右を向いて歩こう

ある人から聞いた話ですが、左を向きながら考えることは、過去を振り返ることになるそうです。

左が過去なら、右は将来です。右を見ながら物を考えることは、将来を見据えることになるそうです。

そういえば、これまで半世紀生きてきて、何かを考えたり、人にインタビューした際に何かを思い出したりした時、決まって左を向いていました。まあ、忘れたことを思い出したりしたわけですから、左を向いて思い出すのは自然だったのかもしれません。

これから、過去の栄光(?)を捨てて、未来に向かって生きようと決心しました。

早速、何か考えようとした時、右を向こうとしたのですが、骨が固まっていて、首を右に傾けるだけでも苦痛です。左向きは楽々できるのですが…。

長年の習慣がそうさせるのでしょうね。

これから右を向いて歩くことにしました。

“右を向いて歩こう” への1件の返信

  1. 過去
    人が 過去を振り返らずに「今、そして未来」に向けて生きる事が どんなに簡単ではないことかを思い知らされているこの頃です。
     
     私は 多くの導きての方々に 過去を忘れて、とか 過去を全て手放してなどと言われてきました。そう強く誓ったつもりでも 過去のパターンを無意識に繰り返している自分に気づかされるのです。 
     それでも大切なのは そんな自分の状態に客観的に気づくことなのです。
      気づけば違う選択ができるからです。
     今日それをすることが大切なのです。
     今日の積み重ねが未来になるから。
     
     今日 私は海に行きたくなりました。
     卒業まじからしき高校生の男の子達が
     楽しそうに 波に戯れていました。
     携帯で写真を撮ったりしながら 思い出となる一時を味わっているようでした。
     「卒業」人生の節目。。。。
     人は過去をしっかり理解し全て受け入れた時 今ある自分を初めて理解出来、 そして新しく歩き出せるのかも知れません。
     過去の体験全てがあり 自分が今存在しているのですから そんな人生の体験をしっかり理解する必要を感じるのです。
     しっかりとです。
      親から与えられた愛や悲しみ、 才能も含めいろんなことが 今の自分を創っている。
     「自分、この世界に一人だけの自分をしっかり理解する」という 当たり前のことを感じたのでした。
     
     渓流斎さんの 決心、自分の事のように嬉しく思います。
     よく昔の音楽を聞いて涙されてるようでしたね。
     本当に本当に 振り返っていたようですね。。。
     人は誰も 慣れ親しんだものを手放すことを恐れます。それは 悲しみ、苦しみも同じことです。
     慣れ親しんだパターンから 抜けられないのです。
     悲しみが好き、苦しみが好きということです。
     そして、
     選択する。という自由を人は天から与えられているといわれます。
     私は今まで勘違いしていたことがあります。
     「天に委ねる」とは 何もかもやってくれることではないようですね。
     決めて行動するのは 自分の責任であり、
     そこは天はやってくれないのです。
     決めたことに手を貸してくれるだけで
     あくまでも決めるのは自分なのですね。
     それが その人の本心、真我、こころから願うことは 間違いなく強いサポートが成されるということです。
     私の本心は 一体何を望んでいるだろうか。。。。海を見つめながら自問した今日の午後でした。

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