道に迷った時…

道に迷った時、天から声が聞こえてきました。

人生は、自分自身が作っている。
苦しみたければ、苦しめばいい。
あなたが、そう望んでいるのだから。

病気だって、あなたが自分で作っている。
そう望んでいるのだから。

でもね。
人生は楽しんだもん勝ちなんだよ。
人間、裸で生まれてきて、裸で死んでいく。
死んだら、何も持っていけないよ。
お金も名誉も空しいだけじゃないか。
だったら、何を拘る必要があるのですか?

あなたは与えられているのです。
時間もそう。
住む場所もそう。
仕事もそう。
遊びもそう。
気晴らしもそう。
友達もそう。
愛する人もそう。

一方的でもいいじゃないですか。
何で、ないものねだりばかりするのですか?

足るを知りなさい。
自分が持っているものを信じなさい。

認めなさない。
自分を認めなさい。
人を認めなさい。

何度も言っているでしょう。

あるがままの自分を認めなさい。
あるがままの自分を許しなさい。

“道に迷った時…” への1件の返信

  1. 存在の耐えられない軽さ
    渓流斎さんは何が欲しいか何がしたいのか、ご自分で分かってらっしゃらないのですね。
    自分を認めたり許したりしなければ存在すること自体が苦しいのですね。
    都会の人に多いような気がします。
    「他者により見られつくられる私」
    畑をたがやしてたりするとそんなこともないのですけどね。
    存在自体の希薄さ、なのでしょうか。

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