岩波ホール(東京・神保町)が今年7月で54年間の歴史の幕を閉じるというニュースに接しました。コロナの影響のようです。
悲しいですね。ここでしか観られない芸術性の高い映画を上映してくれて、私もお世話になったものです。芸術性が高いとなると万人向けでなく、やはり採算を取るのが難しかったのでしょう。
ここで観た思い出深い映画は、アンジェイ・ワイダ監督の「大理石の男」と「カティンの森」、ルキノ・ヴィスコンティ監督の「山猫」、小栗康平監督の「眠る男」、羽田澄子監督の「嗚呼、満蒙開拓団」などでした。
採算を取るのが難しい映画上映を続けて来られたのは、ホール総支配人の高野悦子(1923~2013年、83歳)の作品を選ぶ「目利き」の力が大きかったことでしょう。彼女は満洲(現中国東北部)帰国者で、父親の高野与作は南満州鉄道技師でした。 姉の淳子が岩波書店の岩波雄二郎社長の妻だったことから、東宝文芸部にいたこともある悦子が総支配人になったと思われます。
とにかく、良質な映画を観る機会が一つ減ってしまった感じがして本当に残念です。
今朝の朝刊の同じ紙面で、歌舞伎専門誌「演劇界」(小学館)が3月3日発売の4月号で休刊するニュースも出ていました。同誌は、色々と版元が変わりましたが、明治40年(1907年)創刊の「演芸画報」が母体だったということで、これまた、歴史的な伝統が一つ消えたことになります。毎日新聞の小玉さんも悲しんでることでしょう。
まあ、舞台芸術の最高峰である歌舞伎は、高嶺の花ですからね。(銀座の歌舞伎座の一等席は1万6000円)
「時代の趨勢」と言ってしまっては、それまでですが、何か、日本文化の劣化と衰退が始まったような気がします。
あまり暗い話ばかりでは何なんで、また与太郎話を一つ。お正月の初詣で有名な「川崎大師」を特集している番組を見ていたら、私自身、長年勘違いしていたことが発覚しました。
川崎大師の「大師」は大抵、弘法大師が一番有名ですから、何んとか大師と付くお寺は全て空海弘法大師の真言宗の寺院だとばかり思っていました。川崎大師は平間寺ともいって、確かに真言宗智山派です。しかし、特に関東では有名な栃木県の「佐野厄除け大師」は、真言宗ではなく天台宗だったのです。それは、十八代目天台座主も務めた良源こと慈恵大師にちなんでいるからでした。
良源は、元三大師(亡くなった日が1月3日=元三だったため)とも呼ばれています。天台座主として比叡山の焼失した御堂を再建したり、教団内の規律を高めたりした功績から「延暦寺中興の祖」とも言われています。他に「角(つの)大師」などの異名を持ちますが、良源本人も疫病に罹って高熱を出した経験があったため、鬼のような形相で疫病退治の祈りを民衆に施したことから、厄除け大師の効能が認められたとも言われています。良源をお祀りした寺院はほかに、埼玉県の川越大師(喜多院)も有名です。
序ながら、「関東の厄除け三大師」は、真言宗の場合、川崎大師のほかに、東京都の「西新井大師」、千葉県香取市の「観福寺」の3寺を、天台宗の場合、先の佐野厄除け大師と川越大師のほかに群馬県前橋市の青柳大師(龍蔵寺)の3寺を指す場合が多いようです。
ちなみに、「大師号」とは高僧が亡くなった後、朝廷から贈られる謚号で、浄土宗の宗祖法然は、「圓光大師」を始め、「東漸」「慧成」「弘覚」「慈教」「明照」「和順」、そして平成の天皇(現上皇)によって2011年に加諡宣下された「法爾大師」と実に八つも贈られています。
どういうわけか、空海は弘法大師の一つだけですし、日本仏教の宗祖はほとんど大師号を贈られていますが(天台宗の最澄は伝教大師、浄土真宗の親鸞は見真大師、時宗の一遍は証誠大師、曹洞宗の道元は承陽大師、日蓮は立正大師など)、臨済宗開祖の栄西だけには大師号は贈られていません。
理由は、不勉強のためよく分かりません。(関東ばかりで失礼致しました)