奇妙な一致

北海道鹿追町

 

先週の土曜日、ある会合に参加しようと思い、駅に行ったところ、電車が動いていませんでした。人身事故でした。40分ほど待っていましたが、「運転再開の目途もたっていない」というので、どうしたらいいか途方に暮れてしまいました。どうしても参加したかった会合でしたが、結局、諦めることにしました。遅刻しても、講師の話が終わってしまっているからです。

 

翌日の新聞で、19歳の予備校生の飛び込みだったことが分かりましたが、私は、諦めてよかったと自分自身、納得させました。「行かなくていい」というメッセージだと思い込むことにしました。

 

というのも、最近、何やら天からのメッセージのような奇妙な一致を感じる場面が相次いでいるのです。

 

このブログに関連しています。

 

例えば、5月19日に、五日市剛さんのことを書きました。すると、翌日、私が紹介した全く同じ本が新聞の広告欄に載っていたのです。

 

6月3日に「ナイロビの蜂」を書いた翌日、主演女優のレイチェル・ワイズが男児を出産した、というニュースを目にしました。

 

6月4日に「星の王子さま」のことを書きました。すると、今日の夕刊に、「星の王子さま」のことが出ていて、昨年、多くの出版社から翻訳本が出たのは、岩波書店の独占翻訳契約が昨年で切れたため、と書いてありました。(私の推理ははずれた)。そして、日本で初めて翻訳した内藤さんは、当時、70歳だったということも書いてありました。

 

さて、「天からのメッセージ」のことで、決定的なことを書きます。

 

昨日、映画「ダ・ヴィンチ・コード」を見て、プログラムも買ってきました。そのプログラムを何気なく見ていたら、解剖学者の養老猛司氏の論文(毎日新聞からの孫引き)が載っていました。そこには、こう書いていました。換骨奪胎します。

 

「ダ・ヴィンチが500年前に手稿に書いていたことは、とことん変わらない当たり前のこと、つまり普遍性に目を向けていた。一般の人が日々、ローカルで特殊なことばかりに関わっていた中、彼は何百年という尺度でモノを考えていた」

 

私は、これを天からのメッセージと受け取ったわけです。

 

「星の王子さま」で触れましたが、サン=テクジュペリの言う「心でしかモノが見えない。大切なモノは目で見えない」という言葉の真意が、実はよく分からなかったのですが、この養老さんの言葉でハッと分かったのです。

 

つまり、私なりに、解釈するとこうなるのです。

 

「目先のことばかりを追っていると、大切なことを見失ってしまう。想像力を使わなければ、物事の本質はつかめない」

 

ダ・ヴインチの作品が、なぜ、500年も経っても人々を魅了し続けているのでしょうか?

 

それは、彼は同時代の、同世代のつまらない生活やら出世やらの悩みを超越して、100年先、500年先の世界を見越して仕事していたからに他なりません。

 

実は、私自身、東京に戻ってから、どうしようもないくらい、目先の事に追いまくれて八方塞がり状態でした。自分で「見えない壁」を作って悶々としていました。本当に大切なことを見失っていました。

 

そこで、自分で見えない壁を作れるのなら、「見えない橋」も作れるはずだ。サイモン&ガーファンクルのような「明日に架ける橋」を想像力で作れるはずだ、とハタと気づいたのです。

 

この感覚は私を開放してくれました。

 

立派な仕事を残した人は時間を超越しています。イエスは2000年経っても、滅びません。孔子も老子も釈迦もムハンマドも然りです。

 

これまで生きてきた人類の何十億、何千億人の人々が、日々の生活に追われ、組織内の争いに汲々し、町内会の付き合いに翻弄されてきたことでしょう。その中のホンの一握りの天才が、何百年という尺度で、仕事をしてきたのです。

 

今、話題の村上世彰氏は46歳で引退宣言しました。「一発どでかいことをしてやる」と宣言して、灘高ー東大法学部ー通産省という絵に描いたようなエリートコースに進み、最後は証取法違反と暴力団紛いの恐喝で何百億円という自己資産を残し、シンガポールにプール付きの11億円のマンションを買い、渋谷に13億円の豪邸を建てるから本人は大満足でしょうが、後世の人は何と言うでしょうかね。

 

いや、その前に同時代人として言わせてもらいたい。

 

村上君、君は時代のヒーローなんかじゃない。実に頭のいいさもしい人間だ。

 

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