年頭の辞

洞爺湖

新年 あけまして おめでとうございます。

ついに2007年の幕が開けましたね。皆さん、希望を持ちましょう。期待しましょう。夢を叶えましょう。

今日は実家に行って新年の挨拶に行ってまいりました。自宅を出て停留所を目指して歩いていると、途中でバスが通り過ぎてしまいました。1台逃すと、20~30分くらい来ないのです。仕方がないので、駅まで25分かけて歩くことにしました。。「すべて、神様の思し召し。なるようになる。すべてが丁度よい。困ったことは起きない」などと、ブツブツつぶやきながら、歩いていると、お金が落ちていました。

1円でしたが、「1円を笑う者は、1円に泣く」という諺が思い浮かび、有り難く頂戴することにしました。交番に届けても、相手にされる金額ではないと思ったからです。その1円は、何と昭和35年鋳造でした。47年前です。どれくらいの人の手を伝わってきたのでしょうか。それでも、ネコババするのが嫌だったので、帰りに近くの神社にお賽銭として追加して入れておきました。

正月というと、昔は、本当に静かでしたが、今は、コンビニが開いているし、今日は、宅急便の人も忙しそうに働いていました。何を勘違いしているのか、某政党の宣伝カーが、スピーカーでがなりたてながら流していました。凧を揚げられる空き地も駒を回す路地も姿を消し、日本の正月の風情がなくなっていることが悲しくなります。

実家に行くと、一昨年に亡くなった父親のノートが出てきました。「人生語録」と書かれたこのノートには、読書家だった父が、読んだ本の中で目についた箇所を記録していたのです。

「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは目にみえないんだよ」

これは、もちろん、サン・テクジュペリの「星の王子さま」の中の一節で、この物語の骨子になる言葉です。父は、この言葉もしっかりメモしていました。この一節は、自分もブログhttp://blog.goo.ne.jp/keiryusai/e/b000e68950825f9b1ed5778c659890b1

に書きました。そもそも、こういう言葉が好きなんですね。心の糧になったり、勇気付けられたりする言葉が。言葉の力を信じているからです。父親もそうだったのでしょう。「なあんだ。遺伝だったのかあ」と思いました。

これから、おいおい、このブログで父の「人生語録」を紹介していきたいと思います。

今日は、「仏陀の言葉」です。驚きました。「丁度よい」というのは仏陀の言葉だったのですね!

お前はお前で丁度よい

顔も体も名前も姓も お前にそれは丁度よい

貧も富も親も子も息子も嫁もその孫も それはお前に丁度よい

幸も不幸も喜びも悲しみさえも丁度よい

歩いたお前の人生は悪くもなければ良くもない

お前にとって丁度よい

地獄へ行こうと極楽へ行こうと 行ったところが丁度よい

うぬぼれる要もなく 卑下する要もない

上もなければ下もない

死ぬる日月さえも丁度よい

仏様と二人連れ お前はお前で丁度よい

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