はみ出し者の人生

個人的な話題が続きます。

今日は、敬愛する先輩のN氏と久しぶりにお会いして、昼食を供にしました。(二人とも注文したら、偶然にも「石焼ビビンバ」でした)

N氏は、政財官界に幅広い人脈を持ち、その情報収集力には瞠目すべきものがあり、私も、何度か極秘情報を色々と教えていただきました。

N氏とは、2ヶ月半ぶりぐらいでした。その間、N氏は、イスタンブールをはじめトルコ一周の旅をし、色んなお土産話も聞かせてもらいましたが、どうも、以前のN氏とはちょっと違うことに気づいたのです。

例えば、こちらが、今、話題沸騰のボクシングの亀田一家のことを持ち出しても、「ふーん。僕はあまり興味ないなあ。それって、何か、得ることあるの?何か、学ぶことでもあるのかなあ?」とおっしゃるではありませんか。

私は「外野で野次馬的に見ているに過ぎませんけどね」と苦笑するしかありませんでした。

かつてのN氏は、ニュースに関しては、まるで「トップ屋」のようで、研ぎ澄まされたような鋭敏な感覚の持ち主でした。社内外の人事情報などについては、逸早く入手して、こっそりと、教えてくださっていたのに、今回の社内の不祥事については、詳細を知らず、あえて、知ろうともせず、有体にいえば、個別のことにはもう興味がないという感じだったのです。

「うーん。僕は、日本人全体の幸せは願うけど、今はもう個人的なことにまでは、立ち入らないという感じですかね」

そうー、すっかり超越してしまった感じなのです。何が、N氏をそうさせたのか?

「僕はずっと、仕事一筋だったでしょう?だから、文化や芸術や歴史方面ですっかり知識が不足していたことに気づいたのです。今、そっちの方面で、取り返したいと思っているんですよ。ゆっくりと本を読んだり、音楽を聴いたり、歌舞伎を見たり、映画を見たり、旅行に行って、遺跡を見て歩いたり…。要するに、今までの人生とは全く違うところに方向転換している最中なんですよ。今、そうしないと、寿命がつきてしまいますからね」

何だ、そういうことだったのか。N氏が少し変わったなあ、と思ったのもあながち間違いではなかったのです。(話言葉は多少、脚色しています)

今、同じ職場には、フランス帰りの船橋君がいます。彼と暇な折、色々と話をしていたら、セルジュ・ゲンスブールとジェーン・バーキンの話になり、急に、ゲンスブールが聴きたくなり、帰りに山野楽器で、彼のCDを買ってきました。

日本では、ゲンスブールは、不当に過小評価されていますよね。だから、今度、ゲンスブールのことについて書こうかなと思っています。

N氏と違って、私は最初からジレッタントできてしまいました。未だに世の中のことはよく分かっておらず、何処に行っても、はみ出し者なのですが、今更、生き方を変えるつもりはありません。それでも、不思議なことに、はみ出し者である自分に十分幸せを感じているのです。

“はみ出し者の人生” への1件の返信

  1. なつかしさが、こみ上げる
    好きな歌手としては、エンリコ・マシアス、ジャッ
    ク・ブレル、ダリダ、その他大勢(笑)。60年代は邦
    楽とシャンソン、カンツォーネと英米のポップスがレ
    コード店では別れていました。ジリオラ・チンクエッ
    ティもエキゾチックなまなざしが魅力的でした。声も
    ですね。

    ポルナレフも大好きです。あの謎めいた雰囲気がい
    い。

    『冒険者たち』で、レテシアを海に葬るさいに流れた
    スキャットも忘れがたい。

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