青年劇場「呉将軍の足の爪」を見て

 青年劇場の「呉将軍の足の爪」(朴祚烈・作、石川樹里・訳、瓜生正美・演出)を新宿の紀伊国屋ホールで見ました。新劇界の重鎮、瓜生さん(83)は一度は演出家引退を宣言したのですが、「この作品だけは、やりたいので是非もう一度やらせて」と9年ぶりにメガホン(映画じゃないんですが)を取ったのでした。

反戦劇なのですが、笑劇(ファルス)に仕上がっているので、「大いに笑ってください」と事前に聞いていたのですが、やはり、シニカル過ぎて大笑いはできませんでしたね。作者の朴さんが朝鮮戦争での実体験を基にして1974年に発表したものの、当時の軍事政権によって上演禁止処分を受けた作品です。88年に上演解禁されて韓国国内の演劇賞を総なめして、大絶賛で観衆に迎えられたそうです。

演劇の場合、狭い空間の中で色んなことを表現しなければならないので、映画やテレビと違って観客にかなりの想像力と創造力が要求されます。そういう意味で、舞台が、のどかなジャガイモ畑になったり、弾丸が飛び交う戦場になったり忙しいので、それなりに感情移入が必要とされました。

私は、面白かったのですが、一緒に見た作家のXさんは「すべての場面で、主役の呉将軍役の吉村直さんのテンションが高く、もう少し、(テンションを)配分した方がよかったのではないでしょうか」と厳しい批評でした。

あ、呉将軍というのは、本当の将軍ではなく、大きくなったら強い立派な男になってほしい、と親が願いを込めて付けた名前です。いわゆるインテリとは程遠い純朴そのもので臆病な農民が徴兵で軍隊に駆りだされる悲劇を描いた作品です。

久しぶりの演劇鑑賞でした。このブログを書き続けていると、何か自分でもしょっちゅう映画を見たり、演劇を見たり、絵を見たりする生活を送っているような気になってきましたが、そんなことはないんですよ。ちゃんと仕事もしております(笑)。

 

「青春の門」はいまいちでした

 池袋の「あうるすぽっと」で、北九州芸術劇場プロデュース「青春の門 放浪篇」を見てきました。

原作・五木寛之、脚本・演出は、演劇企画集団THEガジラの鐘下辰男ですから大いに期待して見たのですが、がっかり。面白くなかったです。

 

やたら、殴る暴力シーンが多く、女も男もやたらと喚くシーンが多く、ドタバタでとても安心して感情移入することができませんでした。途中で帰ろうかと思ったくらいです。

地方の文化を東京に逆発信する異例とも言える野心的試みでしたが、これでは観客はついていけないでしょう。

残念でした。

会場で、10年ぶりぐらいに大池君と会い、帰りに一緒に飲みました。同い年なので、お互いに老けたと思ったのですが、彼はちょっと太ったなあという感じで、私より10歳も若く見えました。私はあれから極北の地に流刑されるなど、仕事の面では大変苦労をさせられたので、彼より10歳以上老け込んでしまいました。

彼は今、広告の関係をしていて、スポンサーに会って、色んな内幕話が聞けるので楽しいと話していました。最近、上野駅近くにマンションを買ったらしく、羨ましくなってしまいました。

84歳の演劇青年 

 

昨日は、劇団「青年劇場」顧問の瓜生正美さんにお会いして、お話をうかがってきました。

今年84歳になる新劇界の長老ですが、精神的に若いのか、全く老け込んでいませんでしたね。青年のようでした。

 

瓜生さんは、戦争末期の1944年、20歳の時に徴兵されたそうです。「赤紙ですか?」と聞いたら、「いや、白紙なんです。赤紙は、一度入隊して2年間の兵役を終えて、再び徴兵された人に来るんですよ」と、初めて教えられました。てっきり、徴兵証書は「赤紙」だとばかり思っていました。

九州久留米の第12師団48連隊に所属した陸軍二等兵で、長崎に原爆が投下された翌日に、死体処理などで、長崎に入ったそうです。当然、まだ放射能が漲っている中なので、被爆してしまったそうですが、奇跡的に後遺症がなかったといいます。

また、連隊の半分が沖縄に向かう途中、五島列島沖で船が魚雷で沈没させられて、戦死したそうですが、これまた瓜生さんは「居残り組」だったため、助かったそうです。

 

瓜生さんは、小山内薫とともに築地小劇場を開設した演出家の土方与志の最後の弟子に当たります。この土方の祖父の久元が、土佐藩出身で幕末に坂本龍馬らと一緒に国事に奔走した人なのです。維新後、伯爵に列せられました。土方与志は、歌舞伎などのいわゆる伝統芸能一辺倒に反旗を翻して、大正時代に築地小劇場を開設して、チエホフやゴーリキなどの翻訳劇を日本で最初に演出した人でもあります。

 

瓜生さんの話を聞いていると、土方は、リベラルな芸術主義者だったらしいのですが、演劇運動というのは自由主義とかプロレタリアート解放運動につながり、当時の官憲やお上に目を付けられて、随分弾圧されたらしいですね。土方自身も伯爵の爵位を剥奪されました。

だから、戦後、多くの劇団が代々木系の政党員になったり、またまた、ご多分に漏れず、政治と芸術との関係で、内部紛争があって、除名されたり、脱退したりして、色々とあったようです。

 

やはり、演劇というか、新劇というとイコール左翼のイメージがあり、瓜生さんの口から久しぶりに「プロレタリアート」などという言葉を聞いて、非常に懐かしい思いに駆られてしまいました。

 

プレタリアートなんてもう死語ですからね。今の若い人は誰も知らないでしょう。でも、84歳になる演劇青年にとっては、自分の血肉になっており、言葉として自然に出てきたのでしょう。

 

非常に有意義な面白い会談でした。

 

「族譜」 


青年劇場の宮部さんのお導きで、同劇団による「族譜」を見に、はるばる六本木の俳優座劇場にまで出かけていきました。無理をしてでも見に行ってよかったですね。本当に感動しました。何度も涙が流れてきて、困ってしまいました。「ボーン」とは感動の度合いが違いました。

原作はトップ屋から作家として活躍し、45歳の若さで急死した梶山季之氏、脚本演出は、俳優からシナリオ作家に転じたジェームス三木氏。

テーマは重いです。創氏改名という大日本帝国政府が植民地同然だった朝鮮民族に対して行った歴史的事実を扱っています。700年もの血統と両班だった祖先を持つある朝鮮人の地主とその民族としての誇りをズタズタに切り裂いた当時の下級官僚が狂言回しの役割で登場します。

梶山氏は、創氏改名を苦にして自殺した全羅北道に住んでいた実際の人の話を元に小説に仕立てたそうです。族譜というのは、韓国朝鮮で、一族代々の当主が、家系図とともにそれぞれの時代の出来事を書き残して、子孫に伝えるものです。

梶山氏自身は、朝鮮総督府の官僚の子息として昭和5年にソウルで生まれています。戦争中は、子供だったので、直接の加害者ではなかったとはいえ、植民地支配下だった朝鮮に対して日本人が行ってきたことについては、ずっと「原罪」として意識し続けて、作家として作品を書き続けてきたそうです。

作品の粗筋は書きませんが、今、書いたことで、大体、内容は斟酌して頂だけると思います。日本人として、この舞台は、カタルシスがありませんが、多くの人に見てほしいと思いました。本当によくできた作品です。青木力弥、佐藤尚子、船津基、葛西和雄…役者さんも本当に素晴らしくよかったです。

来年、青年劇場は、この作品を全国で再々演するそうなので、頭の片隅にでも入れておいてください。(少し宣伝になってしまいました)

TSUTAYA online

韓国モダンダンス「冬眠のノック」

フィレンツェ

 

作家の山崎朋子さんのお誘いを受けて、韓国のモダンダンスを見に行ってきました。場所は、目黒区の東大駒場前駅にある「こまばアゴラ劇場」。平田オリザが主宰する劇団青年団の本拠地です。

 

演目は「冬眠のノック」というタイトルで、韓国の伝統舞踊、モダンダンス、創作舞踊の3部作になっており、このうちのモダンダンスを見ました。演者は、カリムダ・ダンスカンパニーにです。平田オリザが総合プロデューサーで、舞台を見に来ていました。

 

まるっきり、予備知識も何もないまま、見たのですが、わずか50分の演技に色々と感慨深い要素がふんだんに織り込まれており、しばし、俗世間の柵(しがらみ)から逃避することができました。(カリムダ・カンパニーは、1980年に韓国の名門漢陽大学出身者を中心に結成されたそうです。)

 

パフォーマンスは、3幕仕立てになっており、第一幕は、若い男のダンサーを写したビデオ映像が、観客に向けて映し出され、ダンサーは、光を反射するギンラメの傘を振りかざして、椅子に座ったり、踊ったりしていました。第二幕には、若い二人の男性ダンサーが、オフィスと思しきフロアで、書類の束を狂言回しにしてじゃれあうようにして踊り、第三幕では、中年の男性と若い女性が、激しく愛を交歓するような感じで、スケートのアイスダンスのように、男が女を高く持ち上げたりして、舞台所狭しといった感じで踊りまくっていました。擬態音や笑い声はあっても、意味のある言葉は発しませんでした。最初、全く、予備知識がなかったので、日本人かと思ったのですが、顔付きなどで、どうやら違うようだと途中で分かったのです。言葉ではなく、体全体で感情や思想や哲学を表現するダンスという芸術の奥深さを感じた次第です。

 

観客は若い女性が多く、中高年の男性もちらほらいて、全部で70人くらいいたのではないでしょうか。「面白かった」という感想ではないですが、「こういう世界もあるんだなあ。ダンスだけでは食べていくのは大変なんだろうなあ。疲れるだろうなあ」といった愚直な感想しか思い浮かびませんでした。(失敬!)

 

帰り、渋谷駅のターミナルを通ったのですが、その人の多さには唖然を通り越して、笑いがこみ上げてきました。あれだけの混雑は、世界遺産ものです。そういえば、最近は銀座専門で、池袋、新宿、渋谷といった新都心のラッシュ時にはあまり足を踏み入れてなかったので、そのカオス状態の雑踏は久しぶりでした。あの雑踏の真っ只中にいれば、正常な人間も狂うでしょうね。「過疎」の帯広が懐かしくなりました。

 

インターネットも顔が見えないだけで、カオスの雑踏状態であるのかもしれませんね。最近のネット上の中傷合戦を見聞きするたびに、その思いを強くしました。

青年劇場「博士の愛した数式」

青年劇場の宮部明さんのお導きで、舞台「博士の愛した数式」を見てきました。

演劇鑑賞は5,6年ぶりです。本当に久しぶりに舞台芸術を堪能することができました。宮部さん有難う御座いました。

場所は、地下鉄丸の内線「新宿御苑」からわずか3分の青年劇場スタジオ結です。150人くらい入れる小劇場で劇団の地下の稽古場も兼ねている所です。俳優の息遣いを本当に目と鼻の先で感じられる素晴らしい芝居小屋でした。

原作は、芥川賞作家の小川洋子で、2年前にベストセラーになり、映画化されました。今回の舞台化に当たって、原作にはない人物も登場しましたが、福山啓子の脚本・演出は概ね成功。2時間の上演が少しも長さを感じさせず、舞台に釘付けになってしまいました。

俳優は、テレビに出てこない、演技のしっかりした玄人なので、有名ではありませんが、皆、はまり役で素晴らしく熱演していましたね。特に、ルート少年を演じた蒔田祐子には、最後まで騙されてしまいました。てっきり、少年かと思ったら、少年になりきったうら若き20代の女優さんでした。

それに、あの長い台詞を覚えるのに大変だったろうなあ、と思いました。「友愛数」「絶対数」「完全数」など、数学がまるで哲学のように魅力ある思考回路に七変化するので、ぜひ原作も読みたくなってしまいました。

とにかく、時間の余裕のある人は見てほしいなあ、と思いました。公演は明日までですけどね。(電話は03-3352-7200)

それにしても、新宿御苑の新宿1丁目辺りは、下町風で、落ち着いて本当にいい所ですね。JR新宿駅周辺の雑踏から遠く離れた「大人の隠れ場」です。青年劇場の裏手の太宗寺は、ソフトバンクの王監督のお父さんの葬儀も行われた歴史のある由緒あるお寺だそうです。

「居酒屋白河」は2000円もあれば、酔っ払ってしまう安い居酒屋で、「江原豆腐店」はにがりの調合がピカイチで東京で一番おいしい、というのが宮部さんの談でした。

あ、秘密を教えてしまいました。