「占領期の朝日新聞と戦争責任」を読んで

公開日時: 2008年3月25日 

今西光男著「占領期の朝日新聞と戦争責任」(朝日新聞社)を読了しました。同氏の「新聞 資本と経営の昭和史」の続編で、非常に微に入り細に入り、徹底的に資料に当たって調べ尽くされ、読むのに一週間もかかってしまいました。

朝日新聞という日本を代表する一新聞社の社史に近い話ではありますが、日本の歴史の中で空前、絶後がどうかは知りませんが激動の戦中、戦後の占領混乱期にスポットを当てられたノンフィクションで、そのあたりの歴史に興味がある人なら、面白くてたまらないでしょう。

「占領期の朝日新聞と戦争責任」では、GHQの政略で、はじめは軍国主義者、超国家主義者の戦争責任を追及するために、徳田球一を釈放するなど共産主義者を擁護して大きく左旋回したのに、労働運動が激しくなり、朝鮮戦争が勃発したりすると、大きく右に面舵をいっぱいに振り戻して、今度は左翼主義者のレッドパージを断行します。

大きく振り子が左から右に揺れる度に、時の権力者や財界人の顔ぶれが変わっていく様は、その時代に生きた人間にとって、価値観もイデオロギーも何もあったものではなく、とにかく、長いものには巻かれろ、泣く子とGHQには逆らえぬ、面従腹背の精神で生きてきたのかもしれませんね。

この本で、戦後インフレで、庶民が飢餓にあえいでいた頃、金持ちを狙い撃ちにした「財産税」もしくは「富裕税」の話が出てきます。1946年11月12日公布。1500万円以上の資産を持つ大地主、財閥、華族、天皇・皇族らに何と最高90%の税率が課せられたのです。

最大の納税者は天皇で、このおかげで、箱根離宮が神奈川県に、浜離宮が東京都へ、武庫離宮が神戸市に下賜されたほか、総額37億2000万円のうち、33億円が財産税として納入され、4億4900万円と算定された美術品も物納されたというのです。さらに、皇居、赤坂離宮、葉山などの御用邸、京都御所、桂離宮、陵墓関係なども皇室用財産として国有財産になり、天皇の手元には1500万円が残されただけだったというのです。

1947年10月14日には、秩父宮、高松宮、三笠宮の三宮家を除いた11宮家51人「皇室離脱」になります。この際に元皇室の旧邸は、プリンスホテルに買収されるのですね。このあたりの経緯については、猪瀬直樹著「ミカドの肖像」(小学館)に詳しいです。

個人的に面白かったのは、若い頃、折りに触れて名前を聞き及んでいた人が意外にも朝日新聞出身者だったということです。例えば、日本水泳連盟会長だった田畑政治氏は朝日新聞社取締役東京代表まで務めてした人だったのですね。浜松出身で、浜名湖で競泳選手としてならしたそうです。旧制一高時代からコーチとして活躍し、朝日に入社しても郷里の浜名湖に帰って後進を指導していたそうです。「フジヤマのトビウオ」と言われた後輩の古橋広之進らも弟子の一人です。

テレビ朝日社長だった三浦甲子二(きねじ)氏は、戦後の労働組合運動華やかりし頃、先頭に立って要求を貫徹した闘志だったとは知りませんでした。発送部員だったのが、その後、異例の抜擢で、編集局に異動し、政治部次長の肩書きで同部実権を握った、と今西氏は皮肉を込めて書いております。

三浦氏は、テレビ電波の許認可権をめぐって政界に隠然たる影響力を持ってテレビ朝日社長にまで登りつめるのですが、その「出自」が分かって、なるほどなあ、と思ってしまいました。

この本には、色んな人の話が出てくるので、一言では書けません。今西氏は、公正中立をモットーに筆を進めていますが、やはり、どうしてもどこかで中立の立場からはずれて、自身の見解を披瀝せざるをえない場面が出てきます。その辺りを見抜くのは難しいのですが、私の場合、その微妙な兼ね合いを見つけるのが楽しくて、大変興味深く読むことができました。

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