親切な文房具屋さん 

[米軍基地問題] 稲嶺知事が不満表明 普天間移設「相いれない」 – goo ニュース

会議のため、東京に出てきています。

銀座で買い物をしました。来年用の手帳のリフィルが欲しかったのです。

「KNOXBRAIN」という「高級」手帳です。3年前にこの店で買ったので、他にリフィルを売っている所を知らなかったのです。

すると、お目当てのリフィルだけが、売り切れていました。
「来週なら入荷するんですが」と店員。

「いや、実は北海道に住んでいて、今、会議で東京に来たもので…。来週なら無理ですね」と私。

「それなら、在庫を切らしていたこちらの手違いということで、送料無料でお送りしますよ」と、信じられないことを言ってくれたのです。

リフィルは840円です。100円分の割引券があったので、わずか740円でした。
それでも、わざわざ北海道にまで宅急便で送ってくれるというのです。

いまどき本当に珍しい話なので、この文房具店の名前を公開します。

銀座2丁目の「伊東屋」です。

どなたもご存知でしたね。

“親切な文房具屋さん ” への2件の返信

  1. 告白
    不思議である。
     今まで 何を見てきたのだろうか?
     
     「私は私」といえ自分と一つになる感覚からか、
     廻りの人に 今まで感じていたものが 錯覚だったように思えるのである。
     勝手に見たいように 見ていたようだ。
     
     「私は私」とは 今が最高である。ということ。
     人に対して不完全に見えていたものが
      「そのままで 完璧!」と感じるのである。
     どんなにその人が 悩み苦しんでいても
     そのままで 愛そのものと感じるのである。その姿 今のそのままで美しいと感じるのである。
     本人が気づいていようがいまいが関係ないのである。まさしく 神聖ないのちなのだ。
     全てがである。
     
     神聖になる努力はいらない。すでに神聖であるのだ。
     もっているのである。そして 本人も知らぬ間に神の行為をしているのである。自覚はいらないのだ。
     見える世界が 変わってしまったようだ。
     人に対し なんと余計なことをしてきたことだろう。。。。反省するが 気づいた自分を褒めてあげよう。
     
     私の愛する人に関しても例外ではない。
     今以上も以下もないのである。
     すごい勘違いをしていたのだ。
     私よりも ずっとエゴは削りおとされていて 愛の光を放っていたのである。
     蝋燭は自分の光は見えない。本当にそうなのであろう。。。
     なんてこった!という以外ない。
     確かに 彼と出会ったときは、苦しそうに感じた。
      ここを楽しんでほしい!と純粋に心から思った。ここを愛していたからである。
      そして 本当に楽しんだ。
     
      でも、本当は今ここを楽しむ彼の姿に私自身が救われていたのである。
      
      彼がそのままでいてくれたことが
      私を 癒して導いてくれることだったのだ。
      彼はすでに 愛そのものだった。
      彼自身が気づいていなくても
      
     だから 一緒にいるだけで 包まれ安心し気づかされてきたのだろう。。
     
      そして今日はこんなことも 思い出してた、
     2年前 はじめてみた映画ライフイズビューティフルを。
     
      主人公の父親に「これぞ 理想の人!」と感じ 神様にお願いしたのだった。
     
     私は いやきっと誰もが心から強く願ったものは 叶うのであろうが、
     自分も そうだったようだ。今までにも幾度と その体験はしてきたが これには気づかなかったのである。
     心の底からのわきあがるものは確かなことかもしれない。
     最近知ったのであるが 彼はまさしく あの父親そのものなのである。
     多分本人に話しても 認めないかもしれないが 悲しみも 笑いに変えるそのことが実に 天才的なのである。
      その笑いの裏には どんな悲しみがあるか計り知れないが 彼の強さであり 愛の行為なのである。悲しみきった人は 笑うしかなくなるのかもしれない。やりきったら どんな苦悩も 愛の力になるのかもしれない。
     はたまた いろんな恋愛をしてきたが
      今までの人、全ての好きなところ素晴らしいところを 統合したような人なのである。
     共通は とにかく優しいというところだが、
     とてもピュアな魂、心 そして感性も兼ね備えた人であるのだ。
     私の不得意な 地道な努力にも 脱帽であるのだ、
     そして何よりも美しいのである。
     ここに ジョンに始めて出会った時のオノ・ヨーコの言葉を記したいと思う。
    「とても繊細で美しい生き物」
      「同感!!」と叫びたいのだ!
     おじじがいっていた「森に惚れ込んだ」という言葉で 以前は羨ましいと感じたのだが 今は 私なら心底いえる。
     「彼に惚れ込んだ」と。
     「彼に出会えた事を心から誇りに思う」と。  
     愛は愛を生む。 そして広がってゆく。。
     愛で繋がってゆく。。
     何度 口にしてきただろう。
     やっと 実感している。
     胸をはっていえる。
     全ては 自分を愛することから始まると。
     今を認め 包むのだ。 その愛は近くの人へとどんどん繋がり 世界へ広がってゆく。。。
                感謝!!!
        
     
     
     
     
     
       

     どう変わったかは あえて書かないが
      ただ いえるのは「私は何もしていない」ということだ。自分でいること以外にである。
     
     
     
      
     
     
       
     
      
     
     
     
     

  2. 福を呼ぶ

     エゾリスさんの話といい、 嬉しいことが 起きていますね。
     
     きっと どんどん起きてきますよ!
     流れにのっていますからね。
      ご先祖様 多の皆様方 ありがとう!
                 合掌
      

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