真言宗の最高儀式「後七日御修法」

高野山 大門

 先週、高野山に初めて参拝する機会に恵まれたため、真言密教に、より興味を持つようになりました。真言宗については、このブログでも何度か取り上げておりますが、自分が書いたものでもすぐ忘れてしまいます(苦笑)。

 真言宗には「豊山派」や「智山派」など色々な「派」がありますが、不勉強のせいか、その経緯については詳しく知りません。

 そこで、調べたところ、私が1年に1度は訪れている京都にある東寺(教王護国寺)は、真言宗の総本山だということは知っていましたが、有名な仁和寺も醍醐寺も真言宗だったんですね。恥ずかしながら、宗派は少しも気にせずにお参りしておりました。

 もう一つ、自分の恥を晒しますが、関東では、川崎大師や佐野厄除け大師は、初詣に多くの参拝者が訪れ、「大師」が付くので真言宗の寺院だということはよく知っておりましたが、成田山新勝寺も真言宗(智山派)だったとは、意識しておりませんでした。駄目ですねえ。

 少し話を脱線しますと、成田山新勝寺は、江戸時代以来、歌舞伎役者市川団十郎が篤く信仰し、屋号も「成田屋」にしていることは御存知の通りです。高野山の奥之院にも初代市川団十郎の墓所がありました。ところで、近く団十郎を襲名する市川海老蔵の若くして亡くなった奥さんの旧姓は小林麻央(まお)さんでした。海老蔵は真言宗の開祖空海の俗名が佐伯真魚(まお)ということを知ってましたから、初めて麻央さんと会った時に、ピンと来て、結婚に踏み切ったといいます。

高野山

 本題に戻します。真言宗の「派」でした。これは「真言宗十八本山」といって、真言宗には主要な派として16派18総本山あるというのです。主なものを挙げると、高野山の総本山・金剛峰寺が「高野山真言宗」、京都の東寺(教王護国寺)が「東寺真言宗」、京都の智積院が「智山派」、京都の仁和寺は「御室派」、 覚鑁(かくばん)上人が開山した和歌山県の根来寺が「新義真言宗」、奈良県の長谷寺が「豊山派」などです。皇室ゆかりの寺院として知られる泉涌寺は「泉涌寺派」、大覚寺は「大覚寺派」とそのままですね。

 最初に「自分が書いたものをすぐ忘れる」と書きましたが、京都にお住まいの京洛先生から「毎年1月に後七日御修法(ごしちにち みしほ)の記事と写真をお送りしておりましたが、覚えていないのですか?」との御下問がありました。

 えーと、何でしたっけ?その後七日御修法とかいうものは?

 駄目ですねえ。

  後七日御修法とは、毎年新年1月8日~14日までの7日間執り行われている真言宗の最高儀式で、全国の真言宗の16派18総本山の長老、高僧が一堂に会します。平安時代初めの承和元年(834年)、仁明天皇が空海の進言で宮中で始めた「国家安泰」を祈願したことが始まりと言われています。途中で断絶したこともありますが、1000年以上続いている儀式です。

 後七日御修法に毎年選ばれる高僧は15人で、その資格は70歳以上です。その中で、さらに大阿闍梨(導師)になれるのは、何回も、後七日御修法に選ばれて出仕した高僧だけです。しかも、御七日御修会が行われる灌頂院の堂内は寒いので、昔は、ここで亡くなった方も居られたといいます。

 ーということなどを、今年も昨年も一昨年もこのブログに書いていたんですね。すっかり忘れておりました(苦笑)。

【ご参考】2018年1月15日「京都・東寺の「後七日御修法」で取材敢行=京洛先生登場」、2019年1月15日「京都・東寺で御修法=真言宗最高の秘儀