生きられるだけ生きよう

ローマ

北海道に住むSさんから「あなたのブログが、もっと、夢と希望に満ち溢れ、プラス志向で、楽しい話題だったら、もっともっとアクセスしてくれる人が増えるのではないでしょうか」という貴重なアドバイスを戴きました。

うーん。

「楽しいこと」と言っても、あまり思い浮かびませんね。「今の世の中、治安が乱れ、若者は、電車の中で座り込んで携帯で大声で話しをして、男の子が、耳や唇にピアスして、モラルのひとかけらもない。ひどすぎる」とすぐ周囲のせいにしてしまいます。

以前、朝日新聞の漫画で「フジ三太郎」というのがありましたが、我らのヒーロー、三太郎さんは、バニーガールのお姉さんと一緒にラインダンスを踊っている夢をよく見ていました。

私もそんな夢しか思い浮かびません。情けないですね。ピアスの若者以下なのかも。

そこで、気持ちを引き締めて…。

 

「出会いとは、結局のところ、他者を介しての自分自身との出会いなのである」ー小林司

「生きるだけ生きよう 草 萌ゆる」-山頭火

「行き行きて 倒れ 伏すとも萩の原」-曾良

「悲しめるもののために みどりかがやく 苦しみ生きむとするも ものために ああ みどり輝く」-室井犀星

「相手に魅力を感じないで付き合うなど これ程しんどい話はあるまい」-陳舜臣

独りではない

ローマ

公開日時: 2007年2月21日 @ 20:03

子曰く、徳 弧ならず、必ず隣有り。

(現代語訳)

老先生の教え。

人格のすぐれている人は、決して独りではない。

必ず(その人を慕ってそのまわりに)人が集まってくる。

歯科の初診3000円は高すぎますか?

ローマ

Aさんは、寄る年波で、体のあちらこちらでガタがきてきました。

まず、仕事でパソコンのやり過ぎで、眼痛と首痛と激しい肩痛。

花粉症が復活して、目のかゆみと鼻炎。

昨年から右奥の虫歯から最近急に痛みだし、腰、脚、膝、そして、爪先に至るまで、鈍痛が一ヶ月も続く有様。

運動不足も遠因なのでしょう。

ヘレン・ケラー並に「四重苦」「五重苦」を抱えています。

ところで、Aさんは、今日、歯医者さんにいったところ、初診で3、010円払ったそうです。

これに対して、彼の友人から「それは、高い」と言われたそうです。大体1500円から1700円ぐらい。銀座とか、高くても2000円くらいが相場。「儲け主義」の店ではないか、というわけです。

Aさんは、当初、別の歯科医院に行ったのですが、予約で満杯で、次に予約できるのが、何と10日後と言われたのです。仕方なく、彼は、そこの近くで、出来立てホヤホヤの駅近マンションの1階にある歯科医院に飛び込みで行くことにしました。

ちょっと、高級そうな感じで、院内は明るく、器具設備も新品。院長先生も医学博士。今度は、ほとんど待たされることなく、すぐ診てもらうことができました。

ただ、痛い歯だけ、治療してもらおうとして、診察前のアンケートにもその旨を明記したのに、「ここにも虫歯があります」「ここにもあります」「今度治療しましょう」と積極的に奨められたそうなのです。

裏を返せば、この歯科医院はあまりにも高い店なので、お客さんがいなかった。この歯科医院は、設備費などの元手を取り戻すために、高い料金体系に設定していた。とにかく、何でもいいから治療費をふんだくりたかったので、虫歯の治療を奨めたーということだったのでしょうか。

私は、この辺りのからくりについては、よく知りません。どなたか詳しい方は是非教えてください。

歯医者の初診が3000円というのは、やはり高いのでしょうか?

貧困の風景

ローマ

最近、『貧困の風景』を上梓した作家の曽野綾子氏が「今の日本は格差社会とか、いくら働いても貧しいワーキングプアーとか言ってますが、日本人は本当の貧困を知らない」と嘆きつつ、警鐘を鳴らしています。

現在75歳の同氏は、アフリカなどの最貧国を訪れ、エイズと診断された途端、食べ物が与えられなくなった子供たちなど、過酷な現状を目の当たりにしてきました。

曽野氏は、「本当の貧困とは、明日、食べる物がないということなのです。今の日本人はそういう人は稀でしょう」と言うのです。「私は、新聞の投書を読むのが好きなのですが、給料が下がって、歌舞伎の鑑賞に行けなくなった、というのがありました。別に歌舞伎を見に行くなと言うつもりはありませんが、世界の貧しさの現状をみれば、日本人は何て幸せなんだろう、と思われるでしょう 」と、ラジオのインタビューで答えていました。

こういうことは、口で言ったり、頭で考えただけでは分かりません。

ということで、曽野氏は、大胆な提案をするのです。
「一年のうち、二日でいいから、断食してみてください。そして、電気の一切ない生活をしてみてください。真っ暗な暗闇の中でテレビも携帯電話もない生活をしてみてください。この時、初めて、世界の貧困の現実が少しは分かるかも知れませんね」

さあ、皆さんにはできるでしょうか?

大丸と松坂屋

ローマ


大手百貨店の大丸と松坂屋が経営統合を検討しているようですね。合併すると、売上高の総額は約1兆1600億円となり、首位の高島屋(1兆311億円)を抜いて、業界トップになります。


大丸(大阪市)は、享保2年(1717年)、京都・伏見に開業した呉服店「大文字屋」が前身で、全国に16店舗。松坂屋(名古屋市)は、慶長16年(1611年)、名古屋で開業した「いとう呉服店」が前身で、全国に9店舗あります。


百貨店の履歴について、今、たまたま読んでいる広瀬隆著「持丸長者 幕末・維新篇」(ダイヤモンド社)にもう少し詳しく書いています。


「大丸は、下村彦右衛門が、京都伏見に呉服店「大文字屋」を創業。将軍吉宗の時代にそれを2000坪の『大丸』に発展させ、江戸大伝馬町に進出した」とあります。大伝馬町は、伊勢商人など、豪商たちが競って、今で言うチェーン店を開店したところです。


松坂屋については、もう少し詳しく書いています。織田信長の「三蘭丸」の一人、伊藤蘭丸の孫の伊藤次郎左衛門が、今の名古屋市の茶屋町に呉服商を起こした、とあります。


この茶屋町を切り開いたのが、「京の三長者」の一人に数え上げられた茶屋四郎次郎の兄弟である茶屋新四郎で、尾張徳川家の御用達呉服師となった人です。京の三長者とは、金座の頭役の後藤家(大芸術家の本阿弥家と縁戚)と、帯座頭の角倉家(角倉了以ら。琳派の尾形光琳は角倉一族)、そして呉服商の茶屋四郎次郎の三家のことです。


茶屋家については、こう書かれています。


室町の将軍足利義輝が、呉服太物商、中島(中嶋)四郎左衛門のもとに立ち寄って、しばしば茶をすすったので、中島家は「茶屋」の屋号を名乗るようになる。中島四郎左衛門の息子、中島清延は、関が原の戦いの前から徳川家の戦略物資の調達商として活動し、本能寺の変の際には、武装していない家康の伊賀越えを先導して、窮地から救い出して、命の恩人となり、家康の隠密として暗躍する。この清延が、初代の「茶屋四郎次郎」を名乗る。


そういうことだったのかー。著者の広瀬氏は、いつも「ポッと出はいない」というのが、口癖でした。大丸も松坂屋も今、急にポッと出てきたわけではないのです。こういう歴史的背景があったとは知りませんでした。


「持丸長者」は日本の歴史を、経済戦略の面から捉えなおした画期的なノンフィクションで、本当によく調べています。武田信玄も、浅井長政も戦国時代の武将として、負けて消えてしまったと思いがちですが、彼らが残した遺産や血脈は、脈々と受け継がれているのです。これは、驚異的です。


また、追々、この本については紹介していきたいと思います。

謎の慈善団体

ヴァチカン博物館

1月にテレビ、新聞、週刊誌等で全面的に広告を展開していたアメリカのフロリダ州に本部を置く慈善団体がありました。有名歌手やプロ野球監督らを広告塔に使い、広告費総額は10億円と言われます。私は、テレビの広告は見ていないのですが、新聞の全面広告を何紙かで見ました。「何だろう?随分、お金をかけているなあ」というのが、第一印象です。

ただ、住所と名前を通知すれば、無料で書籍が送ってくる、ということで、私も早速、試してみました。本来ですと、私はこういうことは滅多にしないのですが、興味本位と、ブログに書いてしまおうという魂胆があったためです。

かなり時間が経って、恐らく、1ヶ月経って、小誌が送られて来ました。週刊誌等の報道によると、この慈善団体の創立は1955年で、創始者は、競馬のノミ屋から保険会社を興して財をなした人で、1978年に53歳で亡くなっています。彼の妻が財団を継ぎ、その資産は600億円あるといわれます。

キリスト教プロテスタント福音派の支援者で、進化論を否定し、妊娠中絶や喫煙、同性愛などを強硬に反対しているということですが、財団の入会者は、秘密保持契約のサインをすることが規則になっているので、財団の実態については秘密のヴェールに包まれています。

いくら資産が600億円ある、といっても使うだけでは、すぐなくなってしまうでしょう。米国では1993年に初めて中絶禁止のCMを放送し、1998年から99年にかけての半年間で、キャンペーンのために33億円がメディア戦略費として使われたといいます。広告費に年間60億円も使えば、10年でなくなってしまいます。何らかのインカム(収入)があるはずですが、謎です。

「勧誘などはしていないので、カルトではない」という識者談話もあります。

早速、送られてきた小誌を読んでみましたが、神の子イエス・キリストを信仰することによって、奇蹟が生じ、心の平安を勝ち得た様々な事柄が書かれていました。日本ではキリスト教徒は人口の1%以下と言われていますが、この本に感銘を受けて、信仰の道に入る人もいるかもしれません。

何十万部印刷したのか、何百万部印刷したのか、分かりませんが、この謎の慈善団体の目的はさっぱり分かりません。豊富な資産を惜しげもなく投入しての伝道活動が目的なのかもしれません。最後には、進化論を否定し、中絶や喫煙や同性愛を否定する運動家を作ろうとしているのでしょうか。

あ、もしかして、物好きな暇人にブログに書かせるのが目的ではないかと、今、気が付きました。

遅かりし、蔵之助

アンダーグラウンドの話 住吉会

その筋というか、アンダーグラウンドの世界が今、喧しいね。

2月5日に指定暴力団住吉会小林会系の杉浦良一幹部が白昼に射殺されたのをきっかけに、都内で発砲事件が相次ぎ、ついには、15日、山口組系国粋会の工藤和義会長が自殺するまで混乱が続いています。

マスコミ情報を総合しますと、国粋会は大正8年に原敬首相(当時)らの肝いりで結成された「大日本國粋会」が源流。関東博徒の老舗組織で、渋谷、六本木、新橋、銀座などを縄張りにしています。昭和30年代に関西の山口組の関東進出に歯止めをかけるための共同戦線「関東二十日会」に参加しましたが、2005年9月に、国粋会の工藤会長が山口組の六代目司忍会長と兄弟盃をかわし、国粋会は二十日会を脱会し、山口組の傘下に入ってしまうのです。

住吉会小林会は、国粋会から六本木の縄張りを借り受けて、ショバ代を納めていましたが、その慣習もあいまいになり、ついに国粋会を傘下に収めた山口組との軋轢が表面化したと言われます。

先頃、発売された『東京アンダーナイト』(廣済堂出版)の著者は、「東洋一のクラブ」と称された赤坂の「ニューラテンクォーター」の元社長山本信太郎氏ですが、それによると、昭和38年12月に同クラブで起きたプロレスの力道山刺殺事件は、計画的なものではなく、「偶然のバッティング」であったことが明らかにされています。(興味のある方は本書を読んでください)

加害者は、住吉連合小林会の村田勝志組員(現住吉会副会長補佐)。ニューラテンクォーターが、赤坂を縄張りにしていた小林会の小林楠扶会長に顧問を依頼していたので、用心棒として同クラブに出入りしていたようです。在日朝鮮人だった力道山の背後には東声会があったといわれ、東声会の町井久之会長(本名鄭建永)は山口組三代目田岡一雄組長を後楯にしていたことから、当時は、両組織の抗争事件のように推測されていましたが、事実は、全くの偶然だったというのです。

東声会は、力道山事件の一ヶ月前の昭和38年11月に、当時、政界の黒幕と言われていた田中清弦暗殺未遂事件を起こします。「田中が、三代目を利用して関東ヤクザを攪乱しようとしている」という風評がたったためと言われます。関東ー関西の抗争は今に始まったわけではないのです。

今の現象だけを見ても、なかなか事件背景は見えてきませんが、こうして20年、30年、いや50年、100年の歴史的スパンで見ていくと、その真相が見えてきます。

今回の国粋会の会長は内部抗争で悩んでいたと言われ、彼の自殺で、再び、何か火種が勃発しそうです。

茨木のり子「倚りかからず」

ローマにて

公開日時: 2007年2月15日 @ 10:21

人生を「勝ち組」「負け組」で分類する人がいますが、実に嫌な言葉ですね。

会社で出世して、部長やら取締役やら社長やらになって、豪邸に住むことが幸福だと思っている人なら、そりゃそうでしょうけど、会社員なら皆さん、いつか定年でお辞めになる日が来るわけですし、辞めてしまえば、ただの人で、町内会で、いくら「元部長」だの「元重役」だのと威張ったところで、高が知れているというものです。

それに、いつか、どんな人でも、必ず「あの世」とやらにまかり越さなければならない身であり、いくら金銀小金を溜め込んでも残念ながら、あの世に持って行かれるものでもなし。

知識や教養とて同じ。いくら身に着けても所詮は人様からの借り物。詩人の茨木のり子さんは、詩「りかからず」の中で、「もはやできあいの思想や学問や宗教にはよりかからない」と高らかに宣言していますが、こちらの方が却って気持ちがいいくらいです。

X氏は言いました。

「人生、負けるが勝ちだよ」

有り難い話

ピエタ

Yさんが、色々と体調のことを心配してくださって、何軒か病院まで紹介してくださいました。

一軒は、漢方医薬局で、もう一つは大学病院です。大学病院も、念には念を入れて、その筋では権威と言われている二件の医師まで紹介してくださいました。「医師の診断は、一人だけでは駄目。いわゆるセカンド・オピニオンを求めなければならない」というのがYさんの信念です。何度も何度も電話を戴き、どうして、そこまで、心配して戴けるのかと思っていたところ、何年か前に、Yさんは、知り合いから、それとなく、相談を受けたとき、仕事が立て込んでいて、後回しにしていたら、その方は、亡くなってしまったというのです。その後悔の念が今回、Yさんを駆り立てているようです。

「少しばかりのお金とか、名誉とか、そんなものは、なくたって生きていけますが、生命は、1つしかありませんからね」というYさんの言葉は、本当に心に染み入りました。

ところで、この文章に主語はないですね。ということで、誰のことかは、伏せておきます。

情けない話

岡本綺堂の「半七捕物帳」はわずか70年前から90年前に書かれたものですが、現代人から見て、ほとんど意味が分からない言葉や死語が出てきます。

経師職(きょうじや)や回札者という職業も聞いたことがあっても、絵姿は見たことがありません。池鮒鯉(ちりゅう)様の御符売りという蝮蛇除けのお守りを売る人がいたということもこの本で初めて知りました。

辞書で調べれば出てくるでしょうが、「べんべら物」「柄巻」「山出しの三助」「堤重」などという言葉が何気なく出てきて、昔の人は、こういう言葉は辞書なんか引かなくてもすぐ分かったのだろうなあ、と悔しくなってしまいます。

ただ、次の文章は、よく分かりませんでした。「修善寺物語」など新歌舞伎の台本作者として名を馳せた綺堂のことですから、古典の素養を下敷きにしているのでしょうが、ちょっとお手上げでした。

半七親分と手先の松吉が春の桜時、鬼子母神前の長い往来に出たときのことです。

「すすきのみみずくは旬はずれで、この頃はその尖ったくちばしを見せなかったが、名物の風車は春風がそよそよと渡って、これらの名物の巻藁(まきわら)にさしてある笹の枝に、麦藁の花魁が赤い袂を軽くなびかせて、紙細工の蝶の翅(はね)がひらひらと白くもつれ合っているのも、のどかな春らしい影を作っていた。」(帯取りの池)

昔の人なら情景がパッと浮かんだことでしょうが、どうも、私なんぞは、言葉の一つ一つは分かるのですが、外国語を読んでいるような感じです。情けないので、正直に告白しました。