能六百年

今日は久しぶりに「おつなセミナー」。

ゲストは横浜能楽堂副館長の中村雅之氏。能の六百年の歴史の概要を伺いました。メモ書きしますと…

「能」というのは江戸末期から明治にかけて定着したもとので、本来は神事の際に行われた「猿楽」が正式名称でした。これに農耕の際に行われた「田楽」結びついたといいいます。

寺社などで興行を行っていた「大和猿楽四座」が歴史的な流派になります。「観世」「宝生」「金春」「金剛」です。これに、江戸時代になって「喜多」が加わって、五流派となります。猿楽はそもそも、「翁」を最初に演目にして「五番立て」にして上演していました。従って、翁専属役者が、今で言う主役と興行権を兼ねていましたが、足利義満が、翁役者以外にも上演を許可したため、四流派が確立したといいます。

能といえば、歴史的に織田信長が最も庇護していたように思っていたのですが、実際の最大の庇護者は豊臣秀吉。朝鮮出兵の際の名護屋城にも能舞台を作っていたそうです。

能は、江戸になって、古典的な教養が必要とされる政治サロンになります。諸国大名が競って庇護者になり、高価な能面や能装束が作られます。城が作れる程、莫大な資金が能関係に費やされたようです。これらの高価な能面や能装束は、明治になって大名が没落すると、海外に流出します。米ボストン美術館やドイツのライプチッヒ美術館などにかなりの数が収蔵されているそうです。

能は古典的教養が必要とされるので、明治になって、足軽から成り上がりの教養のない伊藤博文や井上馨らには入り込む隙間がなかったそうです。

能の合間に上演される狂言は、大蔵流が主流です。かつては、観世流の専属の鷺流があったのですが、明治になって消滅したそうです。

現在、「金剛流」は京都で東京では千駄ヶ谷の国立能楽堂が本拠地。「金春流」は奈良で、同じく東京は国立能楽堂。「観世流」は、渋谷の松涛、「宝生流」は東京・水道橋、「喜多流」は、東京・目黒、「観世鉄仙会」は東京・表参道。

銀座にある金春通りは、江戸幕府が金春流の能役者らに屋敷を与えたところからその名が残っています。毎年、8月の第一土日に「金春祭り」があります。金春通りの道路上で、能が上演されるそうです。一度見に行ってみようかと思います。中心舞台は「金春湯」辺りです。金春通りには有名な高級寿司店「九兵衛」がありますね。

いずれにせよ、最近、能を見る機会がめっきり減っていました。古典的素養がなければ、ついていけないことは確かです。「能は敷居が高い」と言われても、そもそも、大名クラスしか見ることができなかった舞台でした。今のように民主主義の時代になって、誰でも見られることになったことは有り難いことですが、やはり、古典的素養の失った現代人は敬遠するようになりました。ですから、「能は敷居が高くてもいい」という論理も成り立つわけです。しかし、現代は大名ほど財力を持ったパトロンは稀で、偶に成り上がりが出てきても、「金儲けして悪いですか」と居直ったり、「金で買えないものはない」と豪語する輩ばかりで、文化や教養に投資しようという奇特な人間も出なくなりました。

要するに、文化は時代を反映するわけです。

 

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