記事に見せかけた宣伝の氾濫

 

 

 

ユーチューブで最近大人気のサイトにジーンズを逸早く履きこなす動画があるそうです。正直、私は見たことがありませんが、5月5日にアップされ、口コミというか、ネットで噂が広がり、数日で100万件以上もアクセスがあったそうです。

 

しかし、その後、その動画を投稿したのが、世界的なジーンズ・メーカーだったことが判明しました。何てことはない。宣伝だったんですね。

以前も、サングラスを顔で受けるサイトがユーチューブで人気だったそうですが、これも、世界的なサングラス・メーカーがスポンサーとしてからんでいたようです。

先日も、「人体に有害な紫外線は、都会では路上からの照り返しもあり、日傘だけでは十分に防御できない。やはり、サングラスやUVカットのコンタクトをすると良い」という記事が載り、私も「そうなのかあ!サングラスでも買おうかなあ」と関心を持って読みました。すると、よく読むと、「科学的調査」に当たったのは金沢医科大学だったのですが、それは、UVカットのコンタクトを販売する世界的な企業の委嘱を受けてのものだったのです。

以上は、先ほど、ラジオを聴いていたら、日経ビジネス発行人の酒井綱一郎氏が指摘していました。

なーんだあ、これも宣伝だったの?

いわゆる記事を隠れ蓑にした宣伝の「記事稿」じゃないですか。

「すべての記事は、宣伝であり、お金がからんでいる」といった趣旨のことを喝破したのは作家の山本夏彦氏です。どんな記事でも、給料というお金をもらっている記者が書いたものであり、どこかでお金とつながっています。

最近のネット情報やブログでさえ、どこかでビジネスに誘導されるようになってきましたね。あからさまなら、分かりやすいのですが、「科学」や「報道」を隠れ蓑にされると、宣伝と区別がつかず騙されてしまいます。

気をつけましょう。

OCWの時代

 根津神社

大学の講義をネットで配信するOCW(オープンコースウエア)というのが、今、日本でも盛んになっているという記事を読みました。

OCMは、2001年に米国のMIT(マサチューセッツ工科大学)が始めたものらしいのですが、私も、昨年か一昨年に、NHKラジオの杉田敏先生の英語講座「ビジネス英会話」で初めて知りました。学生は、講義に直接出なくても、ネット配信された講義をiPodなどにダウンロードして、お風呂に入りながら見たりしているというのです。

「大変な時代になったもんだ」と関心したものです。

今日、どんなものか、アクセスしてみました。慶応大学、東工大、京都大、MIT…とざっと見てみたのですが、学籍がなくても誰でもいつでも講義ビデオを簡単に見ることができるんですね。講義資料も非常に充実しています。京大は何とユーチューブを使っていました。

中には、「人気アクセスランキング」なるものもありました。今は、何でもランキング時代なんですね。売り子さん(教授)も、お客さん(学生)から採点される時代なので、先生もウカウカしてられません。

私が学生時代は、昭和のバンカラ時代の最期の生き残り世代みたいなものでした。学生は、ほとんど、真面目に講義に出席することなく、雀荘やパチンコ屋や映画館にしけこんだり、「文学修行」と称して、下宿に籠もって本を読んだり、酒を飲んで暴れたりしていました。

先生も先生で、シメタもんで、雨が降ったらどういうわけか「休講」する名物教授がいて、学生も阿吽の呼吸でした。

でも、今は時代が変わったようですね。真面目な女子大生が増え、授業には欠かさず出席し、一言も漏らさないように講義をメモに取り、逆に不真面目な先生には、肩叩きもあるようです。

それで、OCWですが、今後ますます色んな大学に拡大していくことでしょうね。私のようなまだまだ知的好奇心がある市井の民にとっては朗報ですが、残された時間が若い人ほどないので、溜息も出てきます。

ネットの将来を監視する

昨晩は、きこしめしたまま書いてしまったので、今、読み返すと、全くひどい文章だなあ、と思ってます。でも、恥さらしついでに、そのまま、削除しないでおきます。

梅田望夫著「ウエッブ時代をゆく」(ちくま新書)は電車の中で、2日で読んでしまいました。それだけ、通勤時間が長いということかもしれません(笑)。

面白かった所を引用します。

インテルを世界一の半導体企業に育てたアンディ・グローブは、1956年、20歳のときに、ハンガリー動乱に関わり、祖国を脱出して難民としてアメリカに渡ってきた人です。彼は、医療費から大学の奨学金まであらゆる面で援助してくれたアメリカに感激し、猛勉強して「自立の精神」で逞しく成長し、機会を与えてくれたアメリカに対して強烈な愛国心を持つようになったといいます。

その彼の座右の銘が、
“ Only the Paranoid survive.”
病的なまでに心配性な人だけが生き残れる。
です。

肝に銘じておきます。

ネットで不特定多数の群集に自分の意見を発することによるメリットとデメリットを熟知している著者の梅田氏は、こう言います。

「一般的に、リアルな世界で満足度が高い人ほどネットには関心を持たない。リアル世界で満足度が低い人ほどネットの可能性に興奮している。」

著者は、志さえ持てば、ネットで「生計を立てる」術を身に着けることができると、力説しています。そのためにも、見知らぬ人にでも信頼関係を構築して、グローブの言う「病的なまでに心配性」を持って、自助努力で、自らの道を切り開いていく必要があるようです。

私は、ネットは単なる「方便」だと思ってきたので、そのテクノロジーに関しては、恥ずかしながら、全く熟知しないままできてしまいました。本書によれば、今後、世界の主要図書館の蔵書が、スキャンされて、ネットで公開される時代が来るそうです。大変な時代になるんですね。

この本には全く書かれていませんが、その、世界中の文化遺産をスキャンして公開する世界最大の検索会社が、その画像と動画を「著作権」として独り占めして、世界を支配するのではないか、と私は危惧しております。(現に、日本の国宝の一部もそういう状態になっているという噂を聞いたことがあります。)

ですから、私は彼ほど、楽観主義にはなれませんが、この世界的潮流に遅れない程度に、後ろからゆっくりと付いていくしかないと、思っています。もちろん、監視しながら、です!

梅田望夫「ウエッブ時代をゆく」

 2008年5月10日

梅田望夫著「ウエッブ時代をゆくーいかに働き、いかに学ぶか」(ちくま新書)を読んでいます。

以前、作家の平野啓一郎氏と対談したものをまとめた彼の「ウエッブ人間論」については、私のブログで紹介したことがあります。目から鱗が落ちるような、コペルニクス的転回を味わされるような書物でした。

今や、梅田氏は、現代ネット界のメンター、もしくは教祖だと断言していいでしょう。

 

で、正直に告白しますと、4月29日付で書いた「性善説」は、実は、この梅田氏がお奨めになっていたソーシャルネットワークだったのです。私は、彼のことを本を通してだけなのですが、信頼していたので、早速登録してみました。

 

でも、途中でよく分からない部分があったので、彼に質問してみました。彼も当然、このネットワークに登録していたからです。

あれから10日以上経ちましたが、彼から何の返事もありませんね。

 

彼ほど有名になると、一日に数千通のメールが来ることでしょう。それらに一々に答える暇はないという状況は推測されます。

 

彼は非常にネットに関しては楽観的にとらえておられますが、下々は、もしくは彼の興味範疇以外は黙殺という大前提があるようです。

 

はた、と思ったのですが、「天下国家」を論じるような輩の人々は同じような傾向があります。普段は一般市民でも、いったん、愛国心や、国家観などに火がつくと、自分がまるで、オリンピック選手に選ばれたかのように錯覚して、国家の代表者のような顔になります。

 

しかし、そういう輩に限って、細部の詰めに甘いのですね。細心の注意に欠けるのです。「神は細部に宿りたもふ」という格言を知らないか、忘れているのです。

 

まさか、梅田氏は、私のような無名な人間が、あなたのことを堂々と書かれているとは思いも寄らないでしょうね。

 

彼(1960年生まれ)は、若い人に向かって、3つの教訓を訓示されておられます。

 

その中で、1つだけ、私が気に入ったので、ご紹介しますが、

●自分の頭で考え続け、どんなことがあっても絶対に諦めない

 

という言葉がありました。

 

これだけは、(いや、他にもありましたが)心底同感する言葉なので、私のブログに再録させてもらいました。

 

●自分の頭で考え続け、どんなことがあっても絶対に諦めない

 

これは、非常に大切です。どんなに、親友に裏切られようが、上司に理不尽なことを押し付けられようが、後輩に馬鹿にされて出し抜かれようが、家族に相手にされずに蔑まれようが、孤立して辛酸を嘗めようが、最期に残るのはこの言葉のみです。

 

まあ、私個人の体験からですが。

文明の行方

 

「世界」4月号と5月号に連載されていた松井孝典東大大学院教授と松本健一麗澤大教授による対談「維新か、革命か」は非常に刺激的で深く考えさせられる内容でした。ある意味で、昨日書いた靖国問題にも通底するような論考でした。このお二人は、現代日本を代表する科学者と思想家だと私は思っています。

 

ちょっと、自分のメモのためにまとめてみたいと思います。二人の意見は必ずしも全て一致していたわけではありませんが、一々区別することなく、あくまでも自分の備忘録として書くだけです。ですから、皆さんは直接、文献に当たられるのがいいと思います。

人間圏の文明は、大きく3つ分けられる。

1、西洋近代文明

・外に進出する駆動力を持ったストック依存型⇒蒸気船、大砲、電信機、国際法を持つ

・「石の文明」、牧畜⇒移動し、外に拡大してテリトリーを広げないと生きていけない

・近代科学が発達

・リベラルな民主主義、植民地・帝国主義

…環境問題で、やがて破綻

2、アジア文明

・内部に駆動力を持たないフロー依存型⇒貯蓄率が高い

・「泥の文明」(土壌の生産性が高い)、農耕⇒農地相続は長男だけなので、それ以外の子供は教育によって自立させるために教育水準が非常に高い

・本草学(何が毒で何が食用か区別する)が発達

・「なぜ人間は存在するのか」を問うインド哲学

・アジア文明が西洋近代文明に遅れていたわけではない。紙も火薬も活版印刷も中国で発明

3、イスラム文明

・外に進出せず、内に蓄積しないネットワーク型

・「砂の文明」、遊牧、交易

・天文学、数学が発達

【現状】

・竹中平蔵が、日本的会社資本主義を壊して、株主だけのための短期的利益をあげるアメリカ型株主資本主義を導入。

・規制緩和や法人税減税など、儲けられる人間がより儲けていくという新自由主義、市場原理主義を導入

⇒郵便局がなくなり、農村の小規模経営の小農は崩壊。混沌と無秩序

・コーヒー豆は、南米産でもアフリカ産でも、「ヤコブ」と「ネイキ」という2つの会社に支配され、価格も決定されている。

・コメの消費量は、日本は1960年代から40年で半分。韓国は70年代から30年で3分の1に減少し、農業が危機的状況に。

【今後】

・人間圏のユニットは国家(共同幻想で、擬制とはいえ、国土・国民・国家主権という要素を持ち、人々の帰属性をはっきりさせ、大きな求心力を持つ)だが、インターネットが発達したおかげで、個人をユニットとしたシステムが発達するようになる⇒国家主義の崩壊?

・自然と人間が共生するアジアの哲学や宗教で、右肩上がりではない循環系の文明を再構築できるのではないか?

ついに「靖国」を観てきました!

ついに、話題の映画「靖国」を東京・渋谷で見てきました。先日、弁護士会の試写会は落選して、「もう観られないのか」と諦めかけていたのですが、やっと、市井の民にも公開してくれました。場所は渋谷のシネ・アミューズ。まずは、予想されていた様々な妨害にも屈せず、公開にこぎつけた全国の映画館に感謝の意を表明したいと思います。ご覧のように、映画館の外では、二人の巡査クラスの警察官が、万が一に備えて待機し、館内では、二人の私服が、最前列に陣取り、一人の民間警備員がスクリーンの右横に上映中もずっと座っている、という物々しい警備態勢でした。観客は平日の午前だったので、「前期高齢者」が多く見受けられました。

 

私はこれでも、長い間、随分沢山の映画を観てきましたが、これほど厳しい警備の中で映画を見たのは初めてでした。

で、肝腎の映画はどうだったのかー。

あえて、賛否両論の大論争になることを覚悟して、私の正直な感想を書いてみたいと思います。

この映画を見た右翼の人で、「思ったほど反日映画じゃなかった」と言った人があるという記事を読んだことがありますが、「そうかなあ」と私は思ってしまいました。「反日」とは決め付けられないかもしれませんが、決して「好日」的に描かれていない。やはり、中国人の李纓監督の目から見た靖国神社(映画の原タイトル)であり、「嫌日」映画と言ってもいいと思います。日本に対して決して愛情を持って描いていない。それが私の率直な感想でした。

確かに、ナレーションはなく、「両者」の言い分を取り上げて、「中立的」には描いてはおりました。しかし、それでも監督の立ち位置は隠し切れません。無口で、職人気質の愚直な刀匠が主人公になっていますが、軍刀が日本のミリタリズムのシンボルになっており、時々、サブリミナル効果のように差し挟まれる軍刀による処刑シーンの写真は、否が応でもそれが凶器としての役割を担っていることを観た者に印象付けます。

それにしても、靖国神社という場は不思議な空間です。私も何回か行ったことはありますが、普段の何ともない日だったので、人も少なく割合と静かでした。

しかし、8月15日となると、全く違う空間としてエネルギーを発散するんですね。映画はこの8月15日を中心に撮られています。普段は冷静な市井の民が、自分と思想信条を違える人間を見た途端に豹変して、罵詈雑言を浴びせたり、平気で暴力を振るったりするのです。映画ではこのあたりを執拗に追っています。

私は、最初に嫌日映画と書きました。ということは、一人の納税者として、「この映画に助成金を出さなくてもよかったのではないか、もっと他の日本人の作った映画に助成するべきだったのではないか」という感想がよぎりましたが、こういう嫌日映画でも助成する日本の国家の懐の広さを感じ、あっぱれだと思ったので、反対はしません。

この映画が、これほど大騒ぎになったのは、昨年12月に週刊新潮が「反日映画」と書き、稲田朋美代議士が助成金を問題視して、「事前検閲」したことがきっかけでした。この映画で、議員になる前の弁護士の稲田女史が映っているという記事を読んだことがありましたが、集会で演説していた女性のことでしょうか?

彼女のプロフィールをネットで見てみると、自由主義史観研究会会員で、「伝統と創造の会」の会員のようです。そして、尊敬する人物として西郷隆盛を挙げておられました。

靖国神社は、官軍の戦死者の鎮魂のために建てられた東京招魂社が始まりですから、西郷さんはいくら明治の元勲とはいえ、最期は西南の役を起こして、明治政府に刃を向けた反逆者なので、靖国神社には祭られていません。況や、薩長土肥の革命政権に反発した会津藩の人々や新撰組の人たちも、祭られていません。もちろん、徳川政権の人々も。

そういう神社が国家神道のシンボルになったのは、列強欧米による植民地化を阻止するために富国強兵策を国是とした明治維新政府の意向があります。

我々日本人が靖国問題から逃れられないのは、組織に組み込まれたメカニズムのような、ボルトかナットの役目を一人一人が担っているからだと思います。我々は、先の大戦の加害者であり、被害者でもあるので、どちらの言い分が正しくて、どちらの言い分が間違っているという問題でもないのです。

ですから、私はこの映画に出てくる右翼の人たちの意見に共感したり、同時に反発したりしました。靖国に合祀されている元軍人の遺族の中で、合祀を取り下げるように神社に押しかける住職や台湾の人たちが出てきましたが、彼らに同情すると同時に、どこか、共感できない自分を発見したりします。

それじゃあ、お前はどっちなんだ。靖国参拝は賛成か反対か?白黒はっきりさせろ!と言われれば、私は喜んで「どちらでもない」と答えるのです。賛成者に対しては「戦争被害者の身になって考えたことがありますか」と言い、反対者には「国家(というより明治政府を作った薩長土肥による革命藩閥政権)のために身を捧げた英霊を尊崇する心を妨げることはできないのはないですか」と反駁します。

「ずるい、一番始末に終えない」と言われれば、それまでですが。

まだ続く「デスパレートな妻たち」のこと

公開日時: 2008年5月7日 @ 19:30

「デスパレートな妻たち」は、女性の視点で描かれています。我々、男性から見ると、ドキッとしたり、「なるほど」と感心したりします。

この番組を見ていると、急に、北海道の佐橋さんのことを思い出してしまいました。もう、全く音信不通になってしまい、今、どうしているのか、さっぱり分かりませんが、彼女の言っていたことが、寸鉄釘を刺すが如く、今でも「警句」として、私の頭の片隅に残っています。

佐橋さんは、市井の「軍事問題研究家」で、もう著者もタイトルも忘れてしまいましたが、古本屋で、「こんな本を見つけました」と言って、見せてくれた本がありました。その本は、世界史に残る、例えば、アレキサンダー大王とペルシャ軍とのイッソスの戦いとか、ローマ軍とカルタゴ軍との戦いとか、ナポレオン戦争などにおける戦陣や戦略が詳述された本でした。非常に頭の回転が速い人で、教養の幅が広く、私が何を言っても、「それはこういうことでしょう?」と即座に答える一家言の持ち主でした。怒られるかもしれませんが、男勝りの人でした。

彼女はこんなことを言ってました…

●実は、女は男より強いから、小さい頃から「女の子らしくしないさい」って、牙をむきださないように育てられているんですよ。

ふーん、そういうことだったんですか。納得。

●女には二つのタイプがあります。一つは、子供を産んで、社会的役割を果たしたら、さっさと旦那に見切りをつけて、子供だけにかかりっきりになるタイプ。もう一つは、それでも、旦那にかかわる人。でも、後者に限って、他の男性にも優しい浮気性のタイプなんですよ。

ふーん、なるほどねえ…。

●女の人は、その場で癒やされない限り、いつまでもその恨みを覚えています。「大変だったねえ」とか「僕が悪かったよ」と、一言でもあれば、救われるのです。

そうですか…。

●男の人って、誰でもいいから、褒められたいんでしょう?だから、水商売の女の人がいるバーに行ったりするんでしょ?

言葉がありません…。

こういった感じです。

今こうして振り返ってみると、人と人との出会いは「一期一会」です。これまで、一体、何人の人と出会って、別れたのか、数えていませんが、私の場合、普通の人とは違って、恐らく何万人という桁外れの数になるかもしれません。

佐橋さんとは、もう二度と会うことはないでしょう。半永久的とかいうのは、ないんだなあ、と思いました。なぜ、彼女のことを思い出したかと言えば、当時、一人も知っている人も友人もいなく、縁も所縁もない所に放り出されて、不慣れな仕事をしなればならなかった孤独の魂を癒やしてくれたからです。

●今、あなたは大変な環境におかれているのかもしれませんが、人生は、結局、プラスマイナスゼロなんですよ。

どんなに辛くて悲しいことがあっても、一日のうちに数時間でも、一年のうち、数ヶ月でも楽しいことがあるはずなのです。

人生は、たとえどんな職業に就こうが、どんな立場にいようが、どんな逆境にいようが、結局、プラスマイナスゼロなんですよ。

「デスパレートな妻たち」2

公開日時: 2008年5月6日 @ 10:54

昨日の「デスパレートの妻たち」には反応(コメント)があったので、意外でした。やはり、コアなファンの方がいらっしゃるんですね。

ですから、あまり悪口を書くと怒られてしまうでしょうけど、やはり、作り物のドラマだなあ、と思ってしまいました。いただけないのは、殺人事件です。話を面白くするために、そういうシーンが必要なんでしょうけど、好みじゃないですね。普段のニュースでたくさんです。ティーンエイジャーが麻薬を吸ったり、育児ノイローゼ気味の主婦が薬物中毒になるあたりは、リアリティがありましたが…。

でも、文句を言いながらも、見続けてしまうでしょうね。早速、昨日書いたawesome もあるシーンで出てきました。やはり、「恐ろしい」という意味では使われず、awesome news 素晴らしいニュースという意味で使われていました。

まだまだ、正直、字幕を見ないとスムーズに聞き取れず、たとえ聞き取れたとしても、意味が分からず苦戦しています。例えば、ground を動詞形に使うとどういう意味か分かりますか?

「外出禁止にする」という意味なのです。難しいcurfew なら知っているのに、簡単な単語のground を知らないなんて、恥ずかしい限りです。

恥ずかしいといえば、shame よりも  humiliating の方が多く使われていました。

それにしても、今のDVDはすごいですね。簡単に字幕が出てくるんですから。今の学生さんは恵まれていますね。ただし、昔の人より果たして賢くなったんでしょうかね?

米ドラマ「デスパレートな妻たち」

 八芳圓

公開日時: 2008年5月5日 @ 10:00

ちょっと、はまってしまいました。エミー賞も受賞したとかいう米国テレビドラマ「デスパレートな妻たち」http://www3.nhk.or.jp/kaigai/dh/about/index.htmlです。

よくご存知の方にとっては「何を今さら」と思われるかもしれませんが、その、何を今さら、です。

4月にお会いした通訳仲間の人が「DVDで見れば英語の勉強になります。これは、はまりますよ」と言われていたので、いつか見たいと思っていたのです。

レンタルDVDで見つけ、借りてみました。

いやあ、すっかりはまってしまいましたね。レンタル屋さんでは全11巻のシリーズが第3シリーズまでありましたが、結構借りられていました。第一弾は2004年に放送されたらしく、米国内で大反響で、大統領のスピーチでも引用されたとか。

目下、第1シリーズの第4巻まで一気に見てしまいました。最近、全くテレビドラマは見ていなかったので、新鮮な驚きがありました。

いわゆる中産階級より上の階級が住む、まあ高級住宅街が舞台です。いずれの家族にも何か問題や悩みを抱え、ある主婦が自殺するところから物語は始まります。夫婦の問題あり、子供の問題あり、嫁姑の争いあり、不倫や浮気もあり、殺人事件やミステリーもあり、「一体次に何が起きるのだろうか」とハラハラとした気持ちで見せられるので、やめられなくなってしまうのです。主役のスーザンを演じるテリー・ハッチャーがとても魅力的です。視点が女性なので、結構、女性も男性に対して積極的なんだなあ、とおかしくなります。

台詞もうまくできています。最後まで見ないと、わけが分からないので、このままでは、全部見てしまいそうです。1巻借りるのに300円ですから、全3シリーズ33巻見るとなると、9900円かあ、ああ…。

デスパレート desperate は、「絶望的な」という意味ですが、「必死の」「~したくてたまらない」という正反対な意味もあります。恐らく、ドラマではこの両方の意味をかけているのでしょう。ですから、ドラマのタイトルを「絶望的な妻たち」と訳してしまっては、やはり不正解なのでしょうね。何しろ自分が抱えている困難や問題からはいあがろうと必死になっている主婦たちが主人公なのですから。

このように、英語は、一つの表現で全く正反対な意味を持ってしまうから厄介です。

例えば、 as luck would have it というと、「運良く」という意味ですが、その反対に「運悪く」という意味もあるのです。どちらの意味で使っているのか、その場にならなきゃ分からないでしょう。

confidence は、「信頼」ですが、confidence man は、何と「詐欺師」です。

sophisticated を「洗練された」「高級な」といういい意味しか知らないと困ります。「世間ずれした」「すれっからしの」という意味で使われることもあるからです。

ditraction は普通「気晴らし」と使われますが、 「注意力散漫」と非難される意味でも使われます。

驚いたことに outrageous (無礼な、極悪な)や awesome (怖ろしい)は、悪い意味で使われるとばかり思っていたのですが、最近ではそれぞれ「素敵な」、「いい奴」で、正反対のいい意味で使われることが多いらしいですね。これらは、現地に行くか、日々新聞雑誌でチャックするしかないでしょう。

デスパレートから、話はちょっと脱線しました。

何が「大人の見識」なのか?

公開日時: 2008年5月4日 

タイトルに魅かれて阿川弘之著「大人の見識」(新潮新書)を読み始めたのですが、結局、何が大人の見識なのか分からず仕舞いで読了してしまいました。

 

昨日の映画「フィクサー」に続いて、どうもしっくり来ない作品に遭ってしまいました。どんな作品にでも、大抵は、何か、面白いことや教訓をつかむことができて、その作品を選んだ自分の「鑑識眼」については大いに自信を持っていたのですが、ちょっと自信をなくしてしまいました。残り少ない人生なのですから、あまり時間を無駄にしたくないものです。

 

「大人の見識」の最初のところで、日本人の国民性について、「何かあるとわっと騒ぎ立ち、しばらくするときれいさっぱり忘れてしまう。熱しやすく、冷めやすい。」と書かれていて、「うーん、なるほど、その通りだなあ」と読みすすめていったのですが、著者の根幹なる見識がなかなか出てきません。東條の悪口を言ったり、海軍や英国のユーモアを褒めたり、共産主義の悪を盛んに強調したりしますが、「で、結局、今の時代に相応しい大人の見識とは何か」については、一つも答えてくれていないのです。

 

本人はもちろん、答えているつもりなのでしょうが、読者に伝わってこないんですね。これは、著者が原稿用紙に字を埋めたのではなく、「聞き書き」だったからなのかもしれません。

「あまり時間を無駄にしたくない」と書いておきながら、こんな駄文を読んでくださっている皆さんの時間を無駄にしているのかもしれませんね(苦笑)。