こんにちは。皆さまご存知の京洛先生です。
昨日は、京都五山の「建仁寺」の湊葆州(素堂)前管長の「13回忌法要」に伺い、ご焼香をしてきました。
「7回忌法要」の時も、《渓流斎日乗》に、その様子を御報、掲載されましたが、その後、他の貴重な日記、写真とともに、諸般の事情から、雲散霧消、電脳空間から潰え去りました。
ですから、本日は、改めて、お坊さんというか、高僧の「法要」の様子を御報します。
昨日は午前10時から、皆さまもご存知の建仁寺で、僧侶、在家、檀信徒らおよそ400人が参列して、法要が、粛々と営まれました。貴人も、かって、ご覧になった事もある、創建800年(平成14年)を記念して、小泉淳作画伯が天井に描いた「双龍図」がある「法堂」が法要のメイン会場です。
湊老師の弟子であり、同寺の小堀泰巌現管長が導師になり、臨済宗の各派本山の管長さん、高僧ら百人余が読経されましたが、お坊さんが大勢でお経をあげられるのは写真とおりで実に壮観です。
在家の迂生は、法堂内で、椅子に座って、お経を聞きながら、手を合わせ、廻し香で、済みましたが、お坊さんたちはお経を唱えながら、一時間弱、堂内をグルグル回られるのですから、高齢の方は大変だと思います。日頃、修行をされているから、大丈夫でしょうが、俗世間の高齢者ではとても務まらない、と思いましたね。
食事のお斎(おとき)も、在家は、部屋で座って、食べるのが、苦痛なお年寄りが多いようで、「椅子に座る方がよろしおすなあ」と注文をつける人もいました(笑)。これも洋風の暮らしに慣れた現代人の成れの果て、結末だと思いますが、若者をどうのこうの、言えませんね(笑)。
迂生が、座った大広間も、正座が出来ない方が多く、胡坐をかくのすら、大儀、難儀なようです(笑)。「この間、正座して、時間をおいて、その場で立ったら、ボキッと骨が折れる感じがしたので、吃驚しましたわ」と冗談とも、いえないやりとりをしている人がいましたね。こういう席での、世間、話は、なんともいえない人生勉強です(笑)。
法要で、「矢尾治」(検索するとどんな仕出し屋か分かります)の、精進料理が出ましたが、お箸の紙袋を写真添付しましたのでご覧ください。
禅宗の御膳らしく「食事五観文(しょくじごかんもん)」が書いてあります。渓流斎さんは「食事五観文」はご存知ですか?
大約すると①この食物が食膳に来るまでの、幾多の労力に感謝しよう②自らの行いについて、この食物を頂くに値するか、反省、供養して頂きましょう③誤った行いを避けるため、三毒(貪る、瞋り、痴か)の過ちはしません④食事は良き薬であり、身体を養い、健康を得る為に頂くのです⑤仏の道を進む為、この食物を頂きますーという事です。
そして、もう一つ、大広間には、法要にあたって、湊老師の墨蹟がかかっていました。「生死事大(しょうしじだい)」、「光陰可惜(こういんおしむべし)」です。
人間は「まだ、まだ」と思っている間に、時間は過ぎる。一刻、一刻を大事にしないといけない。この世は無常で、常に存在するものではない!、という警句ですね。
「志」をたてたら余計なことは考えず、専心、日々、一瞬、一瞬を精進しろという事です。「もう、過去の人ですよ」なんて悠長なことを言っていてはダメですぞ(大笑い)。「喝!」です(大笑)。
人間、長く生きたとか、短いとか、ではなく、人生、どう生きたのか、と言う事です。言うは易いのですが、実践は難しいものです。
湊老師は、串本の「無量寺」の住職時代には蘆雪、円山応挙の美術館を境内に建てられました。
また、埼玉県川口市芝の「長徳寺」の住職もされました。「和歌山 無量寺」、「川口市 長徳寺」で検索すると、どういうお寺か分かります。長徳寺は一度行かれると良いでしょう。色々、逸話のある古刹です。
法要の「粗供養」で頂いた、建仁寺御用達の「松寿軒」の薯蕷饅頭、美味そうでしょう。
うまずいめん喰い村の彦作村長がご覧になれば、「美味しそうでたまりません!」と、涎をたらたら流される、と思います。
以上
All photos Copyright par Kyoraque-sensei
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京洛先生ならではのインサイドショット。凄いものです。お坊さんがこれだけ揃った光景なぞ関東の僻地では想像すらできません。まさか薬師寺のようなことはないでしょうが、かつて商社ガールが「お坊さんって色っぽいわあ」とため息をついていたことを思い出しました。松壽軒の薯蕷饅頭、よだれよりもあの日のことを思い出してしまいました。悔しいので、パソコンに手を突っ込んで、これから食べようと思いますダ(笑い)。