斯波も細川も畠山も一色も足利氏で村上源氏だった=皇族と藤原氏が1300年以上も政権中枢を担う国日本

 最近の渓流斎ブログは、歴史のことばかり書いています。小生を、鬼の首を取ったように誹謗中傷する気の毒な人がいるからです。気の毒というのは、明らかに拙ブログを読まないで中傷するからです。何か被害妄想のようで、自分のことが書かれたと誤解していると思われますが、歴史上の人物なので、残念ながら、生きている貴方のことであるわけありません。それが、読んでいない証拠です。

 歴史を勉強すると、人間というものは、古代から、豹変、裏切り、日和見、我田引水、滅私奉公、お家大事だけを信奉して生きて来たことが分かります。我々は彼らの子孫なのです。歴史上の人物がこの有り様ですから、彼らのDNAを受け継いでいる生きている人間は尚更、豹変したり、心変わりしたりすることが分かります。

 例えば、鎌倉時代だけを見ても、凄まじい粛清と権力闘争の嵐です。源義経、源範頼、上総広常、比企能員、畠山重孝、阿野全成、平賀朝雅、梶原景時、三浦泰村…と根も葉もなくても「謀反の疑い」を理由に、中には一族もろとも滅亡させられています。

 その半面、鎌倉時代の権力闘争に辛うじて生き残った一族の子孫は、次の室町・南北朝時代どころか、戦国時代、幕末、明治、昭和、現代と権力の中枢に返り咲いたりしています。武士も大名も御先祖様が、桓武平氏、清和源氏だったりすると、皇族の末裔ということになりますから、結局、日本という国は、皇族(天皇家)とその外戚の藤原氏が1300年以上も政権中枢を担ってきた国だということになります。

 以前にこのブログにも書きましたが、「鎌倉殿の13人」の一人、公文所寄人・中原親能の子孫が戦国時代の豊後の大名大友宗麟で、初代政所の別当大江広元の子孫が、戦国時代から幕末に歴史の表舞台で活躍する毛利氏でした。

 「鎌倉殿の13人」の中には入っていませんが、島津氏の祖である島津忠久は、清和源氏流と言われていますが、源頼朝の有力の御家人となり、薩摩、大隅、日向、越前と異例にも4カ国もの守護職に任じられました。この島津氏は、戦国時代、幕末明治と九州の大名として存続し、昭和天皇の第5皇女が島津家に嫁がれるなど、天皇家と姻戚関係になっています。

鎌倉五山の第5位 浄妙寺

 また、「鎌倉殿の13人」の中に入っていない超有力御家人が、足利義兼(よしかね)です。「八幡太郎義家」こと源義家のひ孫で足利氏二代目。栃木県足利市の足利氏館をつくった人と言われ、1188年に鎌倉五山の第5位の浄妙寺(臨済宗建長寺派)を創建しました。

 何で、足利義兼が超有力御家人なのかといいますと、ズバリ、室町幕府を開いた足利尊氏の御先祖さまだからです。義兼は、源義経を始め、河内源氏一族でさえ粛清の嵐に巻き込まれる中、辛うじて生き残ったわけです。それだけではありません。足利氏の分派といいますか、流れを汲む子孫には、室町幕府の将軍を補佐する「三管領」である斯波氏も、細川氏も、畠山氏がいるからです。つまり、斯波も細川も畠山も、足利氏であり、村上源氏だったというわけです。

 ちなみに、斯波氏は、足利家氏が陸奥斯波郡を領地としたから。細川氏は、足利義季が三河細川郷を領地としたから。そして、畠山氏は、足利義純が、北条氏によって滅亡させられた畠山重忠の旧領を与えられ、しかも、足利義純は、畠山重忠の正室だった女性を自分の妻にして畠山氏を存続させています。

 また、室町幕府の侍所長官である所司に任ぜられた四家を「四識」と言いますが、主に山名氏、一色氏、京極氏、赤松氏の四家が務めました(当初は、清和源氏の土岐氏、畠山氏も入れた六家。赤松氏が没落して三家に)。山名氏は、鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞の子孫義範が、上野国多胡軍山名(現群馬県高崎市)に所領を得たから。一色氏は、足利公深が三河国吉良庄一色に本領を得たから。京極氏は、承久の乱で戦功で近江守護に任じられた佐々木信綱の四男氏信が京都の京極高辻に館を構えたから。赤松氏は、村上源氏の一流で、九条家領播磨国佐用郡佐用荘赤松村を本拠とし、赤松則祐が最盛期で、室町時代、播磨・美作・備前の守護となりますが、関ケ原の戦いでは西軍に属し、一族は戦死ししたため、断絶します。

 こう見ていくと、日本史上で貴種ではなかった者が天下を取ったのは、農民出身と言われる豊臣秀吉ただ一人だと思われます。信長の織田家も、清和源氏の美濃守護土岐氏の家臣である守護代に過ぎなかったのが、一種の下剋上で這いあがり、やはり足利氏の支流である今川義元を破ってからは、天下取りまであと一歩のところまでいきます。徳川家康の祖先松平家は河内源氏の新田氏の末裔を自称していますが、否定する学者もいます。

 このブログの最初の方で、「日本という国は、皇族とその外戚の藤原氏が1300年以上も政権中枢を担ってきた国だ」と書きましたが、その良い例が、先の大戦中に首相を務めた近衛文麿です。近衛家は、藤原北家嫡流で公家の五摂家筆頭。代々、摂政関白を務めた公爵家です。

 もっと最近では平成5年から翌年にかけて内閣総理大臣を務めた細川護熙氏です。彼は肥後細川家の第18代当主です。この細川氏と言えば、足利氏であり、足利氏と言えば、村上源氏で、皇族の末裔ではありませんか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

旧《溪流斎日乗》 depuis 2005 をもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む