京都行脚最終回 信行寺〜桃庭〜建仁寺〜きんなべ

京都・建仁寺

京都建仁寺 豪州ブリスベーン出身の修行僧が運んでくれました。何と東京銀座の空也最中。

今日は、京都の旅最終回です。

昨日の記事は、あれでも書くのに3時間以上かかりました。そのせいか「長過ぎる!」「もっと短くしろ!」「プライバシーを守れ!」と非難轟々でした。

まあ、めげずに、緩く、温く行きますかぁ〜(笑)。

建仁寺僧堂の門

10月8日(日)のことでございます。今回の京都行脚のハイライト、京洛先生の奥方様ゆりさんの13回忌法要が執り行われました。京洛先生の御親戚、友人知人ら21人が参列しました。中には、遠く大分県や栃木県、埼玉県、東京から参加されておりました。

京洛先生は、京都の由緒ある家系に御生まれになってますので、菩提寺が京都だけで二カ所もあります。

最近、伊藤若冲のほんまもんの天井画で有名になった信行寺と、京都五山の名刹建仁寺です。こういう歴史的建造物の中で法要ができる御身分は限られております。まず、観光客や一般人が入れない所まで、ズズズイと入れます。

道源山信行寺は、創建不詳ながら、浄土宗知恩院末寺に当たります。若冲最晩年の83歳の時に描いたとされる天井画「花卉図」のある寺として有名になりましたが、普段は一般公開されていないようです。

ということで、撮影も禁止されているようで、一枚も写真ありましぇん。

お昼は、祇園甲部歌舞練場の近くにある高級広東料理「桃庭」です。

いやあ、高級料理とあって、美味旨し。普通はとても入れませんが、特別な日として、京洛先生が御招待してくれました。

建仁寺を創建した栄西入定跡。遺骨も納められているそうで…

午後の建仁寺での法要では、僧の皆さん(という表現も変ですが)が7〜8人も合同で声明を唱えてくださりました。

以前、法然上人の伝記を読んだ時、平安時代末期、このお経を複数の若い僧が合唱する声明を聞いた若い女性たちが恍惚となって、阿弥陀如来の救済に縋っていた場面が出てきましたが、その威力(?)は現代でも衰えていないような感銘を受けました。

無事、全ての法要が終わり、一行は、建仁寺の隣りにある祇園「きんなべ」(大和大路四条下る)に入りました。

夜は、高級鍋料理を出す老舗ですが、昼過ぎは喫茶店として、こうして抹茶なども振る舞ってくれます。

京都の店舗は間口が狭いので、そんなもんかと思ったら大間違い。どんどん奥行きが深く、何処までも、何処までも続く感じ。最後はお庭があり、小さな稲荷神社まであるのですから驚きです。

ここなら、密談、密会、隠れ家…何でもオッケーです(笑)。

池波正太郎がこよなく愛したおでんの「蛸長」。やはり、それなり、なので御覚悟を。

この後、夕御飯を兼ねて、新京極通り四条上るの居酒屋「静」に入店。初めて中に入るのには相当勇気がいる店構えでしたが、中に入ると単なる居酒屋さん。値段も安いせいか、京大や同志社、立命館などの学生さんが多く出入りするらしい。壁は、彼らの落書きだらけでした。

この店では、ゆりさんの御学友を始め友人の女性陣が多く参加しました。この席で、「暴言議員」として有名になった豊田真由子さんの先輩筋に当たる御学友さんも注目の的になりました。

えっ?プライバシー侵害?ま、これくらい大目に見てくださいな(笑)。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

旧《溪流斎日乗》 depuis 2005 をもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む