奇妙なクリスマスプレゼント 

 

 

 

 

 

年も押し詰まり、そろそろ年賀状に取り掛からなければならない季節になりました。

 

面倒臭いですよね。でも、もらった時の久しぶりの友人知人の近況を知ることができるので、その楽しさには代えられません。皆さんも同じだと思います。

 

今年は、やけに喪中の葉書が多かったです。今年1月に叔父が亡くなったこともあり、12枚くらいです。ご尊父が亡くなられた人も結構いました。まあ、いずれこの世からお暇しなければならないので、私も生きている限り、この賀状交換という日本の慣習を続けていきたいと思っています。

 

ただ、段々減らしていこうかと思っています。こちらから行為に減らすのではなく、返事が来なければ「ご迷惑」だと考えて翌年から出さないのです。まさに自然減です。

 

経済ジャーナリストのAさんなんぞは、3000枚も出すそうです。それは別格として、異様に顔が広い調布先生は300枚。私の場合はその半分くらいです。以前、仕事関係で仕方なく出した時があり、その時の最高は250枚くらいでした。もちろん、相手から返事は来ないので、仕事関係がなくなれば、縁が切れてしまいました。

ところで、昨日、帯広から電話がありました。「M野さんという人から朋之介さん宛に小包が来てますがどうしますか」というものでした。M野さんといっても、ピンときませんでした。何やら、中年の女性で、タクシーで会社にまで乗り付けて、小包を守衛さんに預けたそうなのです。私は「どうぞ、中身をあけてください」と頼むと、中には、梅干と布製のソーサー、それに、瓶かグラスのような物が入っているそうなのです。中にはメモが貼り付けてあって、読んでもらったら、そこには「このグラスは、貴重なものだと、店の主人も言っていました。マリアセツカヤのサイン入りです」などと書かれていました。相手の住所と名前はありますか?と尋ねると、それはない。ただ、「M」とだけ書いてあります。あ、タクシーの領収書も入っていますね…というのです。

何か気味が悪いですね。

思い起こせば、4年前のことです。私は帯広市役所の広報誌に写真入りで載ったことがあります。「私の逸品」とかいう市民のお遊びのコーナーで、たまたま、市役所の広報の人と昵懇だったので、「どうしても」ということで「出演」したのです。私の自慢の愛蔵エレキギター「ギブソンES335TD」を抱えて、ニッコリ笑っている写真が載りました。

 

その記事を見た市民の読者の方が私の会社を訪ねてきたのです。市役所に電話して、私のアジトを突き止めたようです。その人がM野さんだった、ような気がします。もう名前を忘れてしまいましたが、そうとしか考えれません。その日は、雪が降る日で、M野さんは、何と言うか異様な格好で、フエルトのようなごわごわしたセーターのようなものを2枚も3枚も重ね着していました。髪の毛はボサボサというか、文学的に表現すれが「乱れ髪」でした。言うこともとりとめもないのです。

 

「昨日ジョン・レノンの夢を見て、是非、あなたに会わなければならないというお告げがあったので、来たのです」

「私の夫は、新聞社の販売店に勤めています」

「あなたは有名になりますよ」

 

うーん、こういう人は、どう応対したらいいか、困ってしまいました。不真面目に取り合っても怒り出したら困りますし、生真面目に取り合っても、あまり話が噛み合いません。

 

結局、最後までお話を伺って、丁重にお引取り願いました。

 

それっきりでした。いや、名刺を渡してしまったので、一度電話があり、それっきり、二度と電話を掛けてくるでもなし、訪ねてもこられませんでした。

 

4年も前のことですし、その後、何百人もの人にお会いしましたから、すっかり忘れてしまいました。

 

私は昨年、帯広から関東地方に転勤しましたし、「今頃どうして?」という不思議というか不安が募ってしまいました。帯広の人に「どうぞ処分してください」とお願いしたのですが、「朋之介さん宛ての小包なので、捨てられない」と言い張るので、仕方なく送り返してもらうことにしました。

 

ああ、どうしましょうかね?梅干とソーサーとグラス…どなたか欲しい方はいませんか?

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