昨日は、劇団「青年劇場」顧問の瓜生正美さんにお会いして、お話をうかがってきました。
今年84歳になる新劇界の長老ですが、精神的に若いのか、全く老け込んでいませんでしたね。青年のようでした。
瓜生さんは、戦争末期の1944年、20歳の時に徴兵されたそうです。「赤紙ですか?」と聞いたら、「いや、白紙なんです。赤紙は、一度入隊して2年間の兵役を終えて、再び徴兵された人に来るんですよ」と、初めて教えられました。てっきり、徴兵証書は「赤紙」だとばかり思っていました。
九州久留米の第12師団48連隊に所属した陸軍二等兵で、長崎に原爆が投下された翌日に、死体処理などで、長崎に入ったそうです。当然、まだ放射能が漲っている中なので、被爆してしまったそうですが、奇跡的に後遺症がなかったといいます。
また、連隊の半分が沖縄に向かう途中、五島列島沖で船が魚雷で沈没させられて、戦死したそうですが、これまた瓜生さんは「居残り組」だったため、助かったそうです。
瓜生さんは、小山内薫とともに築地小劇場を開設した演出家の土方与志の最後の弟子に当たります。この土方の祖父の久元が、土佐藩出身で幕末に坂本龍馬らと一緒に国事に奔走した人なのです。維新後、伯爵に列せられました。土方与志は、歌舞伎などのいわゆる伝統芸能一辺倒に反旗を翻して、大正時代に築地小劇場を開設して、チエホフやゴーリキなどの翻訳劇を日本で最初に演出した人でもあります。
瓜生さんの話を聞いていると、土方は、リベラルな芸術主義者だったらしいのですが、演劇運動というのは自由主義とかプロレタリアート解放運動につながり、当時の官憲やお上に目を付けられて、随分弾圧されたらしいですね。土方自身も伯爵の爵位を剥奪されました。
だから、戦後、多くの劇団が代々木系の政党員になったり、またまた、ご多分に漏れず、政治と芸術との関係で、内部紛争があって、除名されたり、脱退したりして、色々とあったようです。
やはり、演劇というか、新劇というとイコール左翼のイメージがあり、瓜生さんの口から久しぶりに「プロレタリアート」などという言葉を聞いて、非常に懐かしい思いに駆られてしまいました。
プレタリアートなんてもう死語ですからね。今の若い人は誰も知らないでしょう。でも、84歳になる演劇青年にとっては、自分の血肉になっており、言葉として自然に出てきたのでしょう。
非常に有意義な面白い会談でした。