阿久悠さん、世襲、印税…

 軽井沢

公開日時: 2007年8月3日

ある民放の調査によると、安倍総理の支持率が22%になったようですね。支持率は30%を下回ると「危険水域」と言われているので、もう瀕死状態なのかもしれません。

 

所詮、政治も人気商売の側面があります。その点、芸能界と極めて近いのです。世襲制という点でも、似ていますね。養子縁組などで血のつながりは、あれなんですが、市川団十郎は12代目、尾上菊五郎は7代目、松本幸四郎は9代目を名乗っています。安倍晋三さんも小泉純一郎さんも3代目、小沢一郎さんは2代目。あの絆創膏大臣の赤城さんも3代目。奇しくも彼のお爺さんが安倍総理の祖父の岸内閣の農水大臣だったというのですから、ポッと出は皆無なのです。支持者やファンが先代の面影を追うからなのでしょうかね。この「人気」というわけの分からない運勢の綾みたいなものに左右されて、生きていくってことは本当に大変なことなのでしょう。

 

ところで、1日に作詞家の阿久悠さんが亡くなりましたね。享年70歳。何しろ、5000曲以上も作詞したということですから、まさしく超人です。1967年「朝まで待てない」(ザ・モップス)、69年「白いサンゴ礁」(ズー・ニー・ブー)、70年「笑って許して」(和田アキ子)、71年「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)、72年「どうにもとまらない」(山本リンダ)、73年「ジョニーへの伝言」(ペドロ&カプリシャス)、76年「津軽海峡・冬景色」(石川さゆり)、77年「勝手にしやがれ」(沢田研二)、「UFO」(ピンク・レディー)、81年「もしもピアノが弾けたなら」(西田敏行)、85年「熱き心に」(小林旭)…いやあ、もう書くのが嫌になった。というより、私がよく聞いていたのは、この辺りまでの曲で、それにしても、「えー、これも、そうだったの?」と驚いてしまう曲ばかりでした。一流歌手で、阿久悠さんにお世話にならなかった人は一人もいないのではないでしょうか?

 

作詞家は、残念ながら世襲ができないので一代限りです。そういう意味で彼は、本当に不世出の作詞家でしたね。ヒット曲を飛ばすと、カラオケの印税も馬鹿にできません。中には1曲、印税だけで年間で2000万円という話も聞いたことがあります。阿久さんの場合、ヒット曲は数百曲あるので、その遺産は莫大です。私はとても計算できません。

“阿久悠さん、世襲、印税…” への4件の返信

  1. 渓流斎 
     FMの「J-WAVE」の夕方に、ピストン西沢と秀島史香の「グルーブ・ライン」という番組があり、その中に、曲名を探す「ミュージック・レスキュー」というコーナーがあります。先日「悲しき鉄道員」が取り上げられ、ピストン西沢は「知らない曲です」と言っていたのが、椅子から転げ落ちるほどショックでした。
    「随分、年をとってしまったのだなあ」という感想です。もちろん「ダンス天国」は知っています。当時、ウォーカーブラザースは日本ではビートルズやモンキーズより人気がありました。よく、「ミュージックライフ」の人気投票で1位になり、表紙を飾っていました。
    「悲しき天使」は、ビートルズのアップルからデビューしました。確かジェームス・テイラーが第一号で、メリー・ホプキンは、第2弾だったのではないでしょうか。ポールが作詞作曲、プロデュースを担当し、ジョンらは全くタッチしていないのでは?
    私は、メリー・ホプキンどころか、ピーター&ゴードンの「愛なき世界」も知っています。これも、ポールの作詞作曲、プロデュースです。当時、ポールが付き合っていた女優のジェーン・アッシャーの弟がピーターだったということは、ビートルズ・フリークにとっては常識です。

  2. ヴィーナスの誕生
    ショキングブルーをご存知ということは、
    「悲しき鉄道員」もまたご記憶でしょうし、
    ウォーカー・ブラザースの「ダンス天国」、
    忘れがたい名曲メリー・ホプキン「悲しき天使」・・・

    管理人さんはひょっとすると「ジューク・ボックス」
    をご存知の世代でしょうか。

    注記:連続の投稿スミマセン。

  3. 渓流斎
    へー、そうだったのですか。全く知りませんでした。

    この前、「ヴィーナス」のショッキング・ブルーの女性ヴォーカルが亡くなりましたね。

    歌を聴くと、その時代と当時の自分の境遇を思い出します。

  4. 過ぎ去った時代のこと
    ペドロ&カプリシャスといえば「別れの朝」が記憶に残っています。原曲は当時オーストリアの貴公子と言われたウド・ユルゲンスが「夕映えと二人」としてヒットさせました。その曲を日本の作詞家が独自の詞を書いて、日本でも彼らの演奏で大ヒットしたことはご記憶のことでしょう。なお阿久よりも年上のウド・ユルゲンスは、現在スイス在住で歌手としてなお活動を続けているそうです。

    「別れの朝」を聴きながら「バンダナの似合うこの女性歌手は、なんてかっこいいんだろう」とつぶやいたものですが、その前野曜子は1988年40歳で亡くなったそうです。

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