ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」

10月2日にパリ経由で最初の滞在先ミラノに入りました。イタリアは指折り数えると、三度目なのですが、実に20数年ぶりです。全体を通して、観光客の多さには本当に驚きました。20数年前は、美術館にしろ、教会にしろ、並んだ記憶がほとんどないのですが、今では、並ぶどころか、予約を取らなければ入場できないということですから本当に驚きです。

しかも、予約を取っても、必ず入れるとも限りません。イタリア名物のストライキがあるからです。とにかく、観光地はどこに行っても人、人、人で、さながら、ラッシュアワーの新宿駅か、日曜日の原宿竹下通りといった感じでした。大袈裟ではなくて、どこに行っても観光地は芋を洗うような群集でした。観光客は白人か、日本人が一番多かったです。

昔はこれほどまでに、人は押し寄せませんでした。20数年前はまだまだ、海外旅行は高嶺の花で、日本人でも行かれる人も数が限られたせいかもしれません。今は猫も杓子も、時間さえあれば行けますからね。それに、日本から欧州まで、昔は北廻りでも20時間くらいかかったと思いますが、今では11時間か12時間で行けてしまうのです。これでは、増えるはずです。本当に足の踏み場もないくらい、何処も彼処も観光地は人、人、人で混んでいました。10月の平日だというのにです。

ミラノの最大の目的は、サンタマリア・デッレ・グラツィエ教会にあるレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」でした。当日(10月3日)は、運悪く国立博物館の職員のストで、当初、見ることができないと言われたのですが、裏口から、そっと入って、5分間だけ、見させてもらいました。

昔と違って、写真撮影は厳禁です。昔は、欧州のヨーロッパの美術館は、どこに行っても簡単に作品を写真撮影できたのですが、そんな鷹揚な美術館はほとんどなくなってしまいました。

ということで、今回は、室内の美術作品はほとんどありません。

その代わり、ご覧のような美しい女性をアップすることができました。

すごい美人さんですよね。

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の前にいた女性です。望遠で撮っています。載せたら怒られちゃうかなあ?

肝心の「最後の晩餐」にはやはり感動しました。22年ぶりの再会でした。今回は、あのダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチ・コード」を読んで、映画を見た後だったので、さすがに感慨深いものがありましたね。

この教会の近くに、旅行代理店と契約している土産物店がありました。そこのおっさんが、変な日本語で盛んに売り込みをしていました。

ココダァケ、ヤスーイー、シンジラレナァイ、テヅクリ、ワタシ、ツクッタ

ワタシ、ニホンゴ、ベンキョーシテマァス、キョーカショ、ワタシ、ノッタ、

エハガキ、イチマイ、20セント、シンジラレナアーイ

こんな調子でした。

話は前後しますが、今回のイタリア旅行はH社の団体ツアーにもぐりこみました。15組30人のツアーです。このうち、4組が新婚カップル、6組が定年退職前後の熟年夫婦、残りの5組が素敵なおばちゃまか、私たちのような訳の分からない怪しげな野郎2人組。

それにしても添乗員の村山奈保さんが、とても優秀で素晴らしかった。イタリア語(スペイン語も)が堪能で、とても気配りのできる人で、彼女のおかげで、大変困難な旅行もスムーズに運ぶができました。後から説明しますが、苦難を乗り越えられたのも彼女のおかげといっても過言ではなかったです。

(つづく)

 

 

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