🎬「Cold War あの歌、2つの心」は★★★★★

  今月上旬に予告編を観て、どうしても、何としてでも観たかったポーランド映画「Cold War あの歌、2つの心」を有楽町で観て来ました。満員でした。監督、脚本は「イーダ」でアカデミー外国語映画賞を受賞したパベウ・パブリコフスキ監督。 同作品は昨年の第71回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞しました。

 日本人は、「灰とダイヤモンド」や「鉄の男」「カティンの森」などで知られるアンジェイ・ワイダ監督作品が大好きで、ポーランド映画には馴染みがあります。この作品も、私の直感に違わず感動的な映画でした。CGやFXなどを多用するこけおどしのようなハリウッド映画とは一線を画します。製作費をかけられなくても、効果的な音楽が実にいいのです。胸にジーンと、お腹にはズシリと効いて、終わってもしばらく席から立ちあがれませんでした。

 東西冷戦下の1949年から1964年までの15年間の話です。ポーランドの舞踊歌劇団に所属するピアニスト兼音楽監督ヴィクトル(トマシュ・コット)と若い歌手ズーラ(ヨアンナ・クーリグ)が、愛し合いながらも、時代に翻弄される物語です。

 監督のパブリコフスキは、私の同世代ですが、この作品は両親を参考にして製作したようで、「両親に捧ぐ」と献辞られていました。パブリコフスキ監督は、子ども時代、冷戦下で育ったわけで、この映画の中に出てくるように、舞踊歌劇団がソ連・スターリンの政治的プロパガンダに利用されたり、ヴィクトルが強制収容所か監獄に入れられてしまう話などは事実として見聞し、フィクションとして反映したものと思われます。

 さすがに、愛し合う二人の結末がどうなるかは茲では書けませんけど、密告と裏切りが蔓延る冷戦下という非常事態でなかったのなら、あれほど、二人は狂おしいほど燃え上がることはなかったのかもしれません。

 何と言っても、この映画が良かったのは音楽が良かったからでした。ポーランドの伝統的なマズルカのような民族舞踊曲を始め、ヴィクトルがパリに亡命してからのジャズは、当時の時代を見事に再現している感じでした。(ヴィクトルは、あの難曲中の難曲、ショパンの「幻想即興曲 op66」をいとも易々と弾いてましたが、ショパンはポーランドが生んだ大作曲家・ピアニストでしたものね)

 21世紀だというのに、全編モノクロで撮影されていて、最初、何でそんなアナクロな手法をパブリコフスキ監督は取るのか理解できなかったのですが、観ているうちに分かりました。白黒でなければ、1950年代の「ジャズ・エイジ」のパリの雰囲気を表せなかったのではないか、と。(火災に遭う前のノートルダム寺院も出てきました)

 そうなると、ズーラの着る民族衣装も色彩豊かに見え、ズーラの唇には、強烈に派手で真っ赤な口紅が塗られていることが見えてくるのです。

 映画では、ヴィクトルとズーラの二人が別れたり、再会したりする15年間の軌跡を辿っていますが、演じる二人とも見事に老けていくので、メーキャップにしても凄いなあ、と思いました。特に、ズーラ役のヨアンナ・クーリグは、最初は10代の女子高生ぐらいにしか見えなかったのに、最後は、中年太りのために本当に体重を増量して、背中まで肉付きがよくなっていて、同じ人とは思えないくらいでした。

 彼女は、失礼ながら、超美人ではありませんが、華があってオーラがあり、しかも素晴らしい歌唱力もあって、誰でも心惹かれる名女優といっていいでしょう。私もすっかり、ファンになってしまいました。

 恐らく、この映画、日本でも大ヒットするんじゃないでしょうか。そう予言しておきます(笑)。

「昭和恐慌と経済政策」

 ここ半年ほど、1929年のニューヨーク株式大暴落に端を発する大恐慌について、興味を持ち、その関連本としては名著と言われる秋元英一(当時千葉大学教授)著「世界大恐慌」(講談社メチエ、初版1999年3月10日)を読破したのですが、今一つ、理解不足でした。ケインズやニューディール政策などが登場し、字面を読むことはできるのですが、知識としてストンと腑に落ちることができなかったのでした。

 そこで、同書に参考文献として挙げられていた(当然ながら名著の)中村隆英(当時)東洋英和女学院教授の「昭和恐慌と経済政策」(講談社学術文庫、初版1994年6月10日初版、底本は、1967年、日本経済新聞社刊「経済政策の運命」)を読んだところ、日本に特化した大正から昭和初期の話でしたが、すっきりと「経済史」として整理されていて、歴史的流れをつかむことができました。

 この本の主人公は、「金解禁」を実行した民政党の浜口雄幸内閣の井上準之助蔵相です。私のような金融政策音痴の人間が言うのは大変烏滸がましいのですが、何で、世界恐慌最中の昭和5(1930)年1月に、井上蔵相は金解禁を実施したのか、という疑問でした。結局、この金本位制復帰のお蔭で、緊縮財政から銀行倒産など昭和恐慌が激しさを増し、同年11月に浜口首相の狙撃事件(翌年8月死去)が起こり、昭和6(1931)年12月に、政変によって政権についた政友会の犬養毅内閣の高橋是清蔵相によって、金輸出再禁止されたものの、井上準之助は翌7年9月に血盟団の団員によって暗殺されてしまいます。(19世紀以来、金本位制を牽引してきた本場英国は1931年9月21日に金本位制を停止。ポンド大英帝国の没落が始まります)

 考えてみれば、今、上述した浜口雄幸首相、井上準之助蔵相、犬養毅首相(5・15事件で)、高橋是清蔵相(2・26事件で)は全員、テロ襲撃に遭って暗殺されているんですよね。当時の政治家は生命を懸けていたことが分かります。

 しかし、果たして、暗殺した側の右翼国家主義の宗教団体にしろ、軍部の青年将校たちにしろ、知識人ではあっても、当時の国際経済や金本位制などの金融問題、複雑な為替管理操作や公債の発行などといった財政政策などを少しでも勉強したことがあったのだろうか、と疑問に思いました。

 恐らく、彼らは、不況や東北地方の冷害で、娘を身売りしなければならなかった惨状を見聞したり、三井などの財閥が、金輸出再禁止によって円の暴落になるのではないかという思惑でドル買いに走り、大儲けしたことを新聞で読んで義憤に駆られたりしただけで、複雑な経済問題を熱心に勉強していなかったのではないか、と思いました。

 つまり、表面的な政治問題や社会事件だけ見ていただけでは歴史は分からないのです。人間の下部構造である経済をしっかり押さえていなければ、深く理解できないと思ったのです。

 そういう意味で、こういった「経済史」関連本を読むことに大変な意義深さと価値を見いだしました。

 以下は、重複することが多々ありますが、備忘録としてメモ書きします。

・為替レートの維持が困難になった大正13(1923)年3月、東洋経済新報は、新平価解禁を主張した。…円の金価値を1割程度切り下げて解禁を行うべきだというのである。新平価によれば国内経済に打撃を与えないで金解禁を行うことができるというのである。…東洋経済の石橋湛山、高橋亀吉に小汀利得(おばま・としえ、中外商業新報記者)、山崎靖純(時事新報で金解禁反対を唱えたが追い出されて、読売新聞に移籍)を加えたいわゆる新平価解禁四人組の経済ジャーナリストだけが終始新平価解禁を唱えるのである。(50~51ページ)

・大正15(1926)年、大蔵大臣に就任した片岡直温は、金解禁を決意したが、銀行の内容の悪さを知って驚いた。…2億7000万円余の震災手形のうち、実に9200万円余が鈴木商店関係の手形であり、それに次ぐものが久原房之介関係の手形であった。また、震災手形を所有する銀行は、台湾銀行が1億円、朝鮮銀行1500万円をはじめ特殊銀行が1億2200万円、その他普通銀行が約8500万円だった。(56~57ページ)

・日本が立ち遅れていた金本位復帰(金輸出解禁)を決意したのは、昭和4(1929年)7月、浜口民政党内閣が成立し、井上準之助が蔵相に迎えれたときからである。井上蔵相は、旧平価による金解禁後の国際競争の激化に備えて、財政支出を削減し、金利を引き上げ、国民に消費節約を訴えるなど、強烈な引き締め政策を実行した。このため、日本経済は29年秋から急激な景気後退に見舞われた。米国に始まる不況の波及はその直後のことである。昭和恐慌は、金本位復帰のための引き締め政策と、海外の恐慌という二重の原因によってもたらされたのであった。(219ページ)

・井上の悲劇は、…古典的な経済理論が現実から乖離しようとしているのにも関わらず、教科書通りの経済政策を強行しようとした点にあった。…井上の政策が破綻した何よりの原因は、全世界的な金本位制度が行き詰まりに直面している事実を正しく認識しなかったことである。…これに対して、高橋是清は、金本位制の意味をそれほど重くみていなかった。むしろ高橋にとっては産業の発展の重要性あるいは国民の所得水準の維持、向上という目標が強く意識され、金融や財政はそのために協力するべきだという強い考えを持っていた。…高橋は、ケインズの投資乗数理論を思わせるような波及効果をある程度実践したといってもいい。(201~205ページ)

 こうして、健全財政の守り神とされていた蔵相高橋是清は、軍事予算を削減するなどして軍部から反感と恨みを買い、結局、2・26事件で暗殺されるわけです。 

 嗚呼、何か、小難しいことばかり書いてしまいました。これでまた読者も離れてしまうなあ…(苦笑)。

日本工業倶楽部は超が付く社交クラブだったとは…

 皆様御存知の満洲研究家、松岡將氏が体調を回復されて、来月、満洲三部作(「松岡二十世とその時代」「王道楽土満洲国の『罪と罰』」「在満少国民望郷紀行」)を引っ提げて、日本工業倶楽部日本倶楽部で講演会を開催されるということで、おめでとう御座います。御同慶の至りです。

 日本工業倶楽部とは、何の会なのかよく知らなかったのですが、その会員の皆様を見たところ、日本を代表する超一流企業の重役さんや元社長さんらのお名前がズラリ。

 ちょうど、世間の裏情報に精通している経済ジャーナリストの油小路先生が通りがかったので、捕まえて聞いてみました。

 渓流斎 あ、どうも、油小路先生。例の松岡先生が、元気になって、今度、日本工業倶楽部とかいうところで、講演するらしいんですけど、どんな所ですか?日本記者クラブみたいな所ですか?

 油小路 馬鹿言っちゃいけませんよ。そんなものと比べたらいけませんよ。月とスッポンですよ。日本工業倶楽部は、経団連なんかよりずっと古い大正六年、当時の有力実業家らによって東京・丸の内に創立された団体ですよ。初代理事長は団琢磨。あの血盟団事件で暗殺された三井財閥の総帥です。

 へー、そうだったんですか。

日本工業倶楽部会館   屋上には二つの人物像が(同倶楽部のHPより)

 あなたは、何も知りませんね。 日本工業倶楽部会館の正面屋上には二つの人物像が置かれてます。男性はハンマーを持った坑夫、女性は糸巻きを手にした女工さん、当時の二大工業の石炭と紡績を象徴し、彼らに敬意を表しているのです。戦後、日本工業倶楽部の理事長になった日清紡の社長宮島清次郎(1879~1963)は知らないでしょうねえ。経営者として清廉潔白な人で、とても尊敬できる人ですよ。高度経済成長期に、会館の屋上にゴルフ練習場をつくろうという話になった時に、「労働者が働いている時に、経営者が昼間っから、ゴルフの素振りをするとは何事だ。練習場をつくるなら、俺は理事長を辞める」と啖呵を切った人ですよ。

 そして、宮島清次郎は、最後まで勲章を拒否した人でした。「人間はもともと農耕民か、漁民だったんだから、差別はいらない」という考えでした。

 へー、凄い話ですね。

 宮島清次郎は、東京帝国大学時代、吉田茂と同期生だった関係から、財界として資金面で吉田内閣を支えたのです。また、日清紡の社長に若き桜田武を指名したのも宮島です。ご存知の通り、桜田武は後に日経連の会長を務めるなど財界代表として活躍するわけです。

 いやあ、僕は財界について、何も詳しくないので、知りませんでした。

 かつて、日本工業倶楽部には「財界クラブ」があったんですよ。今は経団連ビルにありますけどね。そこで、財界の大物の記者会見があったりして、小生のような経済部の新聞記者たちが取材していたわけです。古参の先輩記者に聞いたら、 その記者クラブがあった所は昔、「車夫馬丁」の控え室だったというではありませんか。今は車夫馬丁は差別用語ですが、昔の新聞記者は車夫馬丁と同等の扱いだったということですよ。

 だから、日本記者クラブと日本工業倶楽部は似て非なるもので、月とスッポンだということですよ。ちなみに、明治の思想家中江兆民は、息子が将来、車夫馬丁になっても困らないよう、名前負けしないように、長男に「丑吉」と名付けたのは有名な話です。

 そうだったんですか。

 入会金も年会費も桁違いですし(法人は入会金50万円、年会費55万円、推薦者2人)、料理の質もレベルも全然違う。40年近く昔の話ですけど、日本工業倶楽部のカレーライスなんて、当時でも3000円ぐらいしましたよ。値段に違わず美味さは比べ物にならないくらいピカイチでしたよ。うまかったなあ~。大手新聞社の記者の中にはタダ飯を食うために来る者もいましたよ(笑)。

 3000円は大袈裟でしょう。本当ですか?

 ま、そんなもんです。あと、当時、日本工業倶楽部内にあった理容店は、「天皇の理髪師」と言われた人がやっていたことで知る人ぞ知る床屋さんでした。何から何まで超一流でしたよ。

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 ということで、日本工業倶楽部の話ばかりで、もう一つの日本倶楽部のことについては、油小路先生からあまり話を聞けませんでしたが、こちらも凄い倶楽部で、昨年創立120周年を迎えました。 明治30年11月、公爵近衛篤麿(1863~1904)、子爵岡部長職(おかべ・ながもと=1855~1925)、鳩山和夫(1856~1911)の3氏が主唱し、翌31年6月に設立された名士の会で、財界だけでなく、政界、官界、法曹界と錚々たるお歴々が集った親睦団体です。

 主唱者の近衛篤麿は貴族院議長などを歴任、戦時中に首相を務めた近衛文麿と作曲家近衛秀麿の父。岡部長職は、岸和田藩の最後の藩主で、明治・大正の外交官、政治家。その三男長挙は朝日新聞創業者の村山龍平の婿養子となって朝日新聞社長になった人。 鳩山和夫は弁護士、政治家で、東京専門学校(早稲田大学)の校長なども歴任。長男一郎、孫の由紀夫氏も首相を務めるなど鳩山一族の基礎をつくったような人でしたね。

「韓非子」は諸子百家の集大成

 徳間書店について、私はよく知りませんが、殿方のリビドーを刺激し、任侠道の機関誌のような週刊「アサヒ芸能」を発行しているかと思えば、岩波書店も出さないような堅い、堅い中国の古典シリーズなどの教養書まで幅広く発行しています。

 噂でしか知りませんが、徳間書店の創業社長の「懐刀(ふところがたな)」と言われた方は、永田町から霞ヶ関、大手町、丸の内、桜田門と政官財界、警察公安関係の大物を接遇・折伏して権勢を振るい、隠れた「メディア王」として斯界で知らない人はいないと言われています。怖いですねえ、怖いですねえ~(淀川長治風に)

 私は真面目な人間ですから、その徳間書店が「中国の思想シリーズ」を発行する版元とは知らずに購入しておりました。長らく本棚の片隅で眠っておりましたが、先日、中江丑吉著「中国古代政治思想」(岩波書店)が難解過ぎて挫折したため、それでは、もう一度、いちから中国思想を勉強しようと思ったのです。

 また、「勉強」です! 京洛先生から怒られそうですね(笑)。

 末岡先生から、博愛主義を唱えた「墨子」を読むように説諭されましたが、どういうわけか、見当たらず、手始めに、中国の思想シリーズ第1巻の「韓非子」を読んでみました。

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 面白い。実に面白い。何も知らずに読み始めたのですが、韓非子は、中国古代の乱世の春秋・戦国時代に現れた「諸子百家」の最後に輩出した思想家で、乱世を統一した秦の始皇帝のブレーンとして迎えられた人でした(残念なことに、自分の地位を脅かされると危惧したライバル李斯の讒言によって、韓非子は自害させられました)

 読者の皆様は頭脳明晰ですから、ご説明するまでもありませんが、「諸子百家」の「子」というのは先生の尊称で、「家」は学派という意味です。

 ですから、孔子とは、孔先生ということで、本名は孔丘(こうきゅう)です。それでは、諸子百家の主要人物を取り上げてみることにしましょう。

 【儒家】孔丘、孟軻、荀況

 【墨家】墨翟

 【名家】公孫竜、恵施

 【道家】老聃(李耳)、荘周

 【法家】商鞅、管仲、申不害、韓非

 【陰陽家】鄒衍

 孟子は本名孟軻(もうか)、荀子は荀況(じゅんきょう)さんだったですね。

 で、話は法家の韓非(?~紀元前233年)でした。普通に先生の「子」を付けるなら韓子でしょうが、そうではなくて韓非子ですから、稀なケースです。最後の諸子百家の集大成として尊重されているのでしょうか。

 韓非は、荀子の弟子でしたが、恐らく、孔子も墨子も老子も荘子あらゆる諸子百家を勉強したことでしょう。

 「韓非子」の中で、日本人なら誰でも知っている格言に「逆鱗に触れる」があります。「説難(ぜいなん)」の篇にあります。説難とは進言の難しさのことです。逆に言えば、「逆鱗」の出典は「韓非子」だったわけです。

 この本で一番面白かったことは、46~47ページの解説です。先ほど、韓非は荀子の弟子だったと書きました。荀子は「性悪説」で有名です。荀子は、人間の性質は本来悪であるからこそ、教育して矯正するべきだと考えます。つまり、人間性は努力次第で善に変わることができる、そうするべきだという思想です。

 しかし、韓非は違います。人間を善に導くことなどは念頭にありません。大切なことは、人間が現実、欲望によって行動することを知り、その対策を講じることです。その対策とは法術のことで、韓非の目的は、君主による人民の統治で、人民の教化ではなかったといいます。

 なるほど、同じ「性悪説」でもこれほど違うとは思いも寄りませんでした が、韓非子の場合は、「法の支配」rule of law の先駆的思想ではないでしょうか。

 京洛先生、やはり、「人生ちゃらんぽらんに過ごす」よりも、勉強した方が毎日、楽しいですよ(笑)。

 

京都・旧「三井家下鴨別邸」の紫陽花が見ごろです

 おはようございます、京洛先生です。

 相変わらず、千葉県の佐倉城址公園、国立歴史民俗博物館と、勉強熱心ですねえ(笑)。「還暦」過ぎの、インテリ老人は、ちゃらんぽらんに人生を過ごすことが得手でないようです。何でも「勉強!勉強!」ではダメですよ。“狐狸庵センセイ”のように大ウソつき、ほらを吹いて、世間を煙に巻くようにならないとブログも面白くありません。

 最近は、男だけでなく、女も歴史が好きだということで、「歴女」とかいう流行語があるようですが、これも、お勉強一筋で、余裕が無い「ガリ勉」の延長です。人間は正直です。無駄がないと、その反動が、ギスギスした表情や物腰に表れるのですよ。

 ところで、迂生が推薦した映画「警視庁物語」を見に行きましたか?芦田伸介の出た「七人の刑事」(TBS系、1961~69)や波島進演じる立石主任の「特別機動捜査隊」(NET、現テレビ朝日系、1961~77)などテレビの刑事ドラマの原型ですから、それこそ“現代映像資料館”だと思って、東京のミニシアター「ラピュタ 阿佐ヶ谷 」に行くべしです。そうしないと、90歳、100歳と長生きできませんよ(笑)。

 さて、貴人から「季節にあった写真はないか」というご下命、注文が飛んできましたので、昨日(6月23日)、京都・下鴨神社に隣接する旧「三井家下鴨別邸」=重要文化財=の紫陽花が綺麗だというので足を運び、写真を撮ってきました。

 三井はもともと養蚕の神様(蚕ノ社)を信仰していました。というのも呉服商ですから縁がありますね。また、三井家の祖霊の「顕名霊社(あきなれいしゃ)」も、京都・太秦の「木嶋神社」に祀っていましたが、明治初めの廃仏毀釈などあれこれ騒ぎがあって、明治42年に三井高安(三井家の遠祖、三井高利=三井家の家祖=の祖父)の三百年忌を機会に下鴨・糺の森に「顕名霊社」を遷座し、その参詣のための休憩所としてこの別邸を作ったわけです。

 昨日、一昨日と二日間はこの旧三井家下鴨別邸の敷地にある「紫陽花苑」を無料開放したので綺麗な紫陽花を見ようという大勢の人で賑わいました。

 貴人は以前、映画の草創期の大スターだった“目玉の松ちゃん”こと尾上松之助の銅像が下鴨神社そばの「糺の森」にあったのを覚えていますか?糺の森というのも、元は木嶋神社境内あって、今ではそこは「元・糺の森」と呼ばれています。

 糺の森とは誤ったことを正すということですね。今度、京都に見えたときに木嶋神社を案内しますが、ここには「三柱鳥居(みつはしらとりい)」という変わった鳥居があります。鳥居を三基合わせたもので、東京の向島の「三囲神社」に行くとこの木嶋神社の三柱鳥居を原型にした「三柱鳥居」が見られます。

この「三囲神社」も、三井家、三井グループがあれこれバックアップ、支援しています。逸話が好きな貴人は、是非一度訪ねてみることです。感激するでしょう。

以上

おしまい。

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佐倉城址を訪ねて

 日本城郭協会が千葉県で唯一「日本の100名城」に選定している下総の佐倉城に行ってきました。

 東京の日暮里駅から京成線の特急で50分で佐倉駅に着きます。特急料金がなく乗車券だけで660円。大抵、終点・成田空港駅行ですから、大きなボストンバックを横に抱えた外国人観光客を見かけました。私は、いつも成田空港に行くときは、京成スカイライナーに乗っていたのですが、この特急なら少し時間が掛かっても、安く行けたんですね。

 さて、佐倉城址ですが、京成佐倉駅から歩いて18分ぐらいの距離でした。平城ですから、ほとんど高低差が少なく、楽に行けて、初心者向きでした。

 今は、このように佐倉城址公園になっています。

  石垣はなく、土塁ですし、空堀が多いので、 何も知らない、あまりお城に興味がない人が来て、看板も見なければ、単なる公園と思ってしまうかもしれません。

 でも、公園内にはこうして、城址の史跡の看板を掲げてくれて、観光客にとても分かりやすく説明してくれます。

 上の写真の看板では、明治の廃仏毀釈で、寺院が消滅したことが書かれています。

 佐倉市のホームページには、「明治維新後、城址には陸軍歩兵第二連隊(後に第五十七連隊=通称・佐倉連隊)が置かれたために櫓や門などはそのほとんどが取り壊され、昭和20年の終戦まで軍隊が置かれていました。」と書かれています。

 明治時代に写された城の天守や櫓などの古い写真が残されていますが、今は影も形も全くありません。米軍による空襲でなくなったのかと思っていたら、どうやら、この説明によると、明治人自らの手によって破壊されていたんですね。

 確かに、城なんぞは、富国強兵を推進する明治政府にとっては、前近代的な過去の遺物かもしれませんが、それにしても、それにしても。。。。です。

おや?幕末に日本を開国に導いた老中堀田正睦(ほった・まさよし)ではありませんか。

実は、ここ佐倉藩の藩主だったんですね。佐倉藩は、徳川家とつながりが深い親藩でした。

 老中堀田正睦の日米通商条約の交渉相手、タウンゼント・ハリス米国総領事(初代駐日公使)の像も、堀田公の横に建っておりました。

三の門跡。。。

二の門跡、だんだん本丸に近づいて来ました。

と思ったら、二の丸御殿跡。ここに藩主がお住まいになっていたそうです。

遠慮して、本丸は、将軍がおなりになった時に泊まるからだそうです。

栗原先生の地元、日光にお参りする途中の宇都宮城も、藩主は二の丸御殿に住み、本丸は、将軍様用にあけていたので、親藩はそういうケースが多かったのでしょう。

一の門跡に来ました。

三の門、二の門、一の門と、それぞれ写真のように、立派な門があったのに、今はない、ということは、取り壊されてしまったんですね。嗚呼。。。

今では広い公園になった草原を横切って、ようやく、本丸跡に辿りつきました。感無量です。小雨のせいか、ほとんど人がいませんでした。

随分新しい「史跡看板」だなあ、と思ったら、2年前の「平成29年建立」と、裏に書かれていました。

大抵の城址には、戦国武将やお城の来歴が書かれていますが、佐倉市にはそのような看板がなく、城建物の物理的な説明だけでした。

 そこで、また佐倉市のホームページを引用します。(少し表記を改めています)

佐倉城は、戦国時代中頃の天文年間(1532~1552年)に千葉氏の一族である鹿島幹胤(かしま・もとたね)が鹿島台に築いたといわれる中世城郭を原型として、江戸時代初期の慶長15年(1610年)に佐倉に封ぜられた土井利勝によって翌慶長16年(1611年)から元和2年(1616年)までの間に築造された平山城です。

 土井利勝公は、このあと茨城県の古河に移封され、初代古河藩主になりました。実は、先だって、古河城址訪れた際に、土井利勝公のことを知ったので、今回、どうしても佐倉城址を見たかったのでした。

北に印旛沼、西と南に鹿島川と高崎川が流れる低地に西向きに突き出した標高30メートル前後の台地先端に位置します。佐倉城はこうした地勢を巧みに利用し、水堀、空堀、土塁を築いて守りを固め、東につながる台地上に武家屋敷と町屋を配して、城下町としました。

 以後、江戸の東を守る要として、有力譜代大名が城主となり、歴代城主の多くが老中など幕府の要職に就きました。なかでも、幕末期の藩主・堀田正睦は、日本を開国に導いた開明的な老中として有名です。

 なるほど、そういうことでしたね。

佐倉丼 1230円

お腹が空いたので、この城址公園の隣接地に昭和58年に開館した国立歴史民俗博物館にあるレストランでランチを取ることにしました。

 佐倉名物ということで、佐倉丼なるものを食しました。観光客だからいいでしょう?(笑)。

 この国立歴史民俗博物館は、初めて訪れました。

古代の第1展示室から、現代の第6展示室まであり、広い、広い。見応え十分でした。入場料600円は安いですね。

パンフレットには「ゆっくりひとまわりで1時間半~2時間」と書かれていましたが、まさか、まさか、説明文を読みながら、ゆっくり回ると3時間~4時間はかかる量でしたよ。

 外は大雨で、良い雨宿りになりましたが、私は2時間半かかり、疲れてぐったりしてしまいました。

 恐らく、全国で一番、展示量が多い歴史博物館でしょう。考えてみれば「国立博物館」でしたね。でも、「複製」がちょっと多い感じでした。とはいえ、素人には区別がつきませんから、百科事典を読んでいる感じで、大変な歴史の勉強になります。

 機会があれば、是非訪れることをお薦め致します。

知らなかった警察用語

 

 またNHKのチーフプロデューサー(41)が強制わいせつの疑いで逮捕されましたね。逮捕されたのは6月17日ですが、容疑は、今年2月の未明に東京・練馬区の路上で、帰宅途中の女性を押し倒して、わいせつな行為をしたというものでした。

 有名番組を手掛けた天下のNHKの職員だからこそ、こうして毎回大きなニュースになりますが、実際は、こうした事件・事案は毎日のように起きているのです。新聞やテレビが取り上げないだけなので、分からないのです。

 でも、最近、警視庁が発信するようになったスマートフォン・アプリ「Digi Police」を見ると、毎日毎日、都内のどこそこで、公然わいせつがあっただの、どうした、こうしただのといった情報が、地図入りで注意喚起しているのです。

 まるで、警察無線の音声ではなく、文字版といった感じです。このほか、よく交番の掲示板に張ってある指名手配の犯人の顔写真やら特徴などもアップしています。

築地「T」 いわしフライ定食 1080円

 昨日、一緒にランチした新聞社に勤める笹本君にこの話をしたところ、「そのアプリ知っているけど、見たくないなあ。警察無線は昔、仕事でさんざん聞かされたからうんざりだよ」というのです。

 もう時効になるような昔の話ですが、一部のマスコミの社会部警察担当の事件記者たちは、警察無線をキャッチしていたようです。取材は、初動が肝心だからですね。

 笹本君によると、警察には独特の隠語があって、一般の無線マニアが聞いても分からない用語を使っているというのです。例えば、ガサ入れ(家宅捜査)とかカンモク(完全黙秘)といった隠語は、刑事もののテレビドラマなどでよく使われるので、一般ピープルもよく知っていますが、警察無線となると、ちょっと込み入っています。

 「例えば、警視庁は犯人のこと『ホシ』っていうけど、大阪府警は『太夫』っていうんだよ。犯人が自白した時は、『太夫が踊った』なんて言い方するんだよね」

 へー、知りませんでしたね。

 「VIPは『マルタイ』と言って、『マルタイは今、難波に移動しました』なんて使っていたなあ」

 マルタイのタイとは対象者ということで、マルは「マル暴」(暴力団)、「マルサ」(国税庁国税局査察部)などとよく使われています。また、マルタイは「身辺保護の対象者」のほか、関東では全く違った意味で「捜査対象者」の意味で使われることもあるそうです。

 笹本君は他にも色々と教えてくれました。数字が使われる「177」「205」「頭が330」などです。

 まあ、警察隠語ということで、「知ってはいけない」お話です(笑)。でも、今は簡単に調べられますので、ご興味のある方は、たまにはご自分で確かめてみてください(笑)。

拳銃強奪事件、不可解事件はまた起きるのでは?

 最近、色んな不可解な事件が起きてます。川崎市登戸での集団殺傷事件、農水省元事務次官の息子殺害事件、そして、今度は、大阪での警察官刺傷・拳銃強奪事件です。

 事件現場の吹田市千里山交番にしろ、犯人が捕まった箕面の山中にしろ、私にとっては、大変懐かしい所です。もう30年も昔になってしまいますが、吹田市千里に住んだことがあり、慣れ親しんだ所だったからです。千里山は高級住宅街で、著名作家が住んでいました。

 この事件に興味を持ったもう一つの理由は、犯人の父親が、私と同世代で、関西テレビの常務(こちらは私と全く違いますが) だったことです 。事件発覚直後に府警が公開した監視カメラに写った犯人について、「自分の息子に似ている」と通報したのがこの父親で、犯人逮捕の有力な情報になりました。

 この父親は常務取締役で、東京支社担当ということで二度吃驚です。関西テレビ東京支社は、私が現在勤める会社のビルにテナントとして入居しているからです。ということは、当然、父親は東京支社を訪れていたか、ここで勤務経験があったかで、私とエレベーター内で一緒になったことがあったかもしれないし、すれ違ったりしたことがあったかもしれないのです。

 ということで、可処分所得が少ないというのに、無理して今日発売の「週刊文春」をまた買ってしまいました。「大阪拳銃強奪犯<飯森裕次郎>エリート父への愛憎30年」なるトップ記事が掲載されていたからです。そこには、敏腕営業職出身の父親は社長候補だったこと、母親は元女子アナだったこと、川崎殺傷・農水次官事件との共通項はゲームの「ドラクエ」だったことなどが書かれていましたが、容疑者が何故、あのような不可解な事件を起こしたのか、この記事だけではさっぱり分かりませんでした。

銀座「T」 日替わり定食1100円

 でも、容疑者は次男で、「優秀な」長男とは違い、父親のコネで岩手県の系列テレビ局に勤めたことがあったが、わずか7カ月で退職してしまったこと、容疑者は母親と東京都品川区の家賃20万円の高級マンションに住み、父親は大阪にタワーマンションをキャッシュで購入して単身赴任だったことなどから、何となく、容疑者の育ち方と家庭環境が分かったような気がしました。

 容疑者は「私のやったことではありません」と否認しており、動機は依然、分かっていませんが、このような不可解な事件は、「氷山の一角」で、これからも同じような事件が起きるのではないかと思いました。溜息が出ます。

戦時下と変わらぬ現代、そして武蔵小杉は大混雑

 島根県にお住まいの須藤さんから昨日書いた「 トヨタに5000億円減税、小池都知事が五輪用地を9割引で売却 」という記事に関して、ご意見とご感想を頂きました。

  ご指摘のように既存の大手メディアは肝心の事を全く報じません。「赤旗」だけが取り上げているようでは、今の時代、戦前の暗黒の「治安維持法」下と全く変わりませんね。

 吉本興業が戦時中、大阪朝日新聞と東京朝日新聞の企画に乗って「わらわし隊」を結成して満洲に行きましたが、現下のテレビを見ている視聴者は、日本に居ながら満洲の兵隊さんと同じで、その慰問効果で、頭をマヒされているのです(笑)。この節は、その吉本興業の劇場 「なんばグランド花月」 に、天下の安倍首相が直接出向いたりしているのですから、現今、首相こそが「わらわし隊」です。

 日本経済新聞は「AIの時代だ!」「グローバリズムがナンタラカンタら」と盛んに書いて大衆を煽っていますが、ヒットラーも、世界制覇という自己流のグローバリズムを目指していたのです(笑)。令和も、平成も、昭和も、大正も、明治も、江戸も、奈良時代も本質は変わらないのです。そういう俯瞰的な指摘をするのがマスコミの役割なのですが、「女性進出」とか「働き方改革」とか、どうでもよい皮相的な、表面的なことだけ報じています。

 「渓流斎ブログ」の存在価値がこれから増々重みを増しますよ。他人の書いた「書籍紹介」なんかより、もっと、世相の真相、実相を書いてください。期待しています。

 ありゃ、まあ、です。ちょっと買いかぶり過ぎですね(苦笑)。私自身は、浅学菲才、全くの非力です。ただ、日々、研鑽を積んで、目配り、気配りしながら、幅広い知識の吸収に努め、感動したり、吃驚したりしたことをブログに書いているだけで精一杯で御座いまする。正直、最近、勉強ばかりしていますから、疲れ気味で、「遊びたいなあ~」という誘惑に駆られています(笑)。

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 さて、今日はネタがないので困ったなあ、と思ったら、面白い記事が見つかりました。「東洋経済」の「武蔵小杉は大混雑、横須賀線の増発はできる?」という記事です。神奈川県川崎市の武蔵小杉は、東急東横線・目黒線とJR横須賀線・南武線・湘南新宿ラインの駅があり、都心までわずか10~20分と通勤・通学にとっても便利ということで、ここ数年前からニュキニョキとタワーマンションが駅近に何棟も建ち始めました。

 私もNHKの「ブラタモリ」の「武蔵小杉」篇を見て初めて知り、「いいなあ」「近くて便利で羨ましいなあ」と思ったものでした。そしたら、これらタワマンのお蔭で人口が増えて、駅のプラットフォームが一杯で電車に乗れないという話を先日聞いたのです。やっぱり、テレビは良い事ばっかしか、言わないなあ…。悪い面もあったんですね。

いくら東京駅まで20分弱で行けても、朝の通勤ラッシュで、武蔵小杉駅構内で20分も待たされたら、結局40分もかかり、これじゃあ、「翔んで」埼玉県に住んでいても、あまり変わりませんよね(笑)。

 先述の東洋経済誌では、その現状について、こと細かく取材して書かれていました。武蔵小杉駅のある川崎市中原区の人口は、この20年で6万人も増えて約26万人になった、とか、JR武蔵小杉駅の1日平均乗車人員が、1999年度の6万4165人から、今や12万9637人へと2倍以上に増えた、などと書かれています。

 須藤さんご指摘の通り、やはり、物事を皮相的、表面的に見ていては駄目ですね。ご意見ご感想、有難う御座いました。

トヨタに5000億円減税、小池都知事が五輪用地を9割引で売却

 「夏に参院選がありますが、自民党の天下は変わらないでしょうね。大企業が自民党に献金してるんですからね。今の政権は財界が支えてますよ。トヨタなんか、その見返りで5000億円も減税されてるんです。誰も知らないでしょう。新聞もテレビもどこも報道しないんですからねえ」 

 物識りの篠田先生が、そっと耳打ちしてくれました。

 えーーー、本当ですか? 5000億円とは・・・!? 知らなかった。。。本来なら国家予算に組み込まれるべき大金ではありませんか。そこで、吉本君に聞いてみました。「トヨタが5000億円もの減税の恩恵を受けていること、君、知らないだろう?」

 すると、彼は「知っているよ。そんなの常識じゃん」と主張するではありませんか。

「えっ? 何で? そんなニュース、聞いたこともないし、読んだこともないはずだよ。どこも報道してないんだから」

「報道してるよ」と吉本君。

 「えっ?どこで?」

「赤旗だよ。2019年3月20日付で、『トヨタに5000億円減税 大門議員 政府税調提案に逆行』とのタイトルで出てたよ。 日本共産党の大門議員 が、参院財政金融委員会で、『トヨタは安倍政権の5年間で約5000億円の減税だ。なぜ利益が2兆円以上の企業にこれだけの減税が必要なのか』と批判したことが書かれてるよ」

「えっ!?そうだったの?」

「小池都知事が、来年開催される東京五輪の選手村用地(約13.4ヘクタール)を、三井、住友、東急、野村、三菱など大手不動産開発会社11社に、近隣地価の何と9割引で売却契約したことも、大手マスコミは、テレビも新聞もどこも報道していなかったのに、赤旗は一昨年からボンボン報道しているよ。選手村整備を受託した不動産会社のうち、7社に都の幹部12人が天下りしている(同紙2017年3月14日付)というから、最初からデキ・レースだったことが分かる。「週刊金曜日」も2018年12月21日号から19年3月29日号にかけて不定期に7回にわたって「晴海『選手村』開発疑惑」を連載してますよ」

「あらま、そんなことあったなんて、ちーとも知らなかった」