警察予備隊一期生と日米貿易摩擦と津田左右吉

 昨日は、東京・早稲田大学で開催された第27回諜報研究会の講演会に参加してきました。例によって、今回も盛りだくさんの内容で、大変勉強になりましたが、ある理由で、その内容について詳細に触れることは避けることにします。

 私が近現代史について本格的に勉強し始めたのは、帯広から東京に戻った13年前の2006年からですが、最初のきっかけは、ゾルゲ事件を中心に研究している日露歴史研究センターの勉強会に参加してからでした。勉強会で聞いたり、同会が主催する講演会などについて、既に公開されたことであり、ネット検索すれば出てくる話なので、その都度、ブログに書いておりましたが、この勉強会に誘ってくれた方から、「君が勝手にブログに書くのは迷惑だ。怪文書だ。いくら削除したとしてもマダガスカル辺りのサーバーに保存されているから復活できる」と大胆に批判されたため、その勉強会を辞めざるを得なくなりました。

 彼の怨念が祟ったのか、私は病を得て、諸般の事情で、それらの記事は消滅してしまったので、彼の喜ぶ姿が目に浮かびます。でも、記事がマダガスカルのサーバーにあると主張するなら、そこから復活してもらいたいものです。いや、そんな些末なことはどうでもいいのです(苦笑)。

 ゾルゲ事件でした。ゾルゲや尾崎秀実らが逮捕され、その後処刑された理由は、「治安維持法」「国防保安法」「軍機保護法」などに違反したからでした。戦前の法律でしたが、昨日の諜報研究会の発表内容について、もし、私がこのブログで詳細に書けば、間違いなく、それらの法律に違反すると確信したのでした。書くと逮捕されるから怖い、というわけではなく、何となく利敵行為になるのではないかと嫌な気分になってしまったのです。

 話は飛びますが、今、霞が関官僚様らの人事異動や叙位叙勲などの人事情報を全国の新聞社などに配信する仕事をしております。霞が関官僚となると、当然、防衛省も入ります。その際、北部方面だの、東部方面だの全国の部署の所在地の住所を確認しなければなりません。今はネット社会ですから、それはネットでも検索できます。意外にも防衛省は、ネットでかなり情報公開していて、驚くべきことに、武器弾薬貯蔵所の在り処というか、その住所までご丁寧に公開しているのです。敵が見たら欣喜雀躍です。

 これらは、戦前だったら、間違いなく軍機保護法違反でしょう。戦前に、北大生だった宮沢弘幸さんとレーン夫妻が軍機保護法違反で逮捕されましたが、宮沢さんは、誰でも読める新聞に書いてあったことで、ほとんどの人が既成事実として熟知していたことを英語教師のレーン先生に雑談で話しただけのことでしたから、機密でも何でもないことです。それでも有罪となり収監されました。(宮沢さんは、拷問と収監がたたって戦後間もなく死去)

◇警察予備隊第一期生

 諜報研究会に戻ります。最初の講演者は、朝鮮戦争の最中に、日本の再軍備化のためにGHQの命令で創設された警察予備隊(後の自衛隊)の第一期生だった佐藤守男氏でした。今年87歳です。主に、第一線でソ連・ロシアの情報収集・翻訳・分析に従事していた方でしたが、最初に書いた通り、内容については触れません。ご興味のある方は、佐藤氏は、退官後、北大で博士号まで取得し、「情報戦争の教訓」(芙蓉書房出版)などを出版されているのでそれをお読みください。

 佐藤氏の講演中、その本が回覧されて来ました。私が、後方の次の人に回そうとしたら、その白髪の老人は、急に怒り出して、「他の奴に回せ」と言わんばかりに、傲慢にも人さし指で他の人を指すので、仕方なく、右後方の人に回しましたが、その間、どういうわけか、暴走老人はずっと私を睨みつけてくるのです。頭がおかしい裕福で暇な似非インテリかもしれませんが、その暴走老人は講演会が終わった後の懇親会にも出るようだったので、私は懇親会はパスすることにしました。いずれにせよ、もうこの会に出たくなくなるほど非常に不愉快でした。

 続く講演者は、元NEC技術部長の杉山尚志氏による「日米半導体摩擦と超LSI共同研究所物語」でした。日本は1980年代まで半導体分野で世界のトップでしたが、90年代に日米貿易摩擦となり、米国によるスーパー301条(関税25%)発令と外国製半導体輸入を20%にしろという米国からの要求に応え(結局35%)、それゆえ没落して今は見る影もなくなったことを明らかにしておりました。「日本は安全保障を米国に依存しているため、米国の命令を受け入れざるを得なかった。これに対して、今の米中貿易戦争は、中国が独自の安保体制を持っているから、一方的な摩擦ではなく、貿易戦争にまで発展した」という同氏の分析には納得しました。

 最後は早大准教授の塩野加織氏による「本文生成プロセスから見た占領期検閲ー岩波新書の検閲事例を中心に」でした。タイトルがあまりにも大学の紀要論文風で、一般人には分かりにくいですが(失礼)、一番面白かったでした。

 塩野氏は、GHQ占領下の1945年9月から49年10月までの検閲制度の対象、組織、方法、処分などを詳細に取り上げ、GHQのG2(参謀第2部)傘下の情報を収集分析して直接検閲を担当するCIS(民間諜報局)だけでなく、日本人に民主主義を浸透させる目的で宣撫、洗脳するCIE(民間情報教育局)などとも連携していたことを明らかにしておりました。なるほどなあ、と思いました。

◇津田左右吉は転向したのか?

 また、岩波新書の津田左右吉著「支那思想と日本」(1938年初版)が1948年2月に再版された際、著者の津田博士は、GHQが指摘した検閲箇所以外にも、自ら率先して数カ所、削除したり書き換えたりしている過程を明らかにしておりました。論旨が180度転換しているのです。転向といっても言いかもしれません。

 1938年といえば、その前年に支那事変(日中戦争)が勃発したという時局で、「暴支膺懲」のスローガンが大日本帝国臣民に行き渡っておりました。その時代を知らない戦後世代が批判するのも烏滸がましいですが、「支那思想と日本」の初版は、あまりにも日本の思想の優位性を強調して、日本こそが東洋思想の代表で、中国が劣ることを訴える表現には驚きました。 津田左右吉は、古事記・日本書紀などが専門の大学者で、戦前は記紀を批判的に解釈したため、蓑田胸喜ら極右思想家に弾劾された経歴があるので、もっと違うイメージを持っていました。何しろ、津田博士は戦後、文化勲章まで受章していますからね。

それが、1948年の再版では、GHQによる検閲と脅迫めいた言動による影響なのか、すっかり中国批判が消えるように書き換えていたのです。

 占領期の検閲については、もっと勉強したいと思いました。