泉岳寺山門 Copyright par Syakusyodou
皆さん御存知の目赤不動さんです。
腰が重い渓流斎老師なので、フットワークが自慢の迂生が、討ち入りを終えて涙、涙の義士が主君に報告した12月15日に、東京の泉岳寺を代参致しました。
赤穂浪士討ち入りの日の14日ではなかったせいか、墓地は閑散としていて、参拝者は疎らでした。
迂生にとって、実に27年ぶりの参拝でしたが、気が付いたのは、浄土に旅立ち後にもある格差、身分社会でした。大石内蔵助・主税親子の墓にだけ、覆いの屋根があったのです。
実は、討ち入りの14日は、東京・半蔵門の国立劇場での文楽公演の観劇に行って参りました。
「仮名手本忠臣蔵」の「二つ玉の段」「身売りの段」「早野勘平腹切の段」がかかっていたからです。
忠臣蔵の五段目と六段目。稗史伝というか、番外編ともいえますが、通人の間で絶大な人気を誇る「おかると勘平」の物語です。
渓流斎翁も御案内の通り、赤穂浪士事件を題材にした「仮名手本忠臣蔵」は、全十一段。二代目竹田出雲、三好松洛、並木千柳の合作です。もともと人形浄瑠璃として書かれたもので、寛延元年(1748年)8月、大坂竹本座にて初演されました。最初から歌舞伎の演目だったと誤解している方が多いですが、本家本元の文楽を見ないと話になりません。
勿論、歌舞伎でも大当たりして、客が不入りの時に、座元が起死回生を図って、「忠臣蔵」をかければ、必ず当たるといわれ、のちに「芝居の独参湯(万能薬の名前)」と呼ばれたことも渓流斎翁御案内の通りです。
「早野勘平腹切の段」を聴きましたので、勘平のモデルとなった萱野三平の墓碑に線香を供えて参りました。
三平の墓碑前にある茶色の線香の束は、迂生からの忝なくも有難いお心です。
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有難くも畏くも、目赤不動様からの写真付き投稿、洵に有難う御座いました。ここ半年間、読者の皆さまからの投稿が全くなくなってしまいましたので、尚更、有難みが身に染み入ります。
目赤不動様らしく、「線香の束は、迂生からの忝なくも有難いお心です」とあからさまに書いてしまう辺りは流石です。
感服致しました。