ヴァチカン美術館
公開日時: 2007年2月11日 @ 21:1
G先生の薦めで、岡本綺堂の名作「半七捕物帳」を少しずつ読んでいます。
捕物帳とは、与力や同心が岡っ引らの報告を聞いて、さらにこれを町奉行に報告すると、書役が書き留める。その帳面を捕物帳というのだそうです。
●岡っ引は、世間では、御用聞きとか目明しとか言われるが、表向きは小者(こもの)と呼ばれる。
●与力の下に同心が4、5人いて、同心の下に岡っ引(通称親分)が2、3人いる。その下に手先(子分)が4、5人いる。手先の下にも下っ引と呼ばれる諜者がいる。
●町奉行から岡っ引に渡す給料は一ヶ月に一分二朱というのが上の部で、悪いのは一分ぐらい。これでは、手下に渡す給料もないので、岡っ引は大抵ほかの商売をやっていた。女房の名前で湯屋や小料理をやってたりした。
作者の岡本綺堂は、新聞記者(東京日日新聞)出身です。半七捕物帳も若い新聞記者の聞き書きの体裁で話が進みます。
そういえば、「新撰組始末記」などを書いた子母澤寛も新聞記者(読売新聞、東京日日新聞)出身です。
昔の新聞記者は偉い人が多かったですね。
戊辰戦争60年に当たる1928年に、東京日日新聞は、正月企画として戊辰戦争を知る古老から当時の市井話を聞き書きして連載しました。今、岩波文庫の「戊辰物語」として収録されています。
新撰組の近藤勇は「ひげが伸びているというので床屋を呼んで、しかも首穴を前にしたそこでこれを悠々とそらせ『ながなが厄介に相成った』といって、自分でもとどりをぐっと前へかき上げて斬られた」そうなのです。(以上2月6日付毎日新聞)
戦後60年を過ぎてしまいましたね。