのです。
「自分を愛する」と言う言葉は、日本人にとって口に出すことは気恥ずかしいのですが、他人の迷惑を顧みない自己中心主義と一線を画した意味で「自分を愛する」ことは大切なことなのだと最近になって気づき始めました。
振り返ってみれば、私自身は、随分と「自己否定」して生きてきたものです。「自分は駄目なんだ」とか「自分は最低だ」とか…呪詛の言葉は色々です。思えば、それは多感な時代に影響を受けた作家の太宰治の影響かもしれません。彼は38歳で心中自殺をしています。35歳で自殺した芥川龍之介や無頼派と言われた檀一雄や45歳で割腹自殺した三島由紀夫や48歳で急死した坂口安吾、そして何と言っても49歳で病死した夏目漱石に多大なる影響を受けました。皆、早死です。いつの間にか、自分も彼らの生き方に憧れていました。若い頃は、自分が長生きするわけがない、と思っていました。
しかし、「自己否定」では、政治にしても、ビジネスにしても、芸術にしても何も生まれません。ある人の説によりますと、「自己否定」すると、周囲に自己否定する人間が集まってくるそうです。仕事がうまくいくわけがありません。「自己否定」の観念は多感な時代のその人の「ヒーロー観」から影響を受ける、と分析されてしまいました。
逆に「自己肯定」すると、プラス志向の人が周囲に集まるようになり、仕事も日々の生活もうまくいくようです。
胸の「痛み」は私に何かを気づかせようとした信号だったのかもしれません。