講談社創立者野間清治の父は上総飯野藩士だった

 本日は、ついに東京五輪開会式。やっちまうんですね。(もうソフトボールやサッカー等の予選は始まってますが)

 疫病下のオリンピアード

 後世の歴史家は、2021年の東京五輪をそう名付けることでしょう。既に、東京都内のコロナウイルス感染者が2000人近くに迫り、オリンピック大会関係者も22日現在、78人の感染者が確認されたと公式発表されていますから、今から中止してもいいぐらいなんですけどね。とにかく、歴史上始まって以来、盛り上がりに全く欠けるシラケ五輪です。

 さて、私事ながら、4連休なので、東京都内の博物館にでも行きたいところですが、緊急事態宣言が出されているので、家でじっと本を読んでいます。

浦和・「中村家」 うな重特上4800円

 今読んでいるのは、いつぞやも、このブログで、私の自宅の書斎の机の上には未読の本が「積読状態」になっていることを白状しましたが、その中の1冊です。魚住昭著「出版と権力 講談社と野間家の110年」(講談社、2021年2月15日初版)という本です。2018年から20年にかけて、講談社ウエブサイト「現代ビジネス」に連載されたものを、大幅に改稿して単行本化したもので、私自身もネット連載中の記事は拝読させて頂き、その「面白さ」は既に、痛感しておりました。

 著者の魚住氏は共同通信出身のノンフィクション作家です。私は若い駆け出し記者の頃、共同通信の人には目の敵にされ、意地悪されたり、取材妨害されたりし、また、人海戦術で他社を潰そうとする態度があからさまだったので、今でも共同は、大嫌いな会社なのですが、魚住氏とは接点がなく、著書を通してですが、その取材力には感服しております。

 「出版と権力」は、日本一の出版社、講談社を創立した野間清治の一代記ですが、サブタイトルにあるように、清治の後を継いだ二代目恒(ひさし)から六代目の佐和子社長辺りまでの110年間を総覧しているようです。講談社という一つの出版メディアを主人公に、当時の政治的社会的背景から風俗、流行に至るまで、時代の最先端の空気を他社より先んじてリードする出版人の裏の苦労話も書かれているようです。

 まあ、近現代史の裏のエピソードが満載ですから、面白くないわけないでしょう。

 何しろ、注を入れて669ページという事典のような大著です。ネットで読んだとはいえ、単行本の方は、まだ、最初の方しか読んでいませんが、一番興味を持ったのは、創業者野間清治の先祖の話です。明治11年(1878年)生まれの清治の父好雄は、上総飯野藩(現千葉県富津市)の藩士の三男だったんですね。

◇保科正之の御縁で飯野藩と会津藩は縁戚関係

 飯野藩は慶安元年(1648年)、保科正貞が立藩し、代々保科家が藩主を務めました。家康の孫に当たる正之が、保科家に養子に入ったため、保科家は一時廃嫡になりましたが、その保科正之は会津松平家を興したため、保科正貞が飯野藩を立藩できたわけです。ということは、会津藩と飯野藩は縁戚関係ということで、幕末は、飯野藩も、奥羽越列強同盟の会津藩に馳せ参じて、戊辰戦争で官軍と戦うことになるのです。

 野間清治の父好雄の長兄銀次郎は、飯野藩士19人と脱藩して遊撃隊を結成して官軍と戦いますが、官軍に蹴散らされ、その責任を問われた銀次郎は、飯野藩家老とともに切腹したといいます。

 また、野間清治の母の文(ふみ)は、飯野藩武術指南役・森要蔵の長女で、清治の父好雄は、森要蔵の内弟子だったので、妻の文は師の娘に当たります。森要蔵は、もともとは江戸詰め肥後細川藩士の六男で、北辰一刀流の千葉周作に師事し、神田お玉が池の千葉道場の四天王の一人と称されました。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」などにも登場する剣客です。その森要蔵も三男寅雄(文の弟)ら門弟28人を連れて、会津藩の応援に駆け付けますが、壮絶な最期を遂げます。

 明治の新聞人は、福沢諭吉(「時事新報」)、成島柳北(「朝野新聞」)、栗本鋤雲(「郵便報知新聞」)らもともと幕臣や佐幕派が多かったのですが、野間清治のように雑誌、出版人も佐幕派の血を引いていたとは、感慨深い話でした。