ウォーキング・メディテイションというものがあることを今日、初めて知りました。
「歩行瞑想」と訳せばいいのかもしれません。瞑想といえば、座禅を組んでじっとして、只管閉じこもって精神を集中するものかと思っていたのですが、歩きながら、戸外の景色を眺めながら、想念を巡らせていいようです。
今回、私自身、全く「歩行」の基本を知らなかったことがわかりました。つまり、着地する時、いつも、爪先ほどではないにせよ、足の裏の先端部分で着地していたのです。随分と前屈みとなり、言ってみれば、猫背になっていたのです。全くみっともないのですが、もう半世紀近くもこんな歩き方をしていました。本当にぞっとします。道理で、しょっちゅう、ほんの小さな石や段差で転んだり、バランスを崩していたものでした。
本来の歩き方というのは、踵から着地していたのですね。知らなかった!(皆さんは知っていましたか?私は歩き方を習わなかったので、本当に知りませんでした)
踵で着地すると、自然と背筋が伸び、5歳は若返った気分になります。
「歩き方には人生観が出てしまうのですよ!」とメンター(師)は言いました。「渓流斎さんの場合、性格がとてもせっかちで、いつも時間や締め切りに追われている、というのが露骨に現れています。いつも、いつも、先のことばかりを心配している歩き方です。『今』を素通りにしているのです。『今』しかないのに、起こりもしない将来のことばかり心配しているのです。もし、地に足が着いた生活を自信を持って送っているとしたら、そんな歩き方はしません。まさしく、地面に踵をしっかり着けて、大地を踏みしめています。もし、渓流斎さんが、そういう歩き方をすることができれば、そういう人生を送ることができるのですよ!」
私は、歩き方を変えました。一歩一歩、雪道を踵からゆっくり降ろして、踏みしめて歩きました。「ザクッ、ザクッ、ザクッ」。心地よい音が自然の大気にこだましました。『今』を感じながら、しっかりと大地を踏みしめました。
ああ、何と幸せな気分なのでしょう。これこそが、ウォーキング・メディテイションだったのですね!