宿曜占星術は当たるかも

通訳仲間の酒田さんのブログを読んでいたら、面白い記事にぶつかりました。

「徳川幕府によって封印された占い」というタイトルです。

宿曜占星術と呼ばれるもので、自分の誕生日を入力すると、その人の性格が出てくるというのです。

私も半信半疑で挑戦してみました。

驚きました。すべては当たっていませんでしたが、こんな文句が出てきたのです。

「好奇心旺盛で、とりわけ裏の事情や情報に通じているタイプが多く、人間の心の裏側や物事の裏面を見通す洞察力が備わっています。」

ドキっですね。

ゴールデンウイークで退屈している皆さんもやってみますか?

サイトは、http://kosei-do.com/beginner/checktheyado.phpです。

「フィクサー」はよく分かりませんでした

アカデミー賞主演男優賞を受賞した「ゼア・ウイル・ビー・ブラッド」を見ようとしたら、「満員」で断られたため、仕方なくジョージ・クルーニ主演の映画「フィクサー」を見てきました。(ティルダ・スウィントンが助演女優賞)

正直、よく分からない映画でしたね。ある製薬会社が外部に漏れると、薬害訴訟裁判で不利になる内部文書を手に入れた弁護士が殺害されたり、揉み消し屋のクルーニが、命を狙われたりしますが、最後は目出度し、目出度しで終わるような結末です。

 

その上辺のストーリーだけはどうにかついていけましたが、細かい描写など、例えば、子供が好きな赤い表紙の童話と内部文書との関係とか、揉み消し屋マイケル・クライトン(ジョージ・クルーニ)が自家用車から降りて、放し飼いになっている馬数匹を見にいくと、車が爆破され、彼は命拾いするシーンとかは、何を意味していたのだろう…などと考えると、よく分からない。

 

何か、お馬さんにしても、何か深い意味を示唆しているのでしょうが、こっちは理解力が不足しているのか、さっぱり分からない。

ただ、何も細かいことを考えずに楽しめばいい、ということなら、それでいいのかもしれませんが、腑に落ちない映画でした。

エリック・クラプトン その壮絶な人生

 

「エリック・クラプトン自伝」を読んでいます。

何という凄まじい、まさに壮絶な半生なのでしょう。栄光と挫折。これほど、天国と地獄を行ったり来たりしている人生を送っている人は、私は過分にして知りません。

色んな見方があるかもしれませんが、クラプトンはとんでもない人ですね。複雑な経緯でこの世に生を受けたことは以前に書きましたが、この事実がトラウマになっているのか、アダルトチルドレンになっているのか知りませんが、普通の人では考えられないジェット・コースターのような人生を自ら選んで生きています。

何しろ、若い頃は定住先さえなく、ボヘミアンのような生活で、音楽以外は、女性と関係を持っているか、薬物かアルコールに浸っているかのいずれかなんですからね。恋人、愛人、いきずりの女性は数知れず。周囲に気に入ったと思えば、女もスーパースターが相手なので、拒絶する者は一人もおらず、登場する女性も8人くらい数えていて、あまりにも多いので、途中で馬鹿らしくて数えるのをやめてしまいました。

色んな薬物に手を出して、有名なアルバム録音や公演の最中でもやっていたことを告白しています。薬物から立ち直ったと思えば、今度はアルコール中毒です。米国のミネアポリス州にある有名な更生施設に二度も入らなければ、回復できないほど問題を抱えていました。

今、読んでいるところははもう終盤ですが、イタリア人のファッションモデルの愛人が儲けた息子が、ニューヨークの高層ビルから転落死するという事故に遭遇して、意気消沈する場面です。

波乱万丈なんていう生易しい言葉では片付かない複雑怪奇な半生です。

 

ちなみに、私が一番興味をもっていた、ジョーズ・ハリスンの妻だったパティを奪う事件についてのプラプトンの当時の感慨が素直に表現されていました。

「私がパティを手に入れたかったのは、彼女が、立派な車から輝かしい経歴、美人の妻まで、欲しいものをすべて持っているように私が見える(ジョージ・ハリスンという)力のある男のものだったからでもあった。」(少し文章を変えました)

と言うのです。

クラプトンは結局、パティと結婚しますが、手に入った途端に醒めてしまい、相変わらず同時並行して複数の女性と付き合い、アルコール中毒は深刻化し、結婚生活もうまくいくわけがなく、ほどなくして破局してしまいます。(以前ゴシップ記事で、クラプトンがパティと別れたのは、クラプトンの激しいDVによるもの、と書かれていましたが、クラプトン自身は全く暴力問題については書いていませんでした。「自伝」の限界でしょう。)

「ギターの神様」「ロック界のスーパースター」という肩書きがなければ、単なるアル中か色情魔です。その辺りを包み隠さず、淡々と正直に告白しているところがすごいです。

私が、クラプトンを知ったのは、クリームのメンバーの一員として「ホワイトルーム」がヒットした頃ですから、1967年か68年の頃です。もう40年も昔のことです。その後の活躍について、ほとんど知っていますし、アルバムもかなり持っているので、あの曲を出した時にこういう精神状態だったのか、と手に取るように分かりますが、クラプトンを一曲も知らない人にはちょっと読んでも分かりずらいでしょうね。

それに、何度も言いますが訳文がひどすぎます。日本語になっていない箇所が何度もあり、これも途中で腹が立ってマークすることをやめました。

これは、単なる一人のミュージッシャンの自伝というだけではなく、当時の時代を反映した歴史的証言だと思います。それには、もう少し、訳注を増やしたり、日本語版用に中見出しをもうけたりして、クラプトンをそれ程知らない人でも、もっと読みやすくした方がいいのではないかと思いました。これは訳者というより、編集者の怠慢です。

こんな本では歴史的価値がある資料としては残らないのが、残念です。(原文は別ですが)

「随分高いなあ」と思いつつ、2940円も出して買った本なので、少しぐらい意見を言ってもいいと思い、私の真情を吐露しました。

東大生協食堂は穴場です

 根津の躑躅は見ごろです…

 

 

 

 

 

今やゴールデンウイークの真っ只中です。皆さん、どこか旅行に行かれていることでしょうね。

 

そう言えば、最近、旅行に行ってませんねえ。(はとバスには乗りましたが、あれは半分修行でした)。大好きな温泉にも行ってません。うーん、残念。

ただ、今年のGWは、「飛び石」のため、旅行代理店によると、例年と比べ観光客は20%近くダウンしているそうです。北京五輪の年なので、本来なら中国旅行が増えてもよさそうなのですが、やはり「毒ギョーザ」と「チベット問題」が尾を引いているようです。それに、年金や後期高齢者医療問題も全く関係ないこともないように思えます。庶民は正直なんでんす。

 

「アリとキリギリス」ですよ。将来の不安を考えると、そう遊んでばかりいられないという感覚が先走るのではないでしょうか。

そんな中、典型的なエコノミーな会合に出席しました。大の大人、それも男ばかり6人も集まったのです。宇宙工学博士、大手マスコミ元記者でノンフィクション作家、元大手商社マン、元出版社重役、大手マスコミ研究所の主任研究員と私という面々。肩書きだけを見ると厳しいのですが、現役を引退された方も多く、既に角が取れた好々爺といった感じの人が多かったのです。

会合場所は、何と本郷の東京大学構内にある三四郎池に近い生協食堂「メトロ」。ここは、結構穴場ですよ。ランチだけでなく、夜も8時くらいまで営業しており、「怪しい人物」でなければ、大学関係者でなくても入ることができます。もっとも、今回集まった面々の半分は、ここの大学の御出身で、盛んに「懐かしい。ここにこんな建物はなかったなあ」なんておっしゃっておりましたが。

 

夜はビールも注文できるのです。定食やおつまみを取って、ビールも取っても、千円でおつりがくるのです。何と安あがりでしょう。究極の「溜まり場」です。

 

昔、旅行でパリのカフェ「ロトンド」やローマの「アンティコ・カフェ・グレコ」やウイーンの「チェントラル」など、芸術家や学者がたむろしたカフェによく出かけて感慨に耽ったものですが、確か、これらの店は観光客向けでコーヒー一杯でも法外にも千円くらい取られたと思います。

 

それを考えると、生協メトロは穴場です。将来の大学者、大芸術家を輩出するかどうか別にしても、庶民が安心して行ける所です。

ネット性善説

公開日時: 2008年4月29日 @ 11:03
日本では、出会い系サイトを悪用して殺人事件にまで発展したり、違法ドラッグが売買されたりして、毎日のようにネットの闇の部分が報道されるので、ネガティブなイメージがどうも先行するのですが、先進国アメリカでは、性善説に基づいたネット社会が充実しているようです。

いわゆる会員限定のソーシャルネットワークなのですが、誰でも簡単に登録できます。プロフィールは実名で住所も年齢も書きます。それどころか、自分の写真を掲載し、学歴、政治、宗教、思想信条を書く欄まであります。匿名はいないようです。学校の卒業生同士が結び付くこと(おっ!学閥ですね)もあるので、学歴詐称もないようです。

ここまで書いてしまって悪用されないのか、と心配なのですが、もともと、ハーバード大学で教授と学生間で始まったらしく、登録会員も学歴が高く、大人が多いという話です。性善説です。

早速、私も登録してみました。友達が友達を呼ぶという感じで、まだよく分からないのですが、友達と認められた人だけが、相手のプロフィールを読めるようです。

全世界で5000万人が登録しているらしく、中には、このネットで知り合った友人の家を泊まり歩いて、世界中を旅する若者もいるとか。

まさに性善説です。

私は外国人の友人は一人もいないので、このサイトの中の検索エンジンで、戯れにエリック・クラプトンを検索したら、出てきたんですよね。

ビックリしてしまいました。

写真はギターを抱えた本人のものなので、本物かもしれませんが、熱狂的なファンが本人に成り済ますこともできます。よく分かりません。何せ、世界一のスーパースターがネットで友人を募集したりするのでしょうかねえ?偽物でも構わないので、話の種として、彼の友人登録をしてみました。

私と同姓同名の日本人も数人、既に登録しておりました。

今後、どうなっていくのか、後日談があれば次の機会に。

エリック・クラプトン自伝

 

神田の神保町まで行ってきました。

「エリック・クラプトン自伝」(イースト・プレス)が欲しかったからです。最近、「街の本屋さん」がどんどん消えています。銀座の旭屋書店でさえ、創業42年で銀座の一等地から撤退して店をたたむそうで、悲しい限りです。とにかく、新刊でも欲しい本がある時は、大型書店にまで足を運ばなければならなくなってしまいました。

クラプトン自伝の話でした。まだ読み始めたばかりですが、「自伝」と称しながら、かなり、インテリジェンスの高いゴーストライターがいるようです。翻訳がもう少しこなれていたらなあ、と残念に思いますが、彼の言いたいことは十分伝わります。

クラプトンはよく知られているように、15歳の女の子と英国に駐留した妻子のあるカナダ人空軍兵士との間で私生児として、1945年3月30日にイギリス南部のリプリーという小さな町で生まれています。祖父と祖母を両親として呼ぶように育てられ、結婚した母親からは「おかあさん」と呼ぶことを拒否され、心に傷を負って多感な青春時代を過します。

その後、ヤードバーズ、クリーム等ロックの歴史に名を残す世紀のバンドに参加して世界的な名声を得るのですが、親友ジョージ・ハリスン夫人強奪事件、薬物・アルコール中毒事件、息子の転落死事故など、私生活では散々な辛酸を嘗めたことでも知られています。その度に「レイラ」や「ティアーズ・イン・ヘヴン」などの名曲も生み出しています。

56歳で再婚して今ややっと平穏の暮らしを送っているようですが、過去の事件に際して、彼がどのような気持ちだったのか、悪趣味ですが、ちょっと知りたいと思って、買ってしまいました。

ちなみに、私の好きなジョン・レノンに関しては「その後の人生でジョンのことが分かるようになってきたので、友人だとは思っているが、とんでもないことをやりかねない彼にはいつも目を光らせていた」と述懐していました。

この本のことについては、また次の機会で。

「ディス・イズ・ボサノヴァ」は必見ですぞ

もう、あまり物は買いたくなかったのですが、こればかりは買ってしまいました。

DVDです。

パウロ・チアゴ監督の映画「ディス・イズ・ボサノヴァ」です。

いつぞや、渋谷のシネマライズか何処かで見たのですが、一度見ただけでは人物相関図がつかめず、いつかDVDが発売されたら、買ってみようと思った作品だったのです。

これでも、私はボサノヴァの大ファンを自称しているのですが、結局のところ、アントニオ・カルロス(トム)・ジョビンとジョアン、アストラッド・ジルベルト、それにセルジオ・メンデスぐらいしかよく知らないし、聴いてこなかったんですね。

それは、私が小さい頃から聴いてきたラジオが、欧米偏重だったせいなのでしょう。ラジオでボサノヴァがかかるのは彼らぐらいしかありませんでした。逆に言えば、世界的なヒットを産んだ国際的なボサノヴァ・アーティストこそ彼らだったのでしょう。

ですから、この映画の主人公で案内役でもあるカルロス・リラとホベルト・メネスカルの二人については、正直、知らなかったのです。ボサノヴァの世界ではスーパースターだというのに、大ファンの自称は返上しなければなりませんね。

カルロス・リラもホベルト・メネスカルも現在70歳を過ぎていますが、いまだに現役として活躍しています。

映画の中では、この二人が、リオの街中を歩きながら、ボサノヴァの歴史を振り返ってくれます。まさに、生き証人です。ナラ・レオン、ジョイス、タンバ・トリオ、ワンダ・サー、ホナルド・ボスコリ、ジョニー・アルフ、トムの息子のパウロ・ジョビンらさまざまなアーティストが登場します。

私は、自称、ギタリストなので、演奏シーンにも惹かれます。ボサノヴァのギターのコードは普通と違って異様なんです。複雑なのです。メイジャー7とか♭5とか、add9とか多用します。画面で見たのですが、やはり、コード進行はコピーできませんでしたね。どなたか教えてください(笑)。

メネスカルの代表作に「小舟」という曲があります。この曲は、仲間と一緒に小舟で海に出た時、エンジントラブルで漂流してしまい、あやうく遭難しかけた出来事があり、その経験を元に作ったのですが、この曲には悲劇性も暗さもなく、青空のように澄み切って、ゆったりとくつろげる癒しの音楽になっています。

この曲について、メネスカルは「悲劇的なことを、明るく楽しい前向きな音楽に変えたのさ」と創作秘話を明かしていました。

何事も「明るく、楽しく、美しく」ですね。

この映画で、カルロス・リラの素晴らしさを知りました。声もいいし、作曲のセンスもいいし、ギターもうまい。ポルトガル語を勉強したくなりました。

究極の悩みは人間関係

ある業界のS氏に「あなたは、人間関係が下手だねえ」とはっきり言われてしまいました。

私は、組織に所属しながら、人にゴマすることもできないものですから、そのおかげで、鬱々と日の当たらない窓際を歩いているものですから、そのあまりにもの世渡りの下手さぶりに彼は愛想を尽かしたのでしょう。

「あなたはオカシイよ。世間知らずで、生き方がヌルいよ」。そこまで言われたのですが、彼の言わんとすることはよく分かります。プロ野球・楽天の野村監督が「どうでもいいと思っている人間にはブツブツ言わない」と言っておりましたが、彼にもそれに近いものがあります。彼が私のことをどうでもいいと思っているのなら、相手にしないで、無視することでしょうから。

1時間近く「説教」を浴びましたが、「心配」の裏返しだと勝手に解釈しました。こんなことを私が言ったら、彼は怒ると思いますが…。

さて、どういうタイミングかなのか知りませんが、今日は偶々、電車の中で、五木寛之著「人間の関係」(ポプラ社)を読み終わったばかりでした。

五木寛之という功なり名を遂げた大作家が、あからさまに自らの欝経験や、人間関係について告白しております。驚くほど率直です。

少し換骨奪胎しますが、こんなことを書いています。

●誰かを信用して、たとえ裏切られたとしても、それをうらんだりすることはない。一生懸命相手を愛し、尽くしたことで、自分が何かを得たのだ、と思うしかないのではないか。

●ホンネを人に見せるというのは、やはり甘えだろうと思います。人は死ぬまで、いや、死んでのちも正しく理解されるものではないのです。

●人に大きな恩を与えることは、実に危険なことだ。恩返しをしないで恩知らずと言われることを恐れるあまり、恩を受けた人は恩人がこの世からいなくなることを望むようになるからだ。(セネカ)

引用はこれぐらいにしましょう。

人は有名だろうが、無名だろうが、男だろうが、女だろうが、老いも若きも、特に、人間関係で悩みながら、生きていくものだと、痛感いたしました。