倉本一宏著「蘇我氏 古代豪族の興亡」は悲運一族の名誉回復書か?

倉本一宏著「蘇我氏 古代豪族の興亡」(中公新書、2015年12月20日初版)。この本は面白い。実に面白かった。

著書は1958年、津市生まれ。国際日本文化研究センター教授。昨夏(2017年8月29日配信)に「戦争の古代史 ―好太王碑、白村江から刀伊の入冠まで」(講談社現代新書)を読んで、大興奮しましたが、その同じ著者でした。はずれがありませんね、一般向けにこの学者の書くものは。今度は、目下発売中の「藤原氏―権力中枢の一族」(中公新書、2017年12月20日初版)も読んでみようかなと思ってます。

倉本氏は恐らく、現代日本を代表する古代史の泰斗ではないでしょうか。

最近、ネット上では、古代史については、誰も分からないだろうからということで、「講釈師、見てきたような嘘をつき」といった内容の素人によるいい加減な記述投稿が目立ち、腹が立っていたのですが、倉本氏の著作は信頼できます。「古事記」「日本書紀」はもちろん、国内の「藤氏家伝」「元興寺伽藍縁起 流記資材帳」から、「呉志」「礼記」「晋書」といった漢籍、朝鮮の「三国史記 百済本紀」などに至るまで多くの原資料に当たって執筆しているので、国際的な視野も広く、敵対する両方の立ち位置まで俯瞰して、できる限り公平性を保っています。

この本は、いわば、これまで天皇絶対史観によって、「蘇我氏=専横=悪玉」「討伐されて当然」として歴史的に決定付けられていた悲運の一族の名誉回復書と言えるかもしれません。

また、大塚ひかり著「女系図でみる驚きの日本史」(新潮新書)で初めて知った(2018年1月17、18日配信)のですが、蘇我稲目ー馬子ー蝦夷ー入鹿の蘇我本流の宗家は滅んでも、いわゆる傍流、分家は、あの藤原氏よりいち早く、天皇家の外戚になったりして、現代の皇室に血脈がつながっていたんですね。

この本の大団円は、やはり、蘇我本宗家が滅んだ皇極4年(645年)6月12日の「乙巳(いつし)の変」でしょう。乙巳の変といっても、半世紀もの昔に学生だった私の世代は誰も知らないと思います。教科書にも参考書にも出てきませんでした。ただ単に「645年 大化の改新」のみです。

しかし、乙巳の変というのは、血生臭いクーデター事件のことで、その後、実権を握った中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が中心となって行った、公地公民制などによる中央集権国家建設を目的とした一連の政治改革のことを大化の改新と言うのが歴史的にも正確な言い方でした。

天皇王権の正統性を詳述した「記紀」によると、乙巳の変は、天皇家から実権を奪って独裁政権を樹立しようとした専横な蘇我一族を天誅により罰したというもので、それがこれまでの「正義」「正当」であり、「歴史」でしたが、この本によると違います。乙巳の変は、複雑な政争だったということです。

当時は、ちょうど唐の覇権主義が朝鮮半島から日本列島にまで及ぼうとしている東アジアの激動期でした。これを向かい討つには、高句麗のように権力集中を目指して、傀儡王を立ててでも独裁権力を振るおうとする蘇我入鹿。(この時、合議制のマエミツキ会議のトップである大臣=オオマエミツキでした)彼は、厩戸王子(聖徳太子)と蘇我蝦夷の妹である刀自古郎女の間の皇子、山背大兄王子を亡きものにしてしまいます。

その代わり、舒明天皇と蘇我蝦夷の妹法提郎媛との間の皇子、古人大兄王子を次期天皇に祭り上げようと画策します。

これに対抗したのが、蘇我一族の血が一滴も入っていない舒明天皇と宝女王(皇極天皇)との間の皇子、葛城王子(=中大兄皇子、後の天智天皇)でした。彼は、唐から最新の統治技術を学んだ留学生や学問僧からの意見を取り入れ、官僚的な中央集権国家建設を目指します。

中大兄皇子の側には、中臣鎌足が付き、鎌足は、蘇我一族の内紛に目に付け、蘇我氏の氏上(うじのかみ)と大臣(おおまえみつき)の座を餌に、蘇我倉氏の石川麻呂と阿倍氏の内麻呂を誘い込んだのではないかというのが、倉本氏の説です。

乙巳の変の刺客に選ばれたのは、中臣鎌足が推挙した佐伯子麻呂と葛城稚犬養網田(かつらぎのわかいぬかいのあみた)。

「石川麻呂が上奏文を読み上げ終わりかけていた頃、中大兄皇子が入鹿に突進し、剣で頭と肩を斬り割いた。入鹿が立ち上がると、子麻呂が片脚を斬った。皇極天皇が宮殿に入った後、子麻呂と網田が入鹿を斬り殺し、入鹿の屍は雨で水浸しになった前庭に置かれ、蓆や障子で覆われた」と書かれています。

とても今から1373年前の大昔に起きた出来事とは思えないほど生々しい描写です。

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