「我は法華経の広宣流布を委ねられた上行菩薩なり」=佐藤賢一著「日蓮」

鎌倉・長勝寺 日蓮聖人像

 佐藤賢一著「日蓮」(新潮社、2021年2月16日初版、1980円)を読了しました。非常に勉強になりました。小説というより、評伝でしたね。ただ、佐渡島流刑から鎌倉に帰宅後、波木井(南部)実長からの申し出により身延山に庵を結ぶことになり、そこで、(第一次)蒙古襲来の報せを受けるというところで終わってしまったので、続編があると思います。

 この本については、既に一昨日(7月6日付)のブログ「法然上人を悪しざまに言う日蓮」で前半(第一部 天変地異)を取り上げていますので、本日は後半(第二部 蒙古襲来)のことを中心に書くつもりです。

 最初に「小説というより、評伝でした」と書いておきながら、やはり、学術論文とは違う作家が創造した小説ですから、善と悪を故意に際立たせた(言って良ければ)作り物の物語になっています。鎌倉の得宗被官筆頭で最高権力者の平左衛門尉頼綱(鎌倉の龍ノ口で日蓮を処刑しようとして果たせず、佐渡島に流刑した)と日蓮との手に汗を握る対決である会話を佐藤氏が傍で聞いていたわけではありませんから、「講釈師、見てきたような…」のあれです。

 しかしながら、大変苦心して書かれた評伝だったので、この本を読んでやっと日蓮があれほど激烈に他宗派を排撃した理由が分かりました。一昨日書いたことと少し重複しますが、「念仏無間」というのは、浄土宗の専修念仏は、ひたすら浄土門に邁進せよと言い、聖道門の法華経は、捨て、閉じ、閣(さしお)き、抛(なげう)て命じるからだといいます。(法然の言うところの捨閉閣抛=しゃへいかくほう=)「真言亡国」は、護摩祈祷で戦勝を祈願した平家も後鳥羽院も敗れたではないか、「禅天魔の所為」とは、禅宗は「教外別伝」(きょうげべつでん)「不立文字」(ふりゅうもんじ)を掲げ、釈迦の説かれた一切経を抛擲し、久遠の仏の教えを聞かないからだというのです。(「律宗国賊」に関しては問答が省略されてました)

鎌倉・妙本寺

 何故、数多あるお経の中で、法華経だけを日蓮が尊重するのかというと、釈迦が「法華経以前に説かれた諸法は方便の経で、真実を明かしていない仮の教えだ」と申しているからだというのです。

 そして、法華経を広める地涌(じゆ)の菩薩を率いる菩薩として、安立行菩薩(衆生を無辺なれども済度する)と浄行菩薩(煩悩は無数なれど断ち尽くす)と無辺行菩薩(法門は無尽なれども知り尽くす)と上行菩薩(仏道は無上なれども成し遂げる)の四菩薩(四弘誓願)がいますが、日蓮本人は、龍ノ口での法難の際に、自分自身は、法華経の広宣流布を委ねられた菩薩の導師の一人、上行菩薩であることを自覚したといいます。

 なるほど、そういうことでしたか。私自身は、どこそこの教団に属す信徒ではありませんが、また、もう少し、法華経に挑戦したくなりました。

 この本を読んでよかったのは、昨年9月に鎌倉の日蓮宗の寺院巡りをしたお蔭で、活字だけで、鎌倉の情景を目に浮かべることができたことです。(2020年9月22日付渓流斎日乗「鎌倉日蓮宗寺院巡り=本覚寺、妙本寺、常栄寺、妙法寺、安国論寺、長勝寺、龍口寺」をご参照ください)

鎌倉・龍口寺

 この本を読んで、まだ行ったことがない、佐渡や身延山に、日蓮聖人の足跡を訪ねて、いつか行ってみたいと思いました。(その前に、日蓮聖人が入滅された東京・大田区の池上本門寺を再訪したいと思います)

 また、この本で、日蓮の師である清澄寺の別当道善房や、日昭(成弁、比叡山同学の日蓮より一歳年長ながら最初の弟子)、日朗(日昭の甥)、日興(実相寺修行僧伯耆房)、日向(にこう=安房出身)、日頂(下総富木常忍の養子)、日持(最初は日興に師事)の六老僧や日行日法(熊王)といった日蓮の直弟子や、四条頼基(金吾殿)、池上宗仲・宗長宿屋光則大学三郎富木常忍といった檀越(だんおつ)のことも勉強させて頂きました。

 日蓮という後世に莫大な影響を与えた偉大な日本人が生きた時代背景には、地震などの天変地異と飢餓と疫病の流行に加え、政争と戦乱と蒙古襲来(他国侵逼=しんぴつ)という日本史上稀に見る「国難」があったということがよく分かりました。安倍前首相が口癖のように使っていた国難とは、あれは何だったのか首をかしげたくなるほどです。

【追記】

 ここまで書くのに5時間も掛かりました。あにやってんでしょうか(笑)。ついでながら、佐藤賢一氏の「日蓮」は、仏法論争の話が中心で、日蓮が一体どんなものを食べていたのか、どんな服装をしていたのか、どんな仏具(真言ではないので金剛杵なんか持っていなかったでしょうが)を備えていたのか、といったことが殆ど書かれていなかったので、気になりました。

 小説ならもう少し俗人的なことを書いてもいいと思ったのですが、宗教家は神聖なのでそこまで書いては駄目なんでしょうか?