人間の悩みについて

 

 

昨日、このブログを休んだのは、社内の人間関係で、あまり愉快でないことがあったからクヨクヨ悩んでいたためでした。

人間の悩みの80%は、「人間関係」なんじゃないかと私は睨んでいます。最近、家庭内で殺人事件が多いのも、その一種です。家庭は人間生活を営む最低の単位であるし、会社や組織も、人間生活を支える最低限の単位なので、どんな人間でもそれから逃れて生きていくことはできません。霞を食べて生きていける仙人なら別ですが…。

 

よく「話せば分かる」と言います。しかし、その相手は、全く、話が通じないのです。自分が正しいと確信しているので、聴く耳を持たないのです!全く根拠のない自信で満ち溢れ、こちらを見下し、非常に失礼な態度をとるのです。

 

そんなことがあったものですから、言葉が通じなければ、それ以外の手段を選んでもいいのではないか、とか、だから、世の中、諍いや戦争がなくならないんだ、とか、突拍子もないことばかり考えてしまい、悶々としてしまいました。

 

本当に嫌な奴で、殴ってやろうかと思いましたが、暴力沙汰にならなくてよかったと思っています。そういう詰まらない人間と同じレベルに堕ちなくてよかったと思っています。関わらないのが一番です。生活のために接触しなければならなければ、悠久の宇宙の時間からみれば、瞬きするほど一瞬です。我慢すればいいのです。

 

そんな時、こんな言葉に出会いました。英国の哲学者バートランド・ラッセル(1872-1970)の言葉です。

 

「人は、自分以外の人間や国家や信条を嫌悪しなければ、幸福を感じることが少ない」

 

彼がいつ発言したのか分かりませんが、1970年に亡くなっているので、それ以前であることは確実です。

 

まるで、予言だとは思いませんか?「9・11」以来、キリスト教とイスラム教の「文明の衝突」が叫ばれたり、拉致問題があったり、この私のように、ゴミ粒のような低次元のレベルで、他の人間を嫌悪することによって精神の安定を図ったり…。何か、心を見透かされたような感じで、ドキッとしてしまいました!

だから、皆さんも毎日、どんな嫌なことがあっても、じっと耐えて我慢してください。決して、言葉も含めて暴力に訴えてはいけません。たとえ相手が理不尽であってもです。負けるが勝ちです。

“人間の悩みについて” への1件の返信

  1. あらら・・・
    とものすけさん、
    お察しいたします。耐え難いですよね。
    生意気ですが、一言コメントさせていただきます。
    愛・幸福の対極にあるものは、嫌悪や憎しみではないそうです。私が信じる一説によると、それは「無関心」です。
    嫌悪や憎しみの感情があるうちはまだ愛情に近い部分にあるようです。それがもっと高じて行くと、何も感じない、どうでもいい、忘却のはてとなるのです。

    ですから、キリスト教とイスラム教の衝突よりも、ある意味もっと始末が悪いかなと思ったのは、昔ヨーロッパのあっけらかんとした若者たちが日本の指導者が毛沢東だと思っていたりすることでした。中国、韓国、日本、みーんないっしょでそんなのどうでもいいみたいな・・・。

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