4月に帯広から戻ってきて、すぐにでもお会いしたかった松川邦生さんとやっと歓談することができました。松川さんは「郷土愛」に溢れ、「地元」に拘る方ですので、なかなか日程の都合がつかなかったのでした。結局、松川さんの大宮のご自宅にまで押しかけてしまいました。お会いするのは実に15年以上ぶりでした。恐らく、外で待ち合わせしても、お互いに認識できなかったでしょう。ご自宅では、ジャーマンポインターの「ヴィータ」嬢に出迎えられました。奥さんも交えて、懐かしいキャロル・キングの「つづらおり」を聴いたりして、楽しい一夜を過すことができました。
松川さんは、知る人ぞ知る出版界の仕掛け人です。作家の林真理子を発掘して世に売り出したのも彼ですが、本人は、謙遜して自分の業績について多く語ろうとしません。私は、彼とは15年ほど前に、取材を通じて知り合いました。当時、「メディアミックス」とか「ニューメディア」とかの走りの時代で、松川さんは、大手出版社から出向して、CD-ROM本など、その手の企画などを手掛けていました。頭の切れるアイデアマンでした。
これまで、仕事を通じて知り合った人は数千人に及ぶのですが、ほとんど「一期一会」で終わってしまいます。が、どういうわけか、松川さんとは年1回の賀状の交換やメールなどで細々とつながっていたのです。
一番大きかったのは、松川さんが熱心な私のブログの読者だったことでしょう。昨年、私の父が亡くなったときは、丁重なメールを戴いた時は本当に驚きました。気配りの人です。
恐らくというより、ほぼ確実に、松川さんはこのブログを読んでしまうので、どこまで書いてしまっていいやら、冷や冷やしていますが、私の責任で書いてしまいます。
松川さんは、一昨年、大手出版社を退社して独立し、若い頃から念願だった「わーずわーす」http://www.shufunotomo.co.jp/magazine/h31.htmlというライフスタイルの雑誌を発行しました。わざわざ、帯広にまで、その雑誌を送ってくださっていたのですが、そのうち、届かなくなりました。「若者の活字離れ」「出版不況」-などと評論家は何とでも言えますが、要するに、立ち行かなくなって休刊してしまったのです。
松川さんは現在「開店休業中」で、無聊をかこっている、とのことでした。
私自身も無聊をかこっているので、何かお役に立てることができればと思いましたが、具体的な話まではできませんでした。
今回の雑誌の休刊の件では、親しかった友人が彼の下を去ったそうです。「金の切れ目が縁の切れ目ですね」という松川さんの言葉が耳に強く残りました。
いやあ、書いてしまいましたね、松川さん。本当に熱心な私のブログの読者で、「高田さんが書いていた『甕雫』を飲ます店が大宮にあるんですよ」と教えてくれました。今度、飲みに行きませう。