私は斯くの如く聞きました。
怖れとは、幻です。
怖れとは、勝手に自分で作っているものなのです。
「こうなったら、こうなる」「こうすれば、こうなる」と自分がこれまで捉われていた過去の体験を反映しているのです。
つまり、過去に執着しているだけなのです。
怖れとは、過去、もしくは未来に捉われている時のものであって、人は皆、今、茲に、生きていさえすれば、愛され、許され、導かれているのです。
今しかない、と言われれば、人は必ず幸せになれるのです。
つまり、怖れとは、まだ手放していない過去の体験にすぎないのです。
過去の体験の中で悲しかったことを感じきっていないから、また、怖れとしてやってくる。怖れを引き寄せてしまうのです。その繰り返しです。
それは、中途半端に、怖れや悲しみを「感じない」ことによって、自分を守り、壁を作ってきたのです。
しかし、もう、その繰り返しは止めた方がいいのです。
いつまでたっても、怖れは消えません。
だから、怖れは幻であると認識して、そこから逃げようとはしないで、怖れを感じきって、突き抜けるのです。そしたら、怖れは、雲のような幻だと気づいて、消えていきます。
人は、今を生き切れば、怖れている暇もないはずです。
手放す許す誓う
今日ここに私は 被害者意識、全てのネガティブな過去の想念 「こうしてほしかった。
こうしてくれなかった」などなどの
過去の要求を 手放すことを誓います。
過去の体験 全てを許します。
私は 今、全ての過去から 自由になることを自分に許します。
そして 今日一日 今を喜びの中生きることを 内なる神に誓います。
全ては 自分の心、平安から 始まることを信念とし 外側を変えようとせず 自らのこころをピュアに保つことのみに 専念して生きてゆきます。
合掌
過去現在未来
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やりきったら手放せると思います。
なぜなら体験するために 生まれたからです。
しっかり味わって はじめて次の体験が出来るのではないでしょうか。
何事中途半端はいけないのですね。
苦しみ悲しみあらゆる苦悩も、「もういい!!」というとこまでいったら、
神様はそうかそうかと 次の体験にいかしてくれる気がします。
で 神様は内なる神でも あるわけです。
自分が自分に 許すのです。
幸せを味わうことを。
喜びを味わうことを。
愛を味わうことを。
成功を味わうことを。
などなど 全てを恩恵を受け取っていいのです。
自分の許す限り。
それほど 人は自由を与えられているのですよね。。。。。。