鍵屋

昨晩、いや一昨晩、根岸(東京都台東区)の老舗居酒屋「鍵屋」に3年ぶりにに行ってきました。閑静な住宅街のど真ん中にあり、まるで、昭和初期にタイムスリップした落ち着いた所ですが、台東区議員とかいう酔っ払いの呉服屋のおっさんにからまれて、散々でした。

いつもは奥に引っ込んでいるご主人の清水賢太郎さんが、出てきて、話を聞いてくれたりましたが、もともと下谷の言問通りにあった「鍵屋」は現在、小金井公園の「江戸東京たてもの園」にあることを教えてくれました。昔、行ったことがあるのですが、「高橋是清邸」は強烈な印象が残っているのですが、そういえば、何となく、酒屋があったなあ、といった記憶しかなく、それが、「鍵屋」だったとは知らなかったのです。

鍵屋は、江戸時代から続く老舗中の老舗です。小金井公園内に移築された建物は、安政3年(1856年)建築ということですから、丁度、150年前にできたわけです。何と言うことでしょう。今の店が昭和初期を感じさせるのは、まだまだ新しい。幕末や明治の香りが残っていると言うべきかもしれません。名物のたたみいわしと煮奴、うなぎのくりから焼きを堪能しました。お酒はもちろん、菊正宗。

この日は、T君の就職祝いが名目でした。今年5月に施行された新会社法によって、大幅な手続き変更が必要な会社が多く、その手続きを代行する仕事です。彼にとっては全く、これまでとは違う分野ですが、心機一転、毎日徹夜する構えがあるほど意欲に燃えていたので、一安心しました。事務所のSさんが目をかけてくださって、これも、人の縁というか、私も本当に有り難い気持ちでいっぱいになりました。

鍵屋を出て、鶯谷駅の近くに立ち飲みの焼き鳥屋があり、焼き鳥5,6本、冷酒5,6杯と、しこたま飲んで、1000円ちょっとという信じられない値段でした。

もちろん前後不覚になって、どうやって帰ったか覚えていません。翌日新聞を見たら、夜6時半頃に鶯谷駅で人が線路に入り込んで、50分間不通になって、15万人が足止めを食ったという記事が載っていました。

結果的に深酒してよかった…。

STVライブは素晴らしい、懐かしい

中村さんからメールを戴き、STV(札幌テレビ)のホームページにある「ライブカメラ」http://www.stv.ne.jp/webcam/tokachi/index.htmlを教えてもらいました。

北海道各地の今の様子がライブで写しだされているのです。札幌だけでなく、あの懐かしい帯広もあります。

ああ、懐かしい!涙が出てきました。小樽も釧路も函館も釧路もあります。

ああ、行ったね、あそこも行ったね、といった感じで、嬉しくなってしまいました。

北海道ファンの皆さんは是非ご覧ください。

「国家と宗教」

ミラノ

 

保坂俊司著「国家と宗教」(光文社新書)を読みました。

この本は、タイトル通り、「国家」と「宗教」という壮大なテーマを比較宗教学などを駆使して歴史的に分析しています。門外漢にも分かりやすく、「キリスト教と政治」「仏教と政治」など四つの章に分けて解説され、とても深い省察と考えるヒントを与えてくれてくれました。

 

 著者の保坂俊司氏は、「インド仏教はなぜ亡んだのか」などの著作がある麗澤大学教授で専攻はインド思想です。彼は、キリスト教、イスラム教、仏教などを比較し、非暴力を唱える仏教の持つ思想が、21世紀の世界に不可欠な思想である、と力説しているのです。なぜなら「仏教のみが世界宗教の中で、武力を伴わずに世界に平和裡に伝播された宗教だから」ということが根拠になっています。

 

そして「宗教の違いで互いに争い合う現状において、それを緩和する発想として縁起や空の思想を政治哲学や社会哲学として展開することは、大いに意味のあることである」と、政治理念としての仏教の重要性を強調しています。しかも、その理念を世界に広めるのに「最適なのが日本人である」とまで言っているのです。

 

 ここまで、政治と宗教の密接な関係に踏み込んで論陣を張った著作を読んだのは初めてです。著者は、戦後教育を受けた現代日本人は、宗教と政治は分離しなければならないという「政教分離原理主義」思想に神経質なほど凝り固まっている。しかし、世界を見渡すと、例えばイスラム世界では、政教一元の政治思想が大原則であり、イスラム的政治制度を国教として導入している国は国連加盟国中の20%にもなるというのです。

 

米国でも、「政教分離主義」が原則です。しかし、これは、政府や公権力が特定の宗教や宗派を優遇しないという意味で、政府などが宗教に一切関わらないという意味ではないのです。

だから、「選ばれた民の意思は神の意思」といったキリスト教的思想が広く形成され、ブッシュ大統領の「アメリカの戦いは正義の戦い」などという発言がごく普通に発せられるというのです。

つまり「十字軍」の歴史感覚が現代でもまかり通っているわけです。そもそも、日本人も60年少し前までは、自らの国を「現御神(あきつみかみ=天皇)が治める神の国」と称して、宗教と国家の結びつきを疑う人がどれほどいたでしょうか、と著者は疑問を投げ掛けています。

 

日本の明治新政府が廃物毀釈を断行し、国家神道を主軸に据えた背景に「土着のものが優れ、外来のものが劣る」という思考があり、仏教を排除してヒンドゥー教を第一としたインドの「廃仏思想」に通じると、著者は喝破しています。

 

日本では、本地垂迹説が自然と受け入れらて、神仏習合していた奈良から江戸時代にかけての方が、明治以降より、戦争が少なかったという著者の指摘にも思わず、うならされました。

 

明治以降の戦争で、国家神道が日本の宗教として利用されて、死さえ恐れさせない狂信的な若者たちを生み出してきたことは、現在、イラクやアフガニスタンやニューヨークやロンドンなどで自爆テロを敢行して死さえ恐れず、むしろ英雄視される風潮と宗教観に相通じるのではないか、と考える人間は私だけではないと思います。

1979年欧州の旅

ミラノ

【1979年7月19日(木) 曇 宿泊都市:ロンドン】

with 今村氏

Abbey Road

Regent park

Paul McCartney の自宅を見学

朝:食いそびれ

昼:スーパーで66ペンスのチキン、ブレッド、ミルク、トマト しめて1ポンド15ペンス1/2 リージェント・パークのベンチで食べる

夜:ビーフカレー、ビール 1ポンド32ペンス+tax で 2ポンド3ペンス

【補遺】

あこがれのアビイ・ロードの横断歩道を渡って写真を撮り、ポールの家を探し当てた(改築中だった)というのに、感動のひと言も書いていない。どうしたのかなあ?

【7月20日(金) 宿泊都市:ロンドン】

一日中、何もなし。すべて失敗。

ただ一つよかったことは、安い学宿を見つけたこと。食事付きで1泊約2300円。

ピアノが久しぶりに弾けて嬉しかった。

全く迷いどおしの一日。

British Museum に着けば、ギリギリで締め出しを食ってしまった。

明日ももう一泊ここでするので、少しは落ち着くつもり。

あさってはLiverpool に行くと思う。

朝:ホテルのビュッフェ

昼:ハンバーグ92ペンス、ミルク16ペンス、缶ビール25ペンス、コーラ25ペンス

夜:ホステル ビール2本 54ペンス

ホテル:International Student Center 4ポンド71ペンス

【補遺】

何が失敗だったのか、よく覚えていない。

【7月21日(土) 曇 宿泊都市:ロンドン】

朝はEarl’s Court を散歩したり、郵便局へ行ったりしたらつぶれてしまった。ポストカード 15ペンス

昼はBritish Museum に行く。

夜は Picadely Circus で下らぬ映画 2ポンド50ペンス

地下鉄 80ペンス×2 ビール 66ペンス

ホテル:ISC 4ポンド71ペンス

【補遺】

大英博物館で、エジプトのミイラを見て圧倒されたりしたが、記述は全くなし。もちろん、映画を何を見たのか覚えていない。

【7月22日(日) 曇 宿泊都市:リヴァプール】

あこがれのリヴァプール! 結構広いのでビックリした。午後4時に着いて、インフォメーションセンターでYMCAを紹介され、落ち着く。西独のグループと一緒になる。

ロンドンのイーストン駅からリヴァプールのライム・ストリート駅まで20ポンド50ペンス。5時間くらいかかったが、車中、8歳のかわいい女の子と暇をつぶした。母はチェコ人、父はスペイン人、彼女は英国人というので、感心してしまった。最初は男の子かと思った。

宿に着いて、ブラブラしていたら親切なおじさんが「バス(64ペンス)に乗ったらいい」と教えてくれた。かなり寒かった。ペニーレインまではすぐ分かったが、ジョンの自宅の方はひどく迷った。まるっきり規模が違うのでビックリした。

ここは午後10時でもまだまだ明るいので、すぐ時間がたってしまう。クオリーバンク中学の横にはどでかい公園があって、ジョンもここで遊んだんだろうなあと思うと胸がつまってきた。

ミミおばさんの家では、せっかく我々は日本から来たのだからと思って、ブザーを押したら、奥さんが出てきて、「ミミおばさんは、もう13年前に引っ越した」と話してくれた。「そういえば、そうだ」と思って、「悪いことをした」と思った。

朝:ISTのビュッフェ

昼:車中 57ペンス

夜:Wimmpy で 140ペンス ハンバーグ53ペンス

ホテル:YMCA ダブルで3ポンド90ペンス

【補遺】

ジョン・レノンが住んでいたリヴァプールに自宅に、関係者が住んでいるわけがなく、ブザーを鳴らしに来た日本人は何百人といたことでしょう。悪いことをしました。

「父親たちの星条旗」

クリント・イーストウッド監督の話題の映画「父親たちの星条旗」を丸の内ピカデリーで見てきました。

新聞も雑誌も大きく取り上げ、辛口の映画評論家も満点に近い評価を与えていたので、大いに期待して見に行ったのですが、正直、無名の俳優を採用したせいか、登場人物と名前がほとんど一致しなくて、困ってしまいました。そういうことに触れた評論家は一人もおらず、「彼らはやはりタダで見て勝手なことを言ってるんだなあ」と再認識しました。

もちろん、この映画に取り組んだクリント・イーストウッドの勇気と業績はいささかも揺るぎのないものであることは変わりはありません。

これまでの戦争映画といえば、「正義の味方」アメリカが、悪い奴ら(日本やドイツ)を懲らしめて、苦しみながらも勝利を収めるといった「予定調和」的な作品が多かったので、観客(もちろん連合国側の)は安心して見ていられたのです。しかし、この映画に登場する戦士たちは、何と弱弱しく、あまりにも人間的に描かれていることか。兵士たちも当時20歳前後の若者たちが多かったせいか、登場する兵士たちも皆、少年のようにあどけなく、戦場では恐怖におびえて、子供のように泣き叫んでいる。硫黄島で米軍は、約6800人が戦死し、約2万1800人が負傷したということですから、実態に近い描き方だったと思います。

主人公のブラッドリーが凱旋演説で「本当のヒーローは(硫黄島の擂鉢山に星条旗を揚げた)我々ではなく、戦場で死んでいった戦士たちです」といみじくも発言した通り、ヒーローに祭り上げられて生き残ったインディアン系のアイラは、死んだ戦友たちに対する申し訳ないという悔悟の念で、アル中が遠因で不慮の死を遂げたりしてしまうのです。

この映画では、星条旗を揚げたヒーローたちが、戦時国債を売るための「人寄せパンダ」に利用され、最後はボロ衣のように捨てられてしまう有様を冷徹に描いています。そこでは、登場人物に対する感情移入ができなければ、カタルシスもありません。かつてのハリウッド映画が避けてきたような題材です。それを態々、映画化したクリント・イーストウッドの勇気には感服しました。

12月には日本側から硫黄島の戦いを描いた「硫黄島からの手紙」が公開されます。予告で見ましたが、こちらの方が面白そうです。もちろん、見に行きます。

 

ゲストハウスとレストボックス

ミラノにて

T君が、イタリア旅行から帰って来て、郷里に帰らずに、そのまま東京に居着いた場所が、ゲストハウスと呼ばれる所でした。私は、それまで、このゲストハウスについては全く知らなかったのですが、もともと、外国人旅行者が長期滞在するために利用していたものが、ビジネスとして発展したらしいのです。都内だけでなく、全国かしこにあるようです。

2段ベッドがざっと10架か20架くらい並んでいて、共用スペースにシャワーがあったり、食事用の簡単なテーブルや電子レンジがあったりします。1泊1200円とか2000円くらいで、月額3万6千円から、個室用の9万円とかあったりします。インターネットで検索するとたくさん出てきます。

T君が居着いたゲストハウスにはフランス人のパリジェンヌ(変な言い方ですね)が居て、半年近く、日本に滞在していて、ここを拠点に日本全国を旅歩いていたそうです。そういえば、私も昔、ヨーロッパを旅行した時、こういう感じの宿に泊まったことがありました。アムステルダムの「YMCA」です。そこは、男子専用でしたが、少し、男色趣味のある黒光りしたアンちゃんがジロジロ物色していたので、気持ち悪かった思い出があります。

ゲストハウスは、男女兼用で、かのパリジェンヌもタオル一枚を体に巻いて、平気でシャワールームから出てきたりしたそうです。

ミラノ

そして、ゲストハウスに似た宿として、今「レストボックス」というのが注目されています。ここも、一泊1200円とか2000円とかの低料金、長期滞在型で、若者のフリーターがよく利用するそうです。もともと、建築会社の請負会社が始めたそうなので、「建築現場」などの仕事も斡旋してくれる所があります。ここで、半年ぐらい仕事をしながら生活していて、「お金をためて、将来、お店を出したい」という青年が、テレビの取材に答えていました。この青年は親との折り合いが悪く、22歳にもなったので、親と同居するのもいかがなものか、と家を出たらしいのですが、ちゃんと、そんな親にも仕送りしている、というのですから、本当に感心してしまいました。

ゲストハウスにしろ、レストボックスにしろ、若者や外国人だけでなく、最近、サラリーマンや、わけありの中高年の人も利用する人が増えてきたそうです。あるゲストハウスのオーナーが「外国旅行から帰ってきて、そのままボストンバッグ一つで来られる方もいます」と話していたのを聞いて、「なんだ、T君のことじゃないか」と噴出してしまいました。

 

欧州旅行1979

パリ

本棚を整理していたら、27年前に欧州旅行した際の旅行記が出てきました。最初は、時間や金銭出納帳程度のメモでしたが、次第に、感想めいた話を書いてました。1979年7月17日から8月18日まで33日間にわたる私にとっては一大旅行でした。いわゆるバックパックで、その日その日、足の向くまま、気の向くままでその行方知らず。貧乏旅行で、宿泊代を浮かすために3日連続夜行列車に乗ったりして、すっかり体調を崩したりしています。

面白かったので、ここに少しずつ再録してみたいと思います。え?読みたくない?-そういう方は閉じてもらっても結構ですよ。恐らく、飽きなければ、30回ぐらい続くことでしょう。

【1979年7月17日(火) 晴れ 宿泊:機内】

夜6時半、成田空港、4階北ウイング集合。21時30分、Boarding   22時10分、離陸。

6時間でアンカレッジに到着、TRANSIT  ロンドンまであと8時間。

ロンドン到着、現地時刻 18日午前6時20分

三人娘の横山朝子さん、若松よしこさん、和田かよこさん

関くん、今村くん、久保くん(モロッコ)

【補遺】

三人娘のことは今でも覚えています。若松さんは、その後、T銀行の渋谷支店に勤め、一度、今村君と会いに行ったことがあります。今村くんは、今でも連絡を取り合って、このブログにも登場する有名人。関くん、久保くんはもう全く覚えていません。

【7月18日(水) 曇 宿泊都市:ロンドン】

ホテルの同室は中川くん

Picadily Circus ,  Trafalger,  West Minster(Bridge) へ行く

地下鉄 Edware Road~ Charing Cross まで35ペンス。

昼 マグドナルド チーズバーガー 62ペンス  コーヒー 30+5ペンス

バス Picadily Circus  ~ Abbey Road   22ペンス

ポストカード 5ペンス  切手 11ペンス

夜 Fish and chips  とTomato soupe で1ポンド27ペンス

英国人の質素さ!

ハンバーガーではなくて、ハンボーガーと発音していた。

バッキンガム宮殿前の観光客の群れ!

【補遺】

1ポンドは当時、456円くらい。100ペンスが1ポンド。

同室の中川くんは全く覚えていない。でも、3,4人と連れ立って、地下鉄やバスを使って、ロンドンを隈なく歩いたのでしょう。何しろ初めての海外なので、非常に興奮したことを覚えています。この日は誕生日で、ホテルの一室で皆がワインでお祝いしてくれたはずだったのに、その記述なし。

夜は、英国名物の「フィッシュ&チップス」を注文して食べたけど、非常にまずかった。こんなまずいのに、隣のテーブルに家族連れがいて、月に一回程度の外食を楽しみにしている小学生くらいの子供が非常に感激して、はしゃいでいたので、なんか哀れみの涙が出てきたことを覚えています。

現実問題

公開日時: 2006年10月28日 @ 10:47

作家や評論家や学者が言っていることは、まやかしばかりだね。

自分のことを棚にあげているんだよ。

例えば、人間なんて堕ちると早いものだよ。こうして職も家庭もすべて失ってみて初めて分かったことは、職を探そうとすると、まず自宅の住所がなければならない。しかし、どこか、落ち着き先を決めようとしたら、定職を持っていなければ見つからないし、誰も貸してくれようとしない。すごい悪循環なんだよ。要するに、一回ドロップアウトすると、社会から爪弾きされる。簡単にホームレスになれるんだよ。

でも、僕は這い上がってみせるけどね。

作家や評論家や学者やマスコミが言っていることは、まやかしが多いことは確かだよ。すべてとは言わないけど…。

(X氏語録)

「大人のための東京散歩案内」

ローマ

たまたま書店で見かけた「大人のための東京散歩案内」(洋泉社新書)が面白くて、一気に読んでしまいました。

著者は「下流社会」がベストセラーになって話題になった三浦展さん。この人、どこかの大学の先生かと思っていたら、情報誌の編集長や総研の主任研究員を務めていた人だったのですね。いわゆるリサーチャーです。

ですから、かなりの「調べ魔」らしく、私も知らなかったことが列記されて参考になりました。東京散歩でも、普通の人が取り上げるような銀座や六本木や青山などは出てきません。本郷、小石川、本所、深川、高円寺、それに赤羽など渋い所ばかりです。

東京は、江戸からの歴史から見て、明治維新、関東大震災、そして太平洋戦争と3度の大変革期を経て、今に至っているわけですが、想像力を逞しくすれば、そこはかとなく過去の遺影が残っているものです。江戸の古地図と見比べてみても、道路が江戸時代とほとんど変わっていなかったりするんですね。

今は陸地でも、昔は海や川や湿地帯(かなり多かったようです)を埋め立てた土地が多く、辛うじて名前が残っていたりします。知らなかったのですが、小石川もやはり川の名前です。「椎名町から流れてくる谷端川の下流の名称で、大塚駅の南東の三業地を通り、小石川植物園を抜けて東京ドームのあたりまで流れ、最後は神田川に合流する」

この三業地ですが、意味が分かりますか?私はすぐに答えられませんでした。調べてみると、「料亭」「芸者の置屋」「待合」の三種の業を指します。現在、東京では花柳界がほぼ絶滅してしまったので、私自身は体験できなかったのですが、東京の至る所にあったようです。東京を歩いていて、「何でこんな所に、たくさん料理屋が並んでいるんだろう」と感じたら、まず三業地でしょう。この間、行った北品川の「金時」もそんな雰囲気でした。よく分かりませんが、三業地は、吉原や向島、四谷、池袋、尾久(阿部定事件の舞台)、千住、渋谷などの「赤線地帯」とは違うと思います。この本には、大塚三業地のほか、白山三業地、神楽坂の牛込三業地などが出てきます。どなたか詳しい方教えてください。

同書には、関東大震災の被災者のために建設された同潤会アパートや、目白、阿佐ヶ谷などの文化住宅などが登場します。老朽化しているので早晩取り壊されてしまうのでしょうが、これらの古い建築物を見るだけでも散歩が楽しくなります。

貧乏な画家や詩人たちが集まった「池袋モンパルナス」は知っていましたが、上野は国立の芸術大学があることから「モンマルトル」といっていたそうですね。御茶ノ水は「カルチェ・ラタン」。昔の人はパリへのあこがれが強かったのでしょう。

赤羽団地の広大な敷地は、陸軍の被服本廠(軍服製造工場)の跡地だったことを本書を読んで初めて知りました。高円寺は古着店の街、西荻窪はアンティークの街で文化人(日本一の編集者の藤原書店http://www.fujiwara-shoten.co.jp/index_2.htmlの藤原良雄も在住、と三浦さんは書いてます。今年、ノーベル文学賞を受賞したトルコ人作家オルハン・パムクの作品「わたしの名は紅」の翻訳を、どこの出版社も引き受けなかったのに、先見の明を持った藤原書店だけが引き受けた、ということが話題になりましたね)が多く住む街だそうです。

「純喫茶」というのは、女給を置く「新興喫茶店」(今では死語ですなあ)と区別して名称されたことなど、色々と勉強になりました。

早速、この本を片手に散歩に出かけます。どうせ、暇ですから。

 

T君のこと、その後…

ミラノ

一緒にイタリア旅行をしたT君は、帰国後、三重県の自宅に戻らずに、そのまま東京のゲストハウスに居ついてしまいました。

いわゆる住所不定無職です。前科一犯こそつきませんが、毎日、何をしているのやら、職探しをしているのかと思っておりましたが、そうでもないようで、相変わらず、トイレの中で中国語の発音練習をしたり(怖い!)、イタリア語で曲を作ったりしていたようです。

堪りかねた私は昨晩、彼に事情聴取をしました。場所は、銀座の「はち巻き岡田」という居酒屋です。吉田健一が贔屓にした店で、久保田万太郎、川口松太郎、山口瞳や花柳章太郎、伊志井寛らも通い詰めたお店です。

店に入ると、T君は「昔、入ろうとして、断られた店だね」と言いました。すごい記憶力です。もう4半世紀以上昔の話です。まあ、20代で、こんな店に入ろうとしたなんて、生意気でしたね。お品書きには、値段が明示されていませんでしたが、名物の「粟麩田楽」は本当に美味しかったですね。菊正宗の樽酒を5,6本空けてしまいました。

私は、早速、T君にローマでの行方不明事件を問い糺しました。「雲隠れしただろう?」

すると、どうやら、彼は雲隠れしたわけではなく、本当に、行き違いになって、はぐれてしまったということが分かりました。T君、疑ってすまなかった。

場所を変えて「ルパン」に行きました。ここでもハイボールを5,6杯空けてしまいました。店の奥には太宰治や坂口安吾、織田作之助の写真が飾られ、私も、もう30年近く通い詰めているのに、客の顔と名前を覚えようとしないで放っておいてくれる店です。

そして朗報です。まさしく福音です。

彼に職が見つかったのです。しかも、住む家も。

私の高校時代からの古い古い旧友からの紹介です。「友達の友達は皆友達だ」の世界です。彼らこそが、一緒に人生を歩んでいく、同じ世界の人間です。

ということで、昨日は色々ありました。